本堂に向かって、独鈷の滝の左にあるのが、前不動堂。
「前」というのは、本堂の前の意。
身分の高い者たちが本堂参拝中、本堂に代わって庶民が参拝する施設。(という説明が私には分かりやすかった)
当然、本尊そっくりの(?)不動明王三尊が祀られています。
建物は、都の有形文化財に指定されている。
なぜか戦禍を免れたようで、目黒不動にしては古い建造物ということになります。
目黒区教委の説明板からその一部を引用しておく。
「瀧泉寺前不動堂(東京都指定有形文化財・昭和41年3月31日
前不動堂は、滝泉寺本堂手前の男階段左下にある、独鈷の滝の左崖下に建立され、堂内には木造不動明王三尊立像を安置してあります。江戸時代中期の仏堂建築として、比較的良く往時の姿を保っています。建造物と併せて、扁額「前不動」も附として指定されています。この扁額には「佐玄龍書」の署名があり、堂建立当時のものと推測されています」
前不動堂の石造物といえば、堂前の狛犬でしょう。
しかし、これを狛犬と言っていいのか。
どう見ても獅子ではなく、犬。
しかも雑種の日本犬。
その和犬が、悄然とうなだれて、許しを請うているようにしか見えない。
狛犬本来の本尊を守護する役割などとても果たせそうもない軟弱さが目立ちます。
目黒不動尊の和犬の狛犬は、実は、これが初めてではない。
このブログ「136 目黒不動の石造物⑤参道(仁王門→男坂)」でも、既に取り上げている。
その時にも書いたが、前不動堂前の和犬は、本来は男坂前の台座に座していたのではないか、と山田敏春氏(日本参道狛犬研理事)は推測します。
その根拠は、前不動堂の犬の首の傷跡。
一対それぞれの首にスパッと切ったような跡があります。
震災か戦災か、被災して転げ落ち、首が胴体から離れてしまった。
とりあえず、無傷の和犬を台座に載せ、破損したものは修理して、前不動堂に安置した、のではないかと山田氏は推理するのです。
前不動堂の和犬が本来座していた、男坂前の台座には「奉献 御手洗信七郎藤原正邦」と刻されています。
この御手洗氏についての山田氏の記事によれば「御手洗信七郎正邦は、幕末の幕臣で、江戸期の石造物最多奉納者。神田明神、王子稲荷、牛島神社などの石造物にも寄進者として名前が残っている」のだそうです。
そして問題の「犬」について、山田氏は、『江戸名所図会(天保7年/1836)』に「楼門、左右に金剛、蜜迹二王の像を置く、裏に使者犬の像を置けり」とあることに注目します。
更に、文章は続き「ある人いう、この地は日本武尊をまつるところなり。慈覚大師この地経歴の頃、不動尊の像を彫刻してご神体に擬せられる。その故に日本武尊、駿河に狩りしたまえる時、凶徒放火して尊を襲う。その時尊、剣を抜きて、狩り犬の綱を切り放ち、燃ゆる草を薙ぎ払いたまう。尊その火の内に立ち給う形相、さも明王の形に似たるをもって、これを比せしとぞ。犬を当山の使者とするもこの故なりといえども、この説いまだ考えず」。
ご神体の不動明王が日本武尊に似ているから、凶徒から日本武尊を守ろうとして戦った犬が、目黒不動尊の狛犬となった、と言いたいようだが、それならば、もっと雄々しい犬であってしかるべきだろう。
狛犬が、獅子ではなく、犬であることの理由としては秀逸だが、その犬像が軟弱であることは説明しきれていないようだ。
おもしろいことに、同じく不動明王を祀る成田さん新勝寺にも、やさしい和犬の狛犬がいます。
何か共通する理由があるはずだが、寺も分からないのだとか。
なお、付け加えておけば、目黒不動には、この他にも、日本犬の石像がおわします。
一番有名なのは、男坂下左の、3匹の子犬に囲まれた母犬。
慈愛に満ちた母犬の優しい目が印象的だが、これも狛犬なのだろうか。
この他、「独鈷の滝」上のスロープにも何体かの犬像が見えるが、私のカメラではきちんと捉えられないので、お見せ出来ないのは残念。