石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

138 東京都北区の石造物-18a-滝野川1、2丁目

2020-04-12 08:31:48 | 石造物巡り

 

 

 

 

◇滝野川不動尊(象頭山本智院観音蜜寺)滝野川 1-58-2

境内は、都電「飛鳥山駅」のホームに接してあるが、金網があって入れない。

遠回りして山門から入る。

がらんとして境内は広くて殺風景。

民家と変わらない庫裡を左に

奥まで行くと本堂がある。

本堂にしては小さいから、これはお堂で、本堂は庫裡と見えた建物だろうか。

石造物もわずか。

狛犬一対と

大日如来1基のみ。

滝野川不動尊の山門に接して右に「身代わり地蔵尊」がある。

堂前の石柱2基には、「江戸三大」、「身代地蔵尊」とあり、

供花が新しい所を見ると篤い信者がいることが分かるが、

謂れなどは、資料不足で一切分からない。

チンチンチンチンと遮断機が下りて、都電が走ってゆく。

◇浄土宗・思惟山正受院浄業三昧寺(滝野川2-49)

寺の名前は、寺号だったり、院号だったり、さまざまだが、ここは「正受院」。

住職が決めるのか、「浄業三昧寺」では長すぎるので、いつのまにか「正受院」になってしまったのか。

独特の鐘楼門があるので、覚えやすい。

6年前にも来たことがあるのを想い出した。

このブログ「石仏散歩」の100回記念として、それまでの石仏巡りを回顧する特集を組んだ。

(「NO100 石仏のある風景 https://blog.goo.ne.jp/fuw6606/m/201504」 2015-04-01)

石仏についていかに無知だったか、それがどのように成長したかを、正受院の墓地の庚申塔を例に説明したものだった。

もちろん、その阿弥陀如来庚申塔は、そのままおわしますが、この庚申塔だけが正受院の石造物ではないので、もう一度、参道から順にみて回ることに。

鐘楼門は、かなり珍しい。

下から仰ぐと、鐘が見える。

脇には、鐘楼門の説明板がある。

かなりの年代物で、ペンキがはげたり、文字をペンキで塗り潰したりしてあって、ほとんど読めない。

読める部分だけを繋げると「明治35年の制作で、東京では唯一の鐘楼門。釣鐘は195キロ。戦時中、国家に献納した」とあるから、戦後、作り直したものだろうか。

鐘楼門前にあるのは、細工の細かい、銅製阿弥陀如来。

阿弥陀様が多いのは、浄土宗寺院だからだろう。

本堂前、左にある武者姿は、択捉島を探索した近藤重蔵。

彼の人となりと業績について、北区教委は次のように説明している・

石造近藤守重坐像                        正受院本堂前
   坐像は、現在の千島列島から北海道までの蝦夷地を探検し、エトロフ島に「大日本恵土呂
   府」という標柱を建てた近藤守重の肖像です。
   守重は明和八年(1771)江戸町奉行与力の次男として生まれ、家督を継いで、通称を
   重蔵、号を正斎と称しました。
   寛政十年(1798)3月、幕府から蝦夷地の調査を命じられ、北方交易の海商高田屋嘉
   兵衛の協力で、石像のように、甲冑に身を固めてエトロフ島に渉り、現地の開発に尽力し
   ました。また、利尻島の探検にも参加し、蝦夷地についての著書も著しましたが、文政五
   年(1822)から九年までの四年間を正受院の東隣に、瀧野川文庫という書斎を設けて
   住みました。
   石造近藤守重坐像は、この記念に、江戸派の画家として著名だった谷文晁に下絵を依頼し
   て製作したと伝えられます。
   平成元年3月                           北区教育委員会

参詣人に若い女性がちらほら。

みんな慈眼堂とその横のお地蔵さんに手を合わせている。

正受院が別名「赤ちゃん寺」と呼ばれるのは、この慈眼堂が赤ちゃん(水子)の供養納骨堂だからでした。

右隣りの地蔵大菩薩の背後には「赤ちゃん供養塔」の石塔が立ち、

真新しい卒塔婆には「〇〇家胎児追善供養」と書かれています。

どこにも名前がないのは、水子だからです。

このお地蔵さんの後ろには、浄土宗寺院なのに、なぜか石仏不動明王群が。

これは、寺の裏手に、かつて「不動の滝」が、あったからです

江戸名所図会には正受院の本堂の後、坂路を廻り下る事、数十歩にして飛泉あり、滔々として消壁に趨る、此境ハ常に蒼樹蓊鬱として白日をささえ、青苔露なめらかにして人跡稀なり」とあります。

不動明王が祀られている瀧だから「不動の滝」であり、「不動の滝」だから、またさらにお不動さんが祀られたのでしょう。

 

 

 

 

 

 



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1 コメント

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正受院の鐘楼門 (fkaji)
2020-04-13 11:05:05
正受院の鐘楼門、形も珍しいですね。明治35年に作られたとかですが、上がアーチ状になっていて、それを下の石が支えています。もともとこういう形をしていたのでしょうか、気になります。

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