目黒不動の縁日は、28日。
江戸時代、正月、五月、九月の縁日は、特に賑わった。
お不動さん参詣の土産と云えば、粟餅、餅花、桐屋飴、と相場が決まっていて、参詣帰りの父親が
粟餅屋 餅花
二つ三つつけて 餅花 子に渡し
なんてことをしていれば、世の中は太平でした。
目黒不動の周りには、花街どころか宿屋もない、だからおかみさんたちは亭主を快く送り出すのですが、参詣を終えた男衆は急に江戸への帰り道が遠く感じられる。
厭離江戸(穢土)欣求浄土は浮世の習い。
行こか戻ろか仁王門の下でうろうろしていれば、「俺に任しときねえ、悪いようにはしねうから」と
目黒から ひっきりもなく すすめこみ
おだてられ、勧められ 袖を引かれて 四つ手の中へ。
餅花が 四つ手の中へ 二つ三つ(*四つ手は、庶民用籠)
餅花と柿が四つ手に生った様
餅花をかかげて難所へさしかかり
籠に揺られて、半刻ばかりで品川へ。
あまり重くもない財布をカラッポにせずに花街を通り抜けることの難しさ、安宅関の比ではない。
前立てを目黒帰りの見て歩き
目黒不動尊では、秘仏の本尊の代わりにお前立に手を合わせる。
ここ品川花街でも、本命女郎は奥にいて、2軍、3軍の若手がお前立よろしく顔見世に出ているのです。
その気になって、暖簾をくぐろうとすると餅花がガサゴソと邪魔になる。
餅花は 承知承知と 若い衆
邪魔だからと云って捨てるわけにもゆかぬ。
若い衆に預かってもらい、朝帰りの際、返してもらう算段。
そして忘我の一夜は明け、襲うは二日酔いのうつろなけだるさ。
餅花を 下戸取り集め 持ってくる
妓楼に上がったのは、参詣仲間全員か。
なにしろ、餅花を「取り集める」のだから、一人や二人ではなさそうだ。
だが、みんなで帰れば怖くない。
餅花を肩に、粟餅をぶら下げ、朝帰りの、高い敷居をまたぐのです。
粟餅も 嫌いや嫌いや 二十九日(*縁日は二十八日)
畳を叩きたて どこの目黒だよ
餅花でごまかそうとは太い奴
天網恢恢疎にして漏らさず、悪事千里を走って、万事休す。
大店なんざたまたま家が大きいから、座敷牢にしやすい部屋もある。
座敷牢 目黒の罰と 母は云ひ
道楽息子は、不動の金縛りもさぞやとばかり、小さくうずくまって、一件落着。
28日の縁日ではないのに、目黒不動が賑わう日があった。
富籤の日。
江戸の三富と称されたのは、湯島天神、谷中の感応寺(現天現寺)と目黒不動尊。
官許の富籤の開札は、寺社奉行監視の下、般若心経の読経とともに始まります。
人々がかたずをのんで見守る中、係りの者が、木箱の中の木札を長い柄のキリで、エイっと突き刺す。
即座に当たり番号が読み上げられ、歓声がどつと沸くという次第。
一等は1000両と夢の世界だから、誰もが一度は手を出し、そして、敗れ去る。
十三日 富札の出る 恥ずかしさ
晦日の大掃除の十三日、外れ札がひょんなところから出てくる。
女房に嫌みの一つでも云われて、笑い話で済むようならいいが、富札一枚今の価格で1万円ー2.5万円を借金して何枚も買い、あげく全部パアとなったものは、悲惨の極みに落ちる。
富札の 引きさいてある 首くくり
首くくり 富の札など 持っている
ということになりかねない。
新年からは「東京都文京区の石碑」を始めます。