▽浮間の渡船場跡(浮間3-6-17)
渡し舟ということばには、どこかメルヘンとノスタルジーが漂う。
だが、浮間の渡船場跡に立つとそんな情感はどこにも見いだせない。
道路の行き止まりは、2mを超える無機質な壁。
その向こうは、新河岸川で、かつて、渡船場があった、と聞いても、向こうが川だとイメージできないのだから、理解できないのも無理はない。
では、ここにはなにがあるのかというと、渡船場から移転した石造物が何基かある。
右から、四国八十八ケ所霊場巡拝供養塔。
孫が、文政元年(1818)建てたもので、道標を兼ねている。
その左は、馬頭観音。
渡し船には、人用と馬用があったそうで、その渡し船で渡ってきた馬たちの安全を祈願するもの。
その隣は、青面金剛立像。
えらく手の込んだ彫りで見事。
左に「天保九戊戌年六月吉日」、右に「蓮沼邑石工 小石川久佐〇」とある。
一番左は、水神宮だが、雑草に覆われて、何も見えない。
▽庚申塔(浮間3-11-26)
特別養護老人ホーム「浮間さくら荘」の一画にある。
以前は北浮間郵便局の倉庫にあったらしい。
老人ホームのお年寄りを守るという新しいミッションに意気軒高の青面金剛と見た。
踏んづけられて、邪鬼が悲鳴を挙げているが、邪鬼の下の三猿もなぜか苦しそう。
▽子育て地蔵尊(浮間3-34-24)
子育て地蔵堂の右手上方には、JRの高架線。
お堂には4基の石仏がおわす。
前面は、庚申塔と巡拝供養塔。
後列に大小2基の地蔵菩薩。
まずはメインの子育て地蔵。
「人生法界平等利益 観音寺住職 本願主啓経 法印宥〇」の銘がある。
観音寺とは、この次に取り上げる「無動山妙智院観音寺」のこと。
奥の小さな地蔵菩薩には、文字は刻されていない。
庚申塔は、安永6年(1777)の造立。
巡拝供養塔には「天保八年北足立郡浮間村 お熊源左衛門 西国・秩父・坂東 為二世安楽也」とある。
▽新義真言宗・無動山妙智院観音寺(浮間4-9-2)
観音寺の本尊は、不動明王。
明治43年の大洪水では、本堂が床上浸水、樽を二つ並べたうえに本尊を安置し、水没を免れたという。
山門を入ると六地蔵。
鐘楼が新しいのは、戦後造られたものだから。
戦時中、鉄製品の供出で、軍に押収された鐘の代わりに新しい鐘を作ったが、昭和58年、その応収された鐘がひょっこり返還されてきた。
大晦日、浮間の人たちが耳にする除夜の鐘の音は、新しく造ったもの。
空海の雲水立像は、かなりの高さだが、それに負けず劣らず高い石碑がある。
「本堂庫裡改築記念碑」とある。
北区の寺院には、不必要に大きな改築記念碑が多いような気がする。