石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

138 東京都北区の石造物-19上中里

2020-06-14 11:00:46 | 石造物巡り

東京に70年住んでいるが、JR上中里駅を利用したのは、初めて。

一つしかない改札を出る。

駅前はガランと何もない。

都内のJR駅では、利用者数が下から2番目だとか、なるほどと納得。

駅前の坂を右へ上るとすぐ、平塚神社への石段がある。

 ▽平塚神社(上中里1-47-1)

 

石段を上ると本殿の右へ出る。

鳥居をくぐらずに本殿に参るのは、抵抗感があるのは、なぜだろう。

だから、鳥居まで戻って、入りなおす。

鳥居には「文化十年」、「九月吉祥日」と刻まれている。

鳥居右側に社号塔が3基もある。

まず自然石に「平塚神社」。

ついで見上げるような高さで「郷社平塚神社」。

そして、「平塚大明神」。

「大明神」の台石には、盃状穴がいくつか見られる。

広い境内に石造物は、ほとんどない。

あるのは、車ばかり。

参道が貸し駐車場になっている。

厳かさなど望むべくもない。

石造物がないから、境内社でも紹介しようか。

菅原神社。

大門佐紀稲荷神社

御料稲荷神社

石室神社

本殿前の狛犬は、谷底から這い上がろうとする子獅子とそれを見守る親獅子か。

 

次の目的地「城官寺」は、かつての平塚神社の別当で、道路を挟んで反対側にある。

▽真言宗豊山派・平塚山安楽院城官寺(上中里1-42-8)

 

 

城官寺とは珍しい寺号だが、開祖山川城官の名を採ったもの。

由来については、後ほど触れる。

石造物が少ない平塚神社に比べると城官寺は多い。

まず、山門前から。

「本尊阿弥陀如来」石塔。

「多紀桂山一族墓」は、幕府の医師多紀桂山とその一族の墓が墓所にあるということか。

「西国六番 大和壺坂寺」は、江戸で西国三十三番札所を巡れるように模したもの。

「弘法大師」文字塔もある。

境内に入ると右手に地蔵群。

5基それぞれが大きさもばらばらなので、六地蔵ではなさそう。

しかもそのうちの一つの台石には、盃状穴が見られるので、どこかの辻におわしたものか。

城官寺は、真言宗になる前は、浄土宗寺院だった。

その名残が地蔵像群に見られることになる。

地蔵群の横には、立派な宝篋印塔。

明和元年(1764)の銘がある。

徳川家廟所前にあった奉献灯籠もある。

大猷院とは、家光の法号。

開祖山川城官は、家光に仕える武士だったが、家光が病に倒れた時、平塚神社に願を立てた。

そのお陰か、平癒した家光は感謝して、200石を寄進、小庵を平塚神社の別当寺に改め、山川の名をとって、城官寺としたという逸話が残っている。

面白い庚申塔がある。

足元を注視されたい。

三猿が置物なのだ。

こうした庚申塔は初めて見た。

石の蛙もいる。

寺の境内でよく見かけるが、どうした意味合いがあるのだろうか。

どうせろくでもないこじつけがあるのだろうが。

 城官寺の裏口を出て、右へ。

住宅地の中に庚申堂がある。

▽上中里庚申堂(上中里1-41-1)

 

 

享保六年(1721)で、三面八臂の剣人青面金剛像。

保存が行き届いていて、信仰篤い人たちがいるこをほのめかしている。

 


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1 コメント

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Unknown (maiko777)
2020-06-14 13:27:16
城官寺の庚申塔、どこかアジアンテイストで面白かったです。
足元の三猿は、どなたか陶芸家の方が作られたのでしょうか。可愛らしかったです。
真言宗ということは、佐渡の真野の国分寺と同じですね。

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