石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

136 目黒不動の石造物 22 境内東側、護衛不動尊と鐘楼他

2018-11-25 08:42:04 | 寺院

本堂に向かって右側、境内東隅に、ごつごつした岩を前にお不動さんが座していらっしゃる。

特に変わったこともない不動明王のように見えるが「護衛不動尊」だと碑文にある。

衆生を影の如くに護衛し
  災厄難を除く不動尊
    平成の御世に安置す
     内平らかに外成る 地平らかに天成る

一切の生きとし生けるものは
  幸福であれ 安穏であれ 安楽であれ
    佛日増輝 法輪乗轉

   平成二十年戌子霜月吉日
     当山 中興第十一世
           順浩代

実は、この文面は、石碑の裏面で、表には、目黒不動尊縁起が書かれている。

目黒不動明王垂迹縁起

維昔大同三年慈覚大師年甫十五随大寺廣智
闍梨自下野國赴比叡山途過武州荏原郡妻驪里
日暮投宿夜夢神人面太青黒手持劔索威猛可怖
告白我欲垂迹此地伏魔鎮國馬苟帰仰者我能了
其志願〇師以夢中事遽告廣智智曰霊夢實奇盡
留神形以傳其瑞師乃黙想所夢以朔尊像像成一
如夢所見遂安置於其地

     目黒不動尊
          開山千二百年記念奉安

護衛不動尊の後ろには、石灯籠があって、その背後にはシャッターが道を遮るように伸びて、「立ち入り禁止」となっている。

鐘楼があるが近づけない。

昭和40年(1965)建造で比較的新しい建造物のようだ。

シャッター前の樹木の下におわすのは、大日如来坐像。

そして、崖に面して伸びているさつまいも畑の一隅には、薬師如来がいらっしゃる。

大日如来も薬師如来もよく注意して見ないと見逃しそう。

 

 

 


136 目黒不動の石造物 21 本堂右側の二宮尊徳像、虚空蔵菩薩

2018-11-18 09:14:17 | 寺院

本堂とさつまいも畑の間にあるのが、二宮尊徳像。

真新しいようだが、造立年は不明。

銅像の背後に看板が立っていて、「二宮尊徳先生の教え『万象具徳』」。

どんな ものにも よさがある
どんな ひとにも よさがある
よさが それぞれ みなちがう
よさが いっぱい かくれてる
どこか とりえが あるものだ
ものの とりえを ひきだそう
ひとの しりえを そだてよう
じぶんの とりえを ささげよう
とりえ とりえが むすばれて
このよは たのしい ふえせかい 

どこか、SMAPの「世界にひとつだけの花」に通じるところがある。

でも、なんで、今、二宮尊徳さんなのか。

どうやら、尊徳先生、熱烈な不動尊信仰者で、江戸在住期間は、不動尊参詣を欠かさなかったと云われています。

参詣先は、住まいに近い蔵前不動尊が多く、次いで愛宕下不動尊。

目黒不動尊には、計3回参詣しているが、うち2回は、息子が代参、本人が参詣したのは、わずか1回でした。

本来はもっと参拝したかったのでしょうが、家から目黒不動まで、丸一日の行程となるので、仕方なかったのでしょう。

尊徳日記は、45年間の行動が毎日克明に記録されている。

下は、目黒不動尊に参詣した弘化2年(1845)9月1日の日記です。

弘化二年九月一日
 天気極上風少々、目黒不動尊参り、村田与平治、大嶋助、倅弥太郎、数右衛門等四人召し連れ、上下五人今朝五つ半頃出宅、三田町西蔵院小路氏廟所へ参り、夫より大久保彦左衛門様墓所へ参詣した後、富岡町ひくに方相訪ね、夫より三古坂宇津様屋敷志村忠兵衛宅へ立ち寄り、さらに古川通り目黒へまかり越し参詣、昼、同所にて食事をし、夫より向こう地通り出穂、入方見分けし、御殿山を通り大町通り又々西蔵院へ参り候。小路石灯籠此方にて誂へのため石屋に相頼み、夜七つ時、道中の橋通り西久保へ罷り帰り候。」

延命地蔵の後方には、ピカピカの虚空蔵菩薩。

台石裏に「平成丙甲年」とあるから、平成28年造立と判る。

新しく虚空蔵菩薩をなぜここに造立したのだろうか。

虚空蔵菩薩の周囲には、かなり太めの石柱が何本も立っている。

仏教的意味合いはなくて、単なるオブジェだろうが、それにしても妙な雰囲気。

もしかしたら山門前に架かっていた石橋の再利用かなと思ったが、社務所では、「違う」との返事。

では、新しい石材を使って何を意図して建てられたものか、そのことについては、何の説明もないので、不明のままです。

 

 

 

 

 

 

 


136 目黒不動の石造物 ⑳本堂右側の延命地蔵、さつまいも畑

2018-11-11 07:57:25 | 寺院

本堂の右側へ。

一番目立つところに「子守延命地蔵尊」銅像。

延宝年間(1673-80)、本海、山海、暁海の木食3上人が願主となって、鋳造されたもの。

台石1.7mの上に1.6mのお地蔵さんが腰掛けていらっしゃる。

お地蔵さんを見上げることは少ないから、もう一度よく見直して「やっぱりお地蔵さんだ」。

前に石柱が2本。

 

上に、左右、ひとりずつ、脇侍の童子がいらっしゃる。

右は「掌善童子」、

左は「掌悪童子」。

 掌悪童子

不動明王のセイタカ、コンガラ童子はよく見かけるが、地蔵の眷属は初めて見た(ように思う)。

台石のあちこちに、日進講の講員の名前だろうか、寄進者名が刻されている。

 この地蔵銅像を脇と背後から取り囲むように、畑があって、サツモイモが植えられている。

境内をわざわざ掘り起こして、畑にしたようだ。

看板があって、「目黒不動尊 子供会 (不動尊ラブキッズ)さつまいも畑」と表示してある。

目黒不動尊にはさつまいもの栽培方法を広めた甘藷先生こと青木昆陽さんのお墓があり、国指定史跡になっています。

青空澄み渡る
緑陰の樹木、護摩の火焔、台地の土気、
梵鐘の清音、瀧泉の水韻、風薫る境内に
さつまいも畑を作り、

親子、家族一緒に
春に苗を植え、夏に御日様と育て、
秋においもを収穫し、落ち葉を掃除し、
焼きいもを美味しく食べる。
不動尊子供会のさつまいも畑です。」

 目黒不動尊がさつまいもに肩入れする様は、縁日の日によく見て取れる。

縁日には、山門のある下の境内には屋台の店が軒を連ねるが、上の境内は一軒を除き、屋台は見られない。

その一軒というのが、「舟和」であるのが、面白い。

「舟和」と云えば、いも羊羹。

なぜ「舟和」だけが本堂前に出店できるのか、いろんなことが想像できて、楽しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


136 目黒不動の石造物 ⑲ 本堂前境内西側石仏群

2018-11-04 07:10:16 | 寺院

不動明王文字碑の両隣りには、見慣れない、聞きなれない仏さまがいらっしゃる。

左は「意志不動」

右に「微笑観音」。

Net検索すると両方ともヒットするが、いずれも目黒不動にあることが分かるばかりで、その意味合いは分からない。

"鋼のように硬く"、どんなことがあっても"揺るがない"「意志」を授けてくれる、そんな仏さんだから「意志不動尊」というのではなかろうか、と推測するのだが。。

「微笑観世音」は、三十三変化観音だろうと思っていたが、違った。

儀軌がある仏なのかどうか、しかし、三十三も変化するのだから、「微笑」観音があってもおかしくない。

当然、「苦笑」、「哄笑」、「大笑」「爆笑」観音があってもいいことになる。

「微笑観音」は、平成20年、目黒不動尊1200年を記念して造立されている。

「微笑観音」の右隣りには、狛犬。

口の表情から「吽」像のようだが、「阿」像はない。

台石がひどく破損しているのは、太平洋戦争の空爆で本堂が焼け落ちた時、本堂前にあったため、被災したもの。

「阿」像は、修復不可能なほど、ダメージを受けてたようだ。

顔が個性的で、一度みたら忘れられそうもない。

 

尾もグルグル巻いて、目が回りそう。

下の台石には、可愛い子犬が2匹じゃれ合っている。

日本武尊伝説を取り込んだものた゛ろうか、それにしては優しすぎるようだが。

上段の台石には、獅子と牡丹。

命の大敵「獅子身中の虫」を退治するために、獅子は牡丹を食べるのだという。

 

一番奥は、最近流行の「パワースポット」。

中央に「愛染明王」が座して、そのパワーは「縁結び」に発揮されるということで、若い女性を惹き込んでいる。

寺を敬遠しがちな若者を引き付けようとする寺のマーケティングと営業努力が、ここには読み取れる。

願望を書く絵馬には、赤いハートマークが浮かんで、女性の心をしっかりと射抜いているようだ。

「良縁成就のお参りのしかた」まできちんと表示してあって、作法通りに行えば、願いは必ず達成されるかに思えるから、すごい。

1、愛染明王の台座前で、絵馬を両手にはさみ、胸元で合掌する。
2、男、右側より半時計回りに、心静めてまわる。
3、女、左側より、時計回りに、心静めてまわる。
4、愛染明王の前に戻ったら、一礼をする。
  絵馬かけに、絵馬を奉納する。
 ご縁は、一人の相手に限らず、すべての人との間に成り立っています。周りにいる皆と良縁で結ばれ、調和するように広く深い慈愛の心でお願いします。

男だ、女だと分けると、LGBTの場合はどうするの?となりそう。

ほんと、この頃はややこしくて、大変です。

絵馬かけの絵馬を読んでみる。

「いい人にめぐり合えて今は幸せ」という報告もあるから、縁結びの仏として、愛染明王は、無能ではなさそうだが、しかし、その成就率は不問です。