離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

さびしさ

2020-10-10 01:01:01 | 日記
さびしさって何だろうか。

大勢の人に囲まれたり、

SNSでだれかとつながっていたら

寂しくないだろうか

結婚していたら寂しくないだろうか

恋人がいたら寂しくないだろうか

先日、街を歩いていて、

介護付き老人ホームの前を通ったときに

ふと思った。

それぞれの事情はわからないが、

人生の後半に、これまで全く関わりのない人たちと

同じホームで生活し、スタッフに助けてもらう。

認知症だったり、病気があったり、身体の不自由があるかもしれない。

家族も頻繁に面会に来てくれるかもしれない。

独りよりは良いのかもしれない。でもと。。。。

一方で、

子供や孫と一緒に暮らす。

二世帯住宅だったり、近所から頻繁に顔を出してくれたり、

そんな風景もあるだろう。

子供がいたら幸せになるだろうか。

近所にご主人を亡くして独りで戸建てに住んでいる女性がいる。

ほとんど雨戸は締まっている。

高齢で、買い物にいくのも大変だし、回覧板も1週間も停滞したりする。

子供がいるが、一年に一度程度くらいしか来ない。

それぞれの考え方、生き方があるから、自由だが、

ずっと夫婦で生きてきて、晩年はこれが理想だろうか。

老老介護で親や伴侶を殺してしまう事件も後を絶たない。

未来は現在の積み重ねであるが、といっても、予測できない。

さびしさって何だろうか。

今、この瞬間話せる恋人がいることだろうか。

今、この瞬間、パートナーがいることだろうか。

もちろん、それは寂しさの軽減になるし、心の余裕にもなる。

だが、人生とは最終的には孤独な道なのかもしれない。

そんなことも思わざるを得ない。

さびしさについて、真剣に考えることは、

人生を考えることであるように思う。

考えても仕方ないとか、ネガティブすぎるとか、

そんなことではないのではないだろうか。

逆に、真剣に考えてみるとことで、見えてくるものがあるように思う。




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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (花月)
2020-10-10 18:26:52
正直、まだまだですね、秋も深まり日が暮れるのも早まりました。帰っても誰もいない毎日、当初は食べると全て吐き出してました。体重は10キロ近くおちましたね、本当に突然に当たり前にあった日常が消えた時の辛さは耐えがたい出来事でした。自分は何とか仕事には行ってますが……
娘達に会えない地獄の苦しむ思いと共存する毎日です。
ただただ、希望の光を求めて、毎日をやり過ごしています。
Unknown (さき)
2020-10-10 20:33:54
こんなはずじゃなかったのに。この言葉に尽きます。離婚するなんて1ミリも考えていなかった。それを選んだのも私だけど。でも到底許せる事ではなく、信用もなくなった。元旦那にも、旦那の家族にも。
半年以上経って、心も落ち着いては来たけれど、でもまだどこか信じられない気持ちと、私が思い描いていた未来とかけ離れてしまった事に辛くなります。
Unknown (Unknown)
2020-10-11 15:09:48
離婚から8年経って、ようやくこれから自分がどう生きていくか、考える余裕ができた。人によっては、もっと前に折り合いをつけれる方もいらっしゃるんでしょうけど、私には時間が必要だったのかな?
何かを始めたりするまでには至ってないけど、やっと自分が買いたいモノや食べたいモノを、楽しめるようになった。
仕事は派遣で、決して裕福ではないけど、それでも、今ある環境は全て、自分にとって必要なことなのかもと、ボンヤリと感じています。
Unknown (Unknown)
2020-10-12 09:04:24
結婚生活20年別居半年後離婚して半年。
高校生の娘と中学生の息子はそれぞれ受験生です。
元嫁に新しい彼ができたみたいです。離婚してすぐ位からもしかしてもっと前からそんな感じで、今もすぐ近くに住んでいる。
彼は元嫁の家からに不定期に泊まりに来ているが、元嫁はそれを私に見せつけるかのような行動を取り続けるのです。
今日も正に今そんな仕打ちを私に与え続ける心境はなんなんだろうか?
離婚は私が元嫁を精神的に傷つけた事はあると思うが、私の不倫とかではないのでそんな仕打ちを与え続けられて今苦しみのドン底に落とされた思いでいっぱいで心が破裂しそうです。今それに耐えて生き続ける意味が見出せなくなっています。子どもたちとも会えず、何の希望も見出せない。これ以上何をどう考え生き続ければ良いのか?
それに耐える気力がありません。
孤独について (なおさん)
2020-10-17 01:12:55
ときどき拝見させていただいています。

人の生き方はいろいろですね。歳を重ねることに見えない先のことを想像してしまいます。あなた様もそうだと思います。

でもそれは誰もが経験することだと思います。生きているからには先の見えないことに不安を抱くことは当たり前です。ですがおかしなもので人はなぜかしら自分しか感じられないことや自分だけが不幸でないかと錯覚するものですね。

確かに自分は苦しいかも知れませんが、他人様にもそれ以上の方がいることも事実です。
苦しみ方もそれぞれ理由があります。

あなた様のように離婚で悩み、離婚してからも将来を悩む。また、生きるか死ぬかの病気で悩む人も居るでしょう。はたまた、仕事をクビになり家族を養っていけなく悩む人もいるでしょう。

人はどうしても自分中心になります。他人のことよりも自分のことです。その矛先を少しでも変えていけば不安よりももっと充実した生活になると思います。

自分の周りで起きること、社会に納得いかないことにイライラする人。そんな人は自分重視よりもっと人のために考えてあげるほうが充実できます。

悲観的なことを思うより、いい事をすることですがすがしい気持ちになることのほうが大事だと思いますよ。

私は長年カウンセラーの仕事もしてきましたが、仕事だからといって自分中心に相談者にアドバイスすることはありません。

なぜなら、どんな相談者も困っているからその解決の緒が欲しいんです。しかし、アドバイスをしてもそれを真摯に受け止める人はあまりいません。

それは相談者は自分の期待する答を教えてくれる人のみ信じられるからです。
要するに自分の考えに同調してくれる人。
そこに安心が生まれます。

だから相談者にいくらアドバイスしても自分と考えの違うことを言われるとほとんど方が受け入れようとしません。

話し長くなりましたが、悩みの答は自分の期待する(自分の考えに近い人)ことを言ってくれるひとしか耳に入らないものです。

人生の最後は誰もひとりボッチです。たとえパートナーがいても一緒には死ねません。子供がいても子どもは面倒を見てくれるとも限りません。

歳とともに不安が募ることでしょうがもうすこし前向きに生きていくこと、これからいろんな楽しいことがあると思うほうが充実すると思います。

勝手な考えを書かせていただきましたが少しでも充実した日々を送れることを願います。

またコメントさせていただきます。
Unknown (behonestasmyself)
2021-11-26 22:32:50
生まれるとき、なにも持たずにひとりで生まれ、

死ぬとき、なにも持たずにひとりで死ぬ。

生まれるときは母の胎内にいたのだから孤独とは違うとしても、死ぬときは著者様の仰るとおり、ひとりで旅立つしかない。

さびしい、というのはなんなんでしょうかね。

最近、

ぜんぶ一時的な自分に過ぎない、

という考え方に触れて、それが腑に落ちて、

それはつまり、諸行無常
自分というものも無常であって…もしかしたらそれは諸法無我、ということなのかもしれませんけども、

そして、いまこれを書いている私のほかに、本当に無数の私が同時存在していて、

そのどれに固執する要もなく、
すべての自分が一時的なのだと

そう思えて、しんどいときも、それは一時的な自分に過ぎず
以前は、しんどくなると、「ああ、やっぱり最後はしんどいところに還ってくる…しんどいのが真実なのだ」
と思ってしまったのが、

しんどいのも一時的
楽しいのも一時的

還ってくるべき本当の自分というものはない

どれも本当で、どれも一時的
どれもどうでもよくて、
どれも大切

そんな感覚を持つようになりました。

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