日本の歴史はムー文明を継承する1万年以上も前から数千年にわたって続いた縄文文明に遡る。ムー沈没後に生き延びたレムリア人の子孫は、エジプト・メソポタミア・ニュージーランド・ハワイ諸島など世界の各地に分散して生存を続けた。日本列島はムー文明の時代にもムー大陸と共に存在していたが、相次ぐ地震・津波・火山噴火によってその形を大きく変えていった。
【竹内文献】には200万年から数十万年前とされる地図が描かれていると言う
日本列島に避難したレムリア人は各地にムー文明に存在した巨石建造物を再現しようとした。
弥生時代が開始した紀元前3世紀以前の縄文時代末期から日本列島に侵入した漢人(あやひと)を始めとする渡来人の一団が日本各地に散在するレムリア人のコロニー(邪馬台国)を侵略してムー文明の伝統を破壊して、生き残った縄文人を奴隷支配した。この奴隷支配は、アトランティス大陸の沈没を逃れて異星に移住したネガティブな異星人(アヌンナキ)がアトランティス文明の子孫を使って、ムー文明の遺跡を破壊し自らを神として崇拝する宗教を押しつけようとする陰謀であった。
6世紀に日本に伝来したとされる仏教は、もはや釈迦の教えを歪曲した人民支配の道具と化していた。それは、近代以降の闇の勢力がイエズス会を使って「キリスト教布教」を名目にしてアジア・アフリカを植民地支配してきたのと同じ手口だったと言える。
当時の日本は仏教文明の移入を求められると同時に。神道の伝統を残さなければならないという史上最大の困難な状況に置かれていた。この難題を解いたのが聖徳太子の考え出した神仏習合政策だった。グローバリズムとナショナリズムの相克はすでにこの時代から始まっていたのである。
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