平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

エジソンの母 第5話

2008年02月09日 | その他ドラマ
★今回は良い絵・悪い絵

 絵画とかこと表現にされるものに関しては良い悪いの判断をしてはいけない気がするなぁ。
 とは言いつつ、このブログでも作品の良い悪いを書いているのだけれど。

 小学校一年生の勉強って何だろう?
 これから始まる勉強の基礎となることを教えるものなんだろうけど、まずは勉強することの楽しさを子供たちにわかってほしい。
 今回で言えば、絵を描く楽しさ。
 絵を描いて「これは悪い絵です」「才能はありません」と言われたら、絵が嫌いになってしまう。
 それに松平先生(片桐はいり)の言う良い絵、悪い絵の基準はよくわからない。
 子供らしくのびのびと描きなさいと言っておきながら、お母さんは赤で黒く塗ってはいけませんと言う。ゴチャゴチャした絵はいけないと言う。
 子供らしい絵がシンプル・単純明快で色は決められた色で塗らなければいけないとすれば、それこそのびのびとは正反対の型にはめる作業だ。
 いずれにしても良い悪いは個人的、主観的なこと。絵は楽しく描けばいい。
 それで絵が好きになれば、子供たちは絵について自分なりに研究していく。試行錯誤していく。

★先生とは?

 今回は先生のあり方についても言及。
 規子(伊東美咲)は「自分には子供たちの絵を評価する資格なんてない。絵を深く勉強したわけではないし、どの絵もいい絵に見える」と言う。
 その発言の根底には「絵は自由に楽しく描けばいい」という思いがあるのだが、規子の教師としての自信のなさを表明してしまった。
 これは1+1=2であることを賢人(清水優哉)に説明してみせた規子とは大きく違う。
 もし今までの規子だったら「絵は自由に楽しく描けばいい」ということだけを説明しただろう。
 これにより親たちは不安に。こんな先生でいいのだろうか?
 賢人の母・あおい(坂井真紀)には「未熟だから信頼できる。いっしょに歩いていける」と言われるが、規子には『未熟』という言葉のみが心に残ってしまう。
 作者はここで規子の教師としての成長物語を持ってきた。
 今までと違う展開。

 人はオトナになると積極的に勉強することをやめてしまう。
 オトナが勉強を始めるのは、自分がまだまだ未熟だと思った瞬間だ。
 今までの自分が否定された瞬間だ。
 規子にその試練がやって来た。
 この試練を経て、規子がどの様な教師に変わっていくか?
 これは大きな興味。
 少なくとも教育に身も心も捧げている先生ならバレンタインにひとりでいることに落ち込んだりしないはずだ。
フツーの先生、規子はどの様な先生になるのだろう?
 あるいは賢人が大人になった時、ノーベル賞を獲った時、規子がどんな先生で現れるか?
 20年後、30年後の規子をぜひ描いてほしい。


コメント
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