toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

399-300825いい番組だ、ポツンと一軒家

2018年08月25日 | もろもろ

お昼を済ませたあと、BS放送にチャンネルを合わせた。幼き頃親に連れ

ていってもらった西部劇映画、「駅馬車」をやっていた。ジョンウエイ

ンが若い。疾走する駅馬車をインディアンが追いかける、馬車の屋根か

らJ.W扮するリンゴキッドがそれを狙い撃ちする。このシーンだけが記

憶に残る。後年の実証的な西部劇映画に比べると細部の作りが粗い。

鉄輪を嵌めただけの木製の車輪で、荒れ野をあのスピードで走れるわけ

がない。

 

その晩のテレビ番組で「ポツンと一軒家」を見る。今日の圧巻は佐渡の

一軒家。以下の写真はテレビ画面を撮影したものです。

スタッフが現地に行って取材してみると、意外なことが解った。日本種

のトキの最後の一羽 キン が死ぬ前からトキの保護に取り組んだ方の

家だった。その御方は亡くなられたが、息子さんがそれを受け継いでい

る。周囲の棚田はトキのエサ場。

中国からの送られたトキの人工繁殖が成功して、佐渡には200羽近い

トキが野生に帰って生息しているらしい。日本種のトキはこの山奥のエ

サ場に頻繁に飛来し、小動物をエサとしていた。しかし人工繁殖で増え

たトキは国中平野の民家に近いエサ場がお好みらしい。日本種と中国種

DNAの違いか、人を怖がらなくなったのが理由か? こんな山奥まで

ってくるのは、年に2,3回なのでそうだ。それでも息子さんは、彼

が飛んできたときのために、常日頃からエサ場の環境を整備し続けて

る。

佐渡には観光で2回行った。いずれも人工繁殖が軌道に乗る前で、この

ような光景は見たことがない。

桃色とかピンク色とかありきたりの言葉で表現できない朱鷺色。こんな

素晴らしい鳥の飛翔が見られたら嬉しい。これを見られるのだら、3回

目の佐渡を旅したいものだ。

ひとくちに自然保護と言ってしまえばそれまでだが、大変ご苦労がある

ことが察せられる。田や畑は手入れを怠ればすぐに原野に戻ってしまう。

それだけ自然の回復力も強いのだが、保全と放置の兼ね合いが難しい。

この番組は所ジョージ以下の出演者が極力目立たないように振舞ってい

るのが好印象。オーバーな言葉で騒げば場を盛り上げられるとばかりに

大声をあげるタレントが目立つだけに、この控えめな態度がよろしい。

ただ、

初対面の50歳を過ぎた方々にレポーターが「おとうさん・・・」「お

かあさん・・・」と呼びかけるのにものすごく違和感を抱く。NHKの

「鶴瓶の家族に乾杯」でも頻出する。こんな問いかけをうけたら「君か

らおとうさんと呼ばれる筋合いはない。」と答えるかもしれない。

お年寄りに向かっての「おじいさん・・」「おばあさん・・」あるいは

幼子に向かっての「坊や‥」「お嬢ちゃん」には違和感がない。

何故なのだろうか? 単純に慣れの問題なのか? 両親と実子は濃密か

つリアルな関係なのが原因かもしれない。話題になってすでに30年は

経つが、今もってら抜き言葉への抵抗感はいまも続く。

                         2018.8.23 記

 

 

 

 

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398-300818コメの作柄は良か・・

2018年08月18日 | もろもろ

 

終戦記念日(実態は敗戦だが、敗戦記念日というのは自虐趣味)の正午

にテレビの式典に合わせて黙とうする。あの時代を偲んで今日はすいと

んを作って食べる方々もおられるとか。微かに当時の雰囲気の記憶を持

つ世代だ。近くに住んでいる孫でもいればその記憶を話して聞かせ、彼

らの世代にも記憶を引き継ぎたいと思うのだが・・ 

夕立を気にしながら散歩に出る。殆ど住宅地に変わったが、かっては平

坦な地形に水田が拡がっていた。住宅に囲まれて取り残されたような

んぼに稲の花が咲き、たくさんの誕生間もない実がついていた。もと

と熱帯の高温多湿の風土から生まれた植物だ。この暑さで豊作は間違い

あるまい。

 

お盆でがら空きのプールで泳ぐ。3年前の始めた頃に比べれば、別人の

ように上手になった(と勝手に思っている)。どうあがいても早さを競

う年齢ではない。のんびりと泳げればそれで良しとしなければ身体にマ

イナスの反応が出てしまう。それでは本末転倒。

と、悟りきったようなことを言うが、まだ巧くはなりたい。お仲間作り

を兼ねて教室にも入る。そこでしつこく言われる。力まないで・・身体

がぶれないように・・等々。理屈は理解できても身体が反応するに

は、だまだ練習が足りない。ゴルフと同じだなとつくづく思う。

水を力一杯掻くのでも、足で強くキックするのでもない、水中で身体が

伸びる感覚、これを掴めればスピードに乗った疲れないきれいな泳ぎが

できるのだ。その入り口でもうしばらく足踏みしている。それでも

るか? もう少し続けよう。続けていればその僅かな覚を掴めうな

ときもあるすぐ逃げていってしまうのだが。

夕方の散歩に次いでコストパフォーマンスがよろしい。仲間は欲しいが、

競いたくはない、指図めいたことを言われたくない、自分のペースで続

けたい。よくよく考えるとわがままな性格だな・・

 

朝から夕刻までカラッとした晴天になった。昨日までの不快な湿気と暑

さがうそのようだ。陽射しが強烈でサングラスなしでは戸外を歩けない。

途中で改装はしたが我が家は東京オリンピックの頃建てられたもの。今

風とい窓や隙だらけの家。全部の窓、ドアや障子を開け放ち、秋を

もたらす心地よいの通り道を確保し、吹くがままにさせてやる。これ

ぞ兼好法師のう日本の住まいか・・ 

                         2018.8.17 記

 

 

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397-300811アブラゼミよどこに消えた・・

2018年08月11日 | もろもろ

 

戸隠神社奥社参道。戸隠観光協会のパンフレットにあった写真。小さいのはほぼ同じ場

所から撮った私のもの。

時刻こそ違え、こんな写真を撮ることができない。経験、粘り、時間を苦にしない自由、

機材とそれを使いこなす能力、表現力、センス等私には足らなものだらけです。

写したいものは何かを明確にしなさい。一枚にあれもこれもと欲張ると平凡なものにな

ってしまいます。それを忠実に守って撮影しているが、較べてみれば度が過ぎて品格が

ない。  

観光協会の写真を見てみよう。 

 ① 撮影者は杉並木の高さと参道の奥行きを強調したかったのか。→ 表現力

 ② 樹間に刺しこむ朝の光を取り入れようと、朝早くから待機していただろう。

    → 時間を苦にしない自由

 ③ 随身門の通り抜けの空間を参道正面に置かず、少しずらして写している。

    → センス、これだけで品格が増す。

 ④ 随身門を画面の下に配置することで、並木の高さが際立つ → これもセンス

 

 

この夏、昔と変わってなと実感した事がある。

アブラゼミの声を耳にすることが無くなった。代わって街中でもミンミ

ンゼミの鳴き声が目立つようになったこと。我が住む街ではかってはセ

といえばアブラそして立秋を過ぎたあたりからツクツクボウシが混じ

るのが普通だった。ツクツクは独特の鳴き声で去り行く夏と待ち焦がれ

る秋を象徴していた。ミンミンやヒグラシはもっと山へ行かないと耳に

することはなかった。

ところがこの夏、街中で聞かれるセミはミンミンばかり。アブラはどこ

に消えてしまったのか? よく知られているようにセミの地下生活は数

年に及ぶ。ということはこの異変はすでに数年前に始まっていたという

ことか。

子供の頃夏休みの遊びのひとつが蝉取りだった。普通の子供でもアブラ

は簡単に捕まえられる。ツクツクは小さくて敏捷、普通の子供には捕れ

なかった。偶に捕ろうものなら仲間内では大将。夕方セミの幼虫が地下

から地上に出てくるところを捕まえて家のスダレや蚊帳に留まらせてお

くと、翌朝にはぶよぶよの羽を折りたたんだ姿で脱皮する。当時の大抵

の小学生は夏休み中に絵入りでその様子を観察し記録して宿題の成果と

した。99%以上の子供たちはそれで宿題終わりとなって2学期の秋を

えるわけだが、まれにこうした生物の観察を大学の先生顔負けに詳細

行い、更に研鑽を重ねてその分野の大家になってしまうケースがある。

私の友人にもひとりいる。好きなことをやって飯を食える境遇を妬んだ

ものだったが。

 

セミの鳴き声は数ある俳句の季語の中でいちばん季節感を感じる。

 閑かさや  岩にしみいる  蝉の声      松尾芭蕉

 みちのくや 出羽に出でても 蝉の声      正岡子規

 月ながら  雨いくたびや  油蝉       萩原秋櫻子

 あかつきの 蝉とききつつ  又ねむる     山口誓子

 いちはやく 日暮るる蝉の  鳴きにけり    飯田蛇笏

以上の出典元は https://wabisabi-nihon.com/archives/22643 

 暮れてなお 命のかぎり   蝉しぐれ     中曽根康弘 

 

原稿用紙1枚に情景説明されたものを、はるかに凌駕する僅かの文字の

み合わせ。俳句の凄さ、素晴らしさ。

ほんのひとときの猛暑からの精神的逃避。

 

増田悦佐著「奇跡の日本史」副題「花づな列島の恵みを言祝ぐ」という

本を読んでいる。

日本史で習う徳川幕府の「鎖国政策」は否定的に教えられることが多い。

しかし、鎖国真っただ中の1700年後半、飢饉で苦しむことはあった

が大きな戦争はなく、日本は平和だった。伊能忠敬が徒歩で測量して歩

いたのもこの頃。一方フランスではフランス革命が勃発した。その残虐

さは日本では考えられない。鎖国であったがゆえに、ユーラシア大陸の

ヨーロッパとは反対側に位置する地理的条件も加わって平和が保たれて

いた・・・

最近の天候は刺激的だが、それでも世界と比較すれば穏やかな気候、穏

やかな国民なんだなと思い至る。

【革命という盛大な殺し合いを経ないでも政治社会を変えられるというこ

とは、何ものにも代えがたい日本人の持つ美点であって、革命なしで近

代的な市場経済が確立されたことの有利さはまさに筆舌に尽くしきれな

い。】

著者はこうも言う。「日本のいい加減な政治風土は、すばらしい。」

本書 第6章 革命が革命にならないいい加減な政治風土  から

 

 

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396-300804高原の涼風に身を置きたかった・・

2018年08月04日 | 旅行

戸隠神社鏡池の朝

 

異常な暑さが続く。エアコンをためらわずに使いなさいとの警告が再三

テレビで流れる。この暑さが7月下旬の学校の夏休み以降に始まったの

なら、41.1℃の測史上最高気温も含めてこんな夏があってもいいか、

と納得がいく私の備忘録によればこの暑さの始まりは当地では6

29日。7月4日からの西日本豪雨前後の5日間と異例のコースをたど

た台風12号の通過で2日ほど凌ぎやすくなったのを除く、ほぼ一ヵ

月以上35℃を越える猛暑と熱帯夜が続く。まだ旧盆まで10日もある。

お盆が過ぎれば一気に秋の気配ということになれば、暑さのピークが前

倒しになっただけだで一年を通せば釣り合うと解釈できる。どうもそん

な生易しいものではなさそうだ。地球環境自体が変質してしまったのだ、

こんな説が登場しそうだ。

 

週初めにせめて高原の冷気に触れようと戸隠神社を訪ねる。

国道18号に添って車を走らせる。30代から40代初めの頃、仕事で

数えられないほど通過した道だ。長野道を使わずその頃の記憶をたどり

ながら国道を走るのだが、当然ながら随分と様変わりしている。上田の

手前の海野宿に寄ってみる。何度来ても昔日の面影をよく保存している

と感心する宿場だが強烈な日差しで人通りが絶え閑散としていた。

 

上田市内で代替わりしていたが、当時よく利用していた食堂で食。特

のアジフライ定食は相変わらず美味い。2枚のフライは完食したが、

イスは半分以上残す。40年も経てばこうなるのは必然か。

長野道と中央道が出逢う更埴インターの辺りは当時の風景とはすっかり

変わってしまった。善光寺はパスして戸隠神社に向かう。

奥社参道の隋神門

戸隠神社奥社の参道は駐車場から直線の一本道。樹齢400年の杉並

は強烈な太陽光線を遮断し、気持ちの良い日陰が続く。しかし風がなく

蒸し暑く、奥社に近づくにつれ傾斜を増すので汗だくになる。この並木

のメインは隋神門を過ぎてから現れる。車の排気ガスには無縁。日光杉

並木より格段に環境に恵まれている。樹肌が赤みを帯びて天を突く。説

明板にはクマスギとあった。樹勢盛んで幸せな並木だ。 社会の変化が凄

まじい世にあって、変わらぬ光景には癒されるな、と思いながら奥へと

進む。

 帰りは鏡池周りで帰ろうと予定していたが、熊出没注意の警告板があち

こちにあるので止めておく。

今夜は宝光社前の宿坊。夏休み中なので満員かと思いきや一組で貸し切

り状態。手の込んだ精進料理を味わう。この年代だ、量は少なくても一

向に構わない。たったの一組の宿泊客に精一杯のおもてなし。よく冷え

た地酒がたまらない。

 

例により朝早く目が覚めてしまうので、朝食前に昨日寄れなかった鏡池

へ行ってみる。もう1時間早ければ、朝霧を纏った幻想的な風景に接す

ることができたと思われるが、その雰囲気の一端は味わえた。

2日目は宝光社と中社を見てから奥社の駐車場近くの忍者屋敷による。

子供騙しかと思ったが、どうしていろいろな工夫がされていて楽しめた。

親子三代家族と共に回った。一人で入ったら出るのに苦労したかもしれ

ない。斜めの部屋には笑ってしまった。20畳くらいの15度程傾斜し

た外部が見えない部屋。目は傾斜を感じないが三半規管は感じている。

その感覚のズレを脳はどう対処してよいのか迷っている。目が回るよう

な感じに慣れるのに少し時間がかかった。隣の部屋に抜けようと思うが

体が前に進まない。四つん這いのように重心を前にかけて出口まで進む。

最後の部屋は出口が解らない。みんなで周りの壁を押したり引いたりし

たがダメ。部屋の上部の明り取りから外の木々は見えるので怖くはない

が、15分間も閉じ込められると一人では不安が生じてくるだろう。敢

えて脱出方法は書かないのがこうした施設への礼儀か・・

黒姫高原はとても開放的な雰囲気。日射しは強いが木陰に設置された木

製のベンチで1時間足らずだが目的とした高原の涼風に身をさらす。

 

持てる才能を発揮しないまま学徒出て戦場散った画学生たちの遺

作を展示してある無言館(上田市郊外)に寄って旅の仕上げにしようと

したが、休館日でがっかり。熱い西日に背中を焼かれながら家路につく。

今年の暑さをことのほか感じた2日間になってしまったのは皮肉。 

 

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