toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

599-040527ソバ苗の植付だろうか?

2022年05月27日 | 季節の変化

暗い杉の人工林の中に緑が光る。

赤城山西山麓の林道を走っていて目に入って光景。いっぱいに拡がる樹々の緑も撮り飽きた。すれ違う車もない

簡易舗装の狭い、まるでポツンと一軒家に向かうがごとき林道をしばし車を走らせる。

その先に一軒家はなかったが、それなりの光景が拡がっていた。

 

何だろうか? 薄暗い杉林を抜けた少し広い空間にミニ北海道的な畑を見つけた。明らかに人工的は播種した植

物。トラクターで撒いたらしいがこの幼さではなんだかよく判らない。もしかするとソバ畑かな?

ここより少し北にいけば、そこは昭和村の広大なこんにゃく畑が赤城山の斜面に拡がっている。北海道の馬鈴薯

畑のような光景。戦後に開拓者の皆さんが苦労して開墾した農地だ。

 

赤城山と榛名山の間を利根川が南流している。古代から二つの山は噴火を繰り返して共に長大な裾野を形成した。

今いるところは赤城山の斜面。写真はそこから利根川対岸の榛名山を眺める。

扇状地はこうして作られていくという見本のような光景が拡がっていた。榛名山の小河川の一つが利根川に向か

って流れ下る。大雨の度に土砂を押し流す。子供の頃、庭で泥んこ遊びの時、泥の山におもちゃのジョウロで水

をかければこんな形で泥山が崩れていったな・・・

 

押し流された大小の石、ひとつひとつが家庭であり一家団らんの場。

 

都会を走る満員電車が駅に到着する。一斉に乗客が降り始める。降りる人の流れが途絶えると乗客が一斉に乗車

口に殺到する。 この時の人の流れは米櫃のコメ粒のように真ん中がへこんだ漏斗状になる。意志ある人間の動

きも、集団になるとその動きは一粒のコメや豆と変わらない。

連休時に高速道路の自然渋滞も同じ原因と聞いた。緩やかな下りが続き、その先次第に緩やかに登りになる地点

は渋滞必至の場所なんだそうだ。

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598-040522爺さん二人で碓氷峠を歩く

2022年05月22日 | 山登りというより山歩き

友人の一人が中山道を木曽の入り口辺りまで何回かに分けて歩く計画を実行に移した。松井田宿までは歩いた

がその先の碓氷峠越えは山道となるので同行して欲しいと誘われていた。

私も過去半分までは歩いたがその先の峠までは歩いてなかったので、二つ返事で二人で踏破することにした。

霧積温泉入り口に車を置いて街道に分け入った。素晴らしい新緑の中を貫いて先に延びる街道。有名無名の幾

多の人々に歩かれた道。嘉永〇年曽祖父利忠も千葉から岩村田に婿入りする際通ったに違いない。幾多の先人

の息遣いを感じながら歩きとおした。

 

途中でメガネ橋に降りる道経由で戻るつもりだったが、二人とも足が軽く感じたのでそのまま熊野神社まで足

を伸ばしてしまった。普通はここから軽井沢に降りて、バスで横川までまたは新幹線で戻ればどうということ

もないのだが、車を回収する必要があり往路を戻る。

 

有名なのぞきから見る坂本の町並み。

 

陣場が原とかいうところで、道は二つの分かれる。左が本来の中山道、右が和宮降嫁の際に新しく作られたと

和宮道。後者は幅があり軽4輪車と思われる轍があり傾斜も緩い。行きはこちらを歩いて熊野神社まで。

神社からの帰りは中山道を使ったが傾斜もきつく完全な山道。いくら昔といえこれが当時の五街道と言われる

道と疑うような悪路。しかし迷うこともない道を通りこの分岐に降りてきた。

ここまでで爺二人の足はかなり疲労が溜まっていたが、ここで歩くのを止めるわけにはいかない。大休止をと

り、メガネ橋を目指す。

結局、この後更に10km近くの歩行を強いられてしまった。下りに使った明治天皇巡行路と言われている立

派な山道はモミジの新緑に囲まれた素晴らしい所だった。周囲に杉の木がない落葉樹だけの森というのはかく

も感動的な景色になるんだ。林業関係者には申し訳ないが杉の造林地は里山歩きの愛好者にとっては味気ない。

 

20km近く、3万歩を越えた歩数。歩きとおした満足感、達成感は久しぶりに感じるものだった。

しかし80歳越えの爺二人にってはその代償は大きく、筋肉痛と関節の痛みで昨日は満足に歩くこともできず

ブログ更新の気力も失せて静かにしていた。

 

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597-040513登山用地図アプリをカーナビとして使ってみた

2022年05月14日 | パソコン・IT

今週も車を使っての緑探しの探索。今日は藤岡市の西を流れる鮎川を遡る。渓流釣りに嵌っていたころ何度と

なく分け入った渓谷。一時奥の方までゴルフ場が乱立して、雑草除去のために散布された農薬が渓谷に流れこ

み住み着く魚に奇形が生まれたと騒がれたこともあった。大半のゴルフ場は太陽光発電の基地になり、今は落

ち着いている。

 

渓谷の左岸の中腹に臨済宗と思われる古刹がある。45度越のとんでもない急な階段を上って境内に入った。

のんびりした時間が流れていて好ましい。さすがに手すりにつかまって上り下りしないと不安。

 

何というサボテンかは知らないが、斜面に立つ寺を支える石垣に可憐に咲く。

 

 

今回のドライブの目的は、里山徘徊で道なき道を歩くとき重宝している地図アプリをカーナビとして使えないもの

かを確かめたかった。結論を言えば素晴らしい機能が十分に使用できる。レノボ製のアンドロイドタブレットをこ

の位置に置く。地形図としては粗い平面的な車載用カーナビに比べて国土地理院1/25000の地図上で現在地を

確認できる。山の傾斜、集落の規模、植生等々地図好きにはたまらない。もちろん詳細に見るときは停車して。

 

スマホのテザリングという機能を作動させて、タブレット端末と繋いで表示させる。少し慌てたのは山奥に進んで

行くと4G電波が届かず、現在位置周辺の地図が空白になってしまうこと。タブレット単体には4G電波受信機能は

ない。解決策は4Gが繋がっていてテザリング機能が生きているうちにこれから先に通る地図をキャッシュメモリ

ーに保持することと解った。そうしておいてオフラインモードに切り替える。現在地特定用のGPS はタブレット単

体で受信できるので、4Gをキャッチできない山奥でも機能は使える。

新しい手法が理解できると嬉しいものです。

 

 

 

災害復旧工事のため通行可能時間帯が切れる直前にその現場を通って、鮎川渓谷から甘楽町の雄川渓谷へ降りるべく

ひと山越え雄川最奥の甘楽町那須集落に出てきた。噂に聞く蕎麦屋で昼食にするつもりだったが、コロナ感染予防の

ため暫く休業の貼り紙。本当はGW後の骨休みの時期か? その店の裏を河原から望む。

 

稲含山東山腹に突き上げる雄川。これから先の侵入を許さんぞとばかりに威圧する大規模堰堤と巨岩。

上信越道富岡インターから30分もあれば着く地点だが、観光目的のいきずりの者には渓谷のドンつまり感が出てい

て雰囲気ある結構な集落でした。

 

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596-040507唯々緑のトンネルを抜ける

2022年05月07日 | 季節の変化

根古屋城址への山道

 

昨夜の計画では榛名山群雌岳に登る予定だった。しかしいまいち登ろうという気力が湧かない。天気快晴と

いうのに・・

過去一週間大して歩いていない。これではいかんと昼食後車で15分の根古屋城址登り口から山道に入る。

駐車場は金井沢古碑が大切に管理されている公園の脇、何度も見たが改めて見学に立ち寄る。

 

 

左が立派な建物内に保管されて居る古碑。川を渡るといきなりの急登が待っている。おおよそ300段ほどか?

まだ準備の出来ていないからだが悲鳴を上げる。ゆっくりと登り15分後には大分楽になる。登りきると鮮

やかな新緑の森の中を歩くようになる(冒頭の一枚)。急登のご褒美か。癒される新緑。こんな中を午後の

ひと時をのんびり歩ける贅沢に感謝。

 

200m足らずの標高の丘陵だが、派生する微かな道が縦横に走る。今日は始めての道に踏み込んでみる。

地図上明らかな破線はあるのだが、途中で藪の中に消えてしまった。時間があればそこを突破するのも楽し

いものだが、今日は止めて引き返す。

 

途中でわらび採りのご老人と出会い30分も話す。娘さんが知床の根元に嫁いでいるので、観光船沈没事故に

深い関心がある。あの船かどうかは覚えていないが同じコースで半島の先端まで行ったと話していた・・

 

帰途、更に別のご老人と会う。ご老人はこの丘陵の生き字引のような方。私が疑問に思っていたことを明快

に解説してくれた。この方とも30分の会話。

 

金井沢碑の解説版。

碑文の内容は解らないが、この地に置かれたのは神護3年とある。帰宅後歴史年表で調べると西暦726年。

法隆寺建立から120年後、大仏開眼の50年前からこの場所にあったわけだ。

 

ここでボランティアの案内人の方と今度は40分も話し込んでしまった。私より一回り下の方か?

夕方だったので見学者も絶え、手持無沙汰だったようだ。話は多岐にわたった。男としてはお喋り好きの私

は一人でどこかに行ってもその先々でお喋り相手を見つけては楽しんでいる。

 

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