toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

395-300728閑話・・

2018年07月28日 | 車・自転車・機械

碓氷峠越えのアプト式トンネルの遺構。  2016.8

 

回数はさすがに減り、かろうじて週1回程度だがスポーツ自転車を楽し

んでいる。もう15年になるだろうか。堤防上の自転車専用道路を主に

走るが、そこに行くまでに一般道を使う。可能な限り車の少ない路を選

ぶ。まだ不安なく走れるだけで幸せです。先日こんな動画を見たので紹

介する。↓   英語版だったり、見たくなくても表示されるPR画面はスキ

ップしてください。

https://www.youtube.com/watch?v=rgo-yEaXDzA

 

自転車はチェーンで足の力を後輪に伝える。一部ベルト駆動もあるが、

今もチェーンが主流だ。この駆動方法は伝達ロスが発生する。その原

因はチェーンの弛み。数%のロスは仕方ないという。そのロスを少な

くできないか? そこで考えだされたのが、こんな駆動方式。実に面

白い。暫く眺めていた。話の内容は理解できないが大体は予想がつく。

 

話題を変える。

誰もがスマフォを持つ時代になった。同じ省略形だが、よりフォ

方が適正か。どうせ和製英語だろう。どちらでもいいのだが。

その持ち方が男女で大きく異なる。つれあいは革製の専ケースに入

れ、それを気の効いた小袋にしまい込み入れ、更にバッグ等に入れて

持ち運んでいる。着信音が鳴る。バッグを開けて小袋から取り出し、

ケースを開けるという動作の後に話したり画面を見ている。正直カッ

タルイ。私はといえば、そのままポケットやバッグに入れるので彼女

のよう中間動作がない。どちらが正解か?

70年の人生で手にした最も便利な道具だと思っている。便利な物な

全て良しとは思わないが、個人の荷運びの手段はリヤカーだった時

代に生まれて、こんな具も使える時代を生きている。道具の観点か

ら見れば、史上最も変化の大きな時代を共にしきた幸運に感謝。

スマフォは何より頑なフレームであることが何より重要。2回ほど

落としたが幸運にもから落ちたので何ともない。しかし表示画面側

から落ちたらタダではむまい。壊れたら買い替えれば済むが、困る

は紛失。プライバシの塊が見知らぬ他人に渡ったらたまらない。

こでこんな工夫をしいる。丸いリングに指を入れて使う(落下予

防)持ち運ぶ際は小なカナビラで着衣のどこかにひっけておく(紛

失予防)。

 

自分しか知らない暗号を入れなければ、画面が開かない。最低限の防御。

 

お正月頃、市立図書館に予約した浅田次郎著「おもかげ」が半年経っ

うやく順番がきた。予約時は40人待ちだった。過去に例がないよ

うな進路を進みつつある台風12号が気になり、西日本豪雨の被災地が

心配だが、本を読みながら静かにしていよう。 期待度大。

 

 

コメント

394-300721猛暑の私なりの過ごし方

2018年07月21日 | もろもろ

 

昨年夏の写真だが、群馬県下久保ダム湖のある風景。こんなシャッター

チャンスなんて滅多にない。

その近くの曹洞宗の古刹で見かけた三波石の圧倒的な存在感。

 

泣きをいれてもどうにもならないので、猛暑に打ちひしがれながらもエ

アコンの効いた所を探し歩いている。今週は群馬県歴史博物館で開催さ

れている催し物を見てきた。

 

http://grekisi.pref.gunma.jp/96exhibition.html

 

国や各地の資料館から拝借したとの説明書きの付いた、本来ならそこま

で足を運ばないと見られない沢山の資料や実際使用された道具類を見て

回った。入場券に印刷されているように、暦、地理天文、和算等の資料

から見た江戸の科学の高い水準を知ることができた。伊能忠敬が全国を

測量して回ったことは良く知られている。そのすごさは当時では老齢隠

居の歳からこの快挙を成し遂げたこと。和綴じの和紙に筆で書かれて小

さな字の中につれあいの実家がある安中市郷原、原市の地名がはっきり

読み取れる。この測量行で忠敬は北国街道から中山道に入り信濃か

氷峠を越え坂本、横川、松井田と歩を進める。ただ歩くだけではない。

正確な歩幅で距離を測り、それに基づいての三角測量でこの地点な

義山の頂の高さを測量しただろう。夜間晴れていれば欠かさず北極星の

角度を詳細に測り、緯度の変化を細かく記録している。

松井田宿と郷原の間、琵の久保ある石作りの大き常夜灯も忠敬

眼に触れたと思うと、意味を持った歴史遺産として再登場する。

 

ブースを変わると和算の大家関孝和に関する資料。西洋の数学者との接

点なぞあり得ないにも関わらず、独自の視点で微分積分を体系だって研

究している。特に円周率を求める独特の方法に感心する。心地よい館内

での2時間半は充分に満足する午後だった。

 

7月入りしたら首筋が痛くなり、一時は少し頭を傾けるだけで激痛が走

る。悪いことは重なり左耳が急性中耳炎になる。先月末何かを掴んだ感

じがあり、それを確認する大事な時期だったのに、泳ぎは禁じられたの

は辛かった。暑さの中外出もかなわず、こうなると読書に逃げるしかな

い。

中村彰彦著「知恵伊豆に聞け」と「名君の碑」の2冊を読む。

「知恵・・」は何度か散策した新座市の平林寺に墓地がある松平伊豆守

綱の物語。「名君・・」は徳川2代将軍秀忠の側室の子であり、家光

及び高崎藩内で自刃した忠長の異母弟、秀忠正室お江の方の陰湿ないじ

めにあうもめげずに成長し、信州高遠藩、出羽山形藩続いて会津藩を

めた保科正之に関する本。信綱は3代家光に時代の幕閣、正之は4代

綱の幕閣。どちらも面白い内容だったが、特に保科正之という現代に

充分に通用する近代的な名前の殿様の生涯は面白かった。二人の現代

感覚を有した当時としては稀有な才能に著者の思い入れは当然強い。

史実はどうなんだろうと思いを巡らせる。秀忠、家光、家綱と続く50

年余の期間は有能な補佐役に恵まれて徳川幕府が最も安定し輝いていた

時期であったことがよく理解できた。次にくる華やかな元禄文化はこの

安定がもたらしたものだろう。

関孝和はこの時代に、伊能忠敬は更に下った100年後にその才能を輝

かせた。

こんなことも知った。長野県高遠町と福島県会津若松市には同性が多い

ということ。会津の名物料理に「高遠そば」があること。地理的な離れ

た二つの地域は正之を通じて結びついている。

高校での日本史の授業は特別興味の対象ではなく、暗記主体の受験の手

段だった。鎌倉幕府の成立年はいつか? なんて無意味なことだった。

あれから半世紀以上の時間が経過、今歴史の面白さを実感している。

 

コメント

393-300714人生最初のマイカーの同型車に出逢う

2018年07月14日 | 車・自転車・機械

  

クライマーを魅了し続ける谷川岳一ノ倉沢。ここまでその全貌を見ら

れるのはそうはない。

    

一ノ倉沢出会いを過ぎて更に先へ行くと、旧道に添った岩壁に若くし

て逝った岳人の遭難慰霊のレリーフが数多く埋め込まれている。この

二人は私よりも5才ほど年下。読み取れるものには丹念に目を通しな

ら茂倉沢出会いまで歩く。 本人は山に散って本望だとは思ってい

いと思うが、安らかにと祈る。・・・     27.6.29

 

近所のコンビニで私の最初のマイカー(1968年、昭和42年ごろ)

と同型の50年経っても公道を走れる車に出逢ったので、オーナーに許

可をいただき何枚か撮影した。いうまでもなく当時新車で40万円程度

だったと記憶している国民車スバル360。

秀逸なスタイル。VWビートルが昔のスタイルを現代風にアレンジして復

活したように、この車もその手法を採ったら受けるのでは? しかしスバ

ルは軽自動車から撤退してしまった。空想するしかない。

エアコンなど無縁の時代。前が小さくパッカンと開いて外気を導入する。

それでもラジオは付いている。このシンプルな感じ。

空冷2気筒で360ccのエンジン。空冷エンジンでは暖房に苦労した。

事実上厳寒期はオーバー着用しての運転。

燃料は混合ガソリンではないが、別途のオイルタンクから燃料と一緒に

エンジンに吸い込ませた。茶色の機器はデストリビューター、二本のプ

ラグに電気を供給する。

発電機(ダイナモ)。この時代は直流発電機だった。ちっちゃなエンジ

ンの割には大きな発電機。半世紀たって車は100%電気で走るように

なった。

キャブレター、ガソリンを霧状ににして吸い込ませる機器。上部に見え

プリング付きのネジでアイドリング調整をした。エンジンにこの装

が不要になったのはこの車の時代から15年後。今からほぼ35年昔

こと。公道を走れる状態で持ち続けるオーナーに敬意を表する。

私はこれと同時代の車を扱う整備士として社会人のスタートをきった。

途中で挫折したが。車は修理するものだと刷り込まれた。エンジンをボ

ルト一本まで含めれば数百のパーツに分解清掃し、不良部品を交換また

は修理して組み上げた。新しいエンジンオイルを入れ、冷却水を満たし

て、スタータを回す。2~3回グーグーと周りはじめブルンと自立回転

を始める。そのったエンジン音を聞いて満たされた場面が今でも時々

夢に出る。なかなか面白い仕事だったが、仕事となると大変だった。

 

死刑や無期懲役刑に服するまたは服した被告の再審が認められ、被告の

弁護側が「勝訴」と大きく書かれた紙片を掲げて得意げに(表現が適切

ない)裁判所の門から飛び出てくる。こんなニュースに接する度に

な思いをする。疑う余地があれば当然の事とは思うが、この裏にはの

うのうと暮らしていた真犯人がいる可能性があるのかと思うと考え込

でしまう。多くの場合時間が経ち過ぎていて、真犯人逮捕には繋がらな

。被告はニュースになるが、被害者家族の存在を無視するかの報道に

やり切れなさを感じる。

コメント

392-300707「ポツンと一軒家」というTV番組がおもしろい

2018年07月07日 | もろもろ

2年前のこの季節、新潟→苫小牧間のフェリーで北海道の地を踏む。日本海側から

津軽海峡に入り、恵山岬を左に見て、今まさに太平洋に抜けんとする。海なし県育

ちには海の旅は今も鮮明に記憶とどまる。

 

偶々テレビでなかなか面白い番組に出逢った。その番組名は「ポツンと

一軒家」という。毎週ではないが、良き一軒家が見つかり、探索結果が

視聴に耐えられるのものであった場合に放映されるらしい。大体判って

きたが、番組スタッフはgoogle earth で宇宙から見た本の上空を隈

なく探す。その中で面白そうな地点が発見されると、今度は地上からそ

この探索に出かける。全てが放映対象になるようなものとは限らないだ

ろうと思うので、放映されるのはその一部だろう。人の生活が営まれて

いることが大切。人の気配のない家屋は対象外。

お街の住人には縁のない山奥の一軒家にも人の生活がある。そしこに

暮す方々の、得も言われぬ笑顔が印象的。

今日の番組では、愛知県の山奥に見つけた一軒家。訪ねてみると90才

婆が一人で暮らしている。周囲1kmには人家がない。救いは家か

ら伸びる生活道路が画面に映っていないが100mで村道に繋がり、1日

1本の村営バスが運航されていること。この村営バスの面白いところは、

運行主体の村に申請して認可されたら、自分の家の前に停留所が設置し

てもらえること。ばあちゃんの家も生活道路を下ればすぐにバス停。週

に一度の街への買い物の往復で、少しきついがこの私設道路は格好のば

あちゃんのトレーニングの場所。

立派なお屋敷だ。テレビに登場する一軒家は外見は風雪にさらされて傷

んでいるが、中に入ると例外なく太いしっかりした柱の存在。我が陋屋

の貧弱な細い柱とはなんという違いだ。ばあちゃん一人のすまいにして

非常に良好なにある。だんだんその理由が判ってくる。

ばあちゃんの3人の息子たちとその家族が集まるとこんな大家族になる。

息子たち家族は普段はお街に住む。休日を利用して変わるがわるやって

きては、安否確認のついでに屋敷周囲の草取りやお掃除をやって帰る

いう。時にはこうして一族が集まりばあちゃんを頂点とした4世代が

ぎやかに食事をする。多くの一軒家の暮らしは家族のこうした協力の

とに成り立っている。そしてそこに住む皆さんの屈託ない笑顔に癒さ

る。ばあちゃんの笑顔がとても素晴らしかった。

NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」や「ブラタモリ」と同じ趣向の番組だ。

れらに共通しているのは、博物館とも称される多彩な日本の地質、日

本人の持つ家族の交わりや隣人とのやり取りを紹介する。先日亡くなっ

た歌丸師匠のような磨き抜かれた芸で勝負するのではなく、何かという

と、すご~い! ジュウシイ! を連発して騒ぐ、あまり芸を磨いてい

とは思えない未熟な芸人やタレントたちに興ざめしているので、

した番組に登場する皆さん、肩の力を抜いた芸人ですね・・と感心する

 

毎朝、朝食前に仏壇に般若心経を唱えるようになって、もう7年くらい

になるか。その意味するところは深く、解説を読んでも凡人には皆目

解できない。理解しようとすることは止めたが、読経が毎朝の習慣にな

っている。短いお経なので、丸ごと脳が暗記しているのだろう、すら

ら口から出てくる。ところがここ半年、つかえてしまって立往してし

まうことが多くなった。丸暗記なので、つっかえるとこからが出て

こない。経文全体が一つの塊として記憶されているのだ。記憶デジタ

ル的でなくアナログ的なのだ。したがって経文の中から唱えと言わ

れてもできない。常に元に戻って最初から。これ認知機能のェック

になるなと思う。これから先何歳までこのアナログ的記憶しない

でいられるのだろうか・・

 

 

 

コメント