toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

655-051120カメラは高ければいいとも思えない

2023年11月20日 | もろもろ

収穫の終わった街中のたんぼ

 

一通りの関心そして知識はあるが、そこまでであまりのめり込まない程度の写真好きの一人。

手元にあるファインダー付きコンパクトデジカメに動きに異常がでたのが半年前のこと。近くのカメラのキタ

ムラに持ち込むも修理対応期間を過ぎていて修理できませんとのことで、本棚の上に置いたままになっていた。

その間は以前使っていた買値2万円程度の物とスマホの写真機能で我慢していた。こだわりがあり、カメラは

ファインダーがなければいけないと思っている。昼間の明るさで見にくい液晶画面を見ながら撮るのが気に入

らない。そうなるとミラーレスデジカメというレベルでないと商品がない。これが軒並みに10万円を超える。

 

息子が使っているアイフォンのスマホの写真がびっくりするほどきれいだ。スマホの取り換え時が来ているの

で画面を見ながらの撮影は気乗りしないが検討してみよう。ミラーレスと同じ程度の金額だ。

 

どちらにするか迷って1ヶ月が過ぎてしまった。いまだに結論が出ない。そんな最中に本棚の不調カメラを取

り出していじりまわしていたら、急に正常に戻ってしまった。電子基板のどこかに微小なごみでついていたゴ

ミが何かの拍子に除去されたのか原因不明だがとにかく昔通りに使える。

 

10年前ほどのOLYMPUS STYLUS1 というカメラ.6-64.3 ㎜ F値 2.8 という明るいレンズそして交換レンズ

なしで使えるのが手軽さが無精者には最適だ。

 

いい写真だなと思われる一枚はカメラの性能以上に必要な要素がいくつもある。一通りのカメラの性能に対する

知識は当然として、被写体に接するに時間を惜しまないことが一番重要なこと。故人になってしまったが浅間山

を撮り続ける写真家がいた。その写真集も本として出ている。縁の一つで知り合いになった。氏の日常がその必

要性を物語っている。多くの作品が早朝、夕暮れそして深夜の時間帯。更に極寒に季節に撮影されている。

素晴らしい場面がたくさんあるが、それだけの犠牲を払わないといけないとは・・

 

この古いカメラでも時間を惜しまなければそれなりの物は撮れると思う。ならこのカメラで撮りまくることにし

ましょう。

 

 

 

 

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654-051111大村益次郎

2023年11月11日 | 小説・映画・など

隣町安中市秋間の丘から妙義山を望む

 

暑かったこの秋も終盤にきて晩秋の雰囲気が濃くなってきた。夕方の散歩時間を除くと家に閉じこもる

日が多くなってきた。昔のように積極的に表に出る習慣が薄れてきている。加齢による避けられない現

象なのか?

 

73才の時から始めたスイミングにもかってのような積極的に進歩しようという気力がない。7千円も

払っても近所のジム併設のプールに通うのは2回ほど。もったいな、と思いながらもズルズルと解約を

延ばしている。なんなのだ、この気力の欠如は。

 

こたつという暖房機がいけない。一番省エネの暖房手段だが、このぬくもりから立ち上がるのに、結

構な気合が必要なのだ。結局10分、20分と延ばしてしまい気が付くと1時間が過ぎていることが

頻繁に起こる。

 

司馬遼太郎著「花神」を読み終わった。大村益次郎という長州出身の異能の天才の物語。先日上野の

寛永寺から谷中の一帯を散歩してきた。その際に彰義隊騒動の時の鉄砲玉が貫いたという寛永寺の門

扉を見た。そんなこともあってあの騒動を終わせた薩長軍指揮官について知りたくなった。

司馬氏は小説家であるので氏の想像なるの部分も相当あるのだと思うが、大村という人物は実にユニ

ークだ。桂小五郎が見出しその才を引き出した。もし桂に巡り合わなかったら村医者で終わった人物

かもしれない。大久保も西郷もその才を認め、彼にこの戦争の戦略を任した。そして勝った。しかし

あまりにも世間の常識との差が大きく恨まれもした。明治に代わった翌年京都で暗殺される。

 

男女間の微妙な心理なんか理解できないような性格のようだが、シーボルトの娘イネとの淡い恋の描

写は良かった。身体を重ねるまで行ったかどうかは司馬氏らしく読者の想像に任せられた。私はいか

なかったと思う。

 

 

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653-051105継続のおかげ

2023年11月05日 | 介護・医療・健康

500段余の石段を登りそして降る。

 

我が町に暮らす人々にとって昔から慣れ親しんだ観音山。結構有名な白衣観音の巨大な立像のある丘陵。

この一角にある真言宗豊山派清水寺は近年賑わうのはお正月の時期ぐらいか。丘陵の麓にある高校時代

に通学していた65年前、部活動のトレーニングで駆け足で登るのが日課だった。

以来茫々たる時間が経過したが、この間も気が向けば登り降りすることが習慣になり現在に続いている。

上部に行くほど急になるので、上からに見下ろすとスキージャンプのシャンツのような感じがする。

 

汗かきの私なので利用するのは晩秋から桜の咲くころまでだが、日曜日の朝よく登った。

40代から60代までは日ごろの運動不足もあって、結構息を切らせたような気がする。退職後の70

代は意識的に運動をしていたので、学生時代には遠く及ばないものの一息つくこともなく完登できてい

た。さすがにこの年齢になると一気には無理で1,2回途中で息を整える。

 

同じ場所で同じ行動を長く続けていると、これ自体が体力測定の物差しになる。一気に登れるとき、登

り始めから何か元気が出ないとき、心臓の鼓動を意識するとき、あまり意識せずに登れるときなどなど。

今の体調が10段階のどのあたりかをチェックするのに大いに役立つ。

昨日登ってきたがいまいちだった。6辺りだったかな? 5を下回るようだったら無理せずに登るのを

止めて引き返そう。

 

日本ブログ村の70代に登録している。このランクを越えて2年経つが80代に登録替えすることに

躊躇いを感じています。仲良くさせていただいたお仲間を抜けるのが寂しいのです。よろしくお願い

します。

 

 

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