toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

227-270704国道291号をトボトボ歩いてどこに行く・・・

2015年06月30日 | 山登りというより山歩き

 明日の波乱を予想させるような夕焼け(27.6.30)

 

6月29日(月)、前夜の予報では明日は晴となっており、候補に挙げた三ケ所の山を想定して寝床に入りました。 

目覚めれば素晴らしい天候。今梅雨の真っ最中だぞ、午後になるとまた猛烈な雷雨に見舞われるのは難儀。

何度も登った谷川岳を下から鑑賞するつもりで家を出る。 結果的にはこんな好条件の谷川岳ははじめて。木々の

緑とその香りに包まれた快適な散策でした。 表題に国道291号を歩くと書きましたが、車では通行不能な国道です。 

特に清水峠を越えて新潟県に入ると道が春先の雪崩で殆どなくなっていると聞きます。別名謙信尾根とも言われて

いる十五里尾根が整備されたので、国道を示す破線は地図から消しても構わないのでは。

謙信尾根というからには、上杉謙信の関東攻めは雪の融けるのを待ってこの険阻な峠道を長蛇の軍勢が馬を引い

て越えていったのでしょうか? たんたんと続く平坦路というのも結構疲れるものです。

 

関越道で家から1時間半で土合RW駅に到着。ここから国道を行けるところまで行く。そしてこの好天を味方にして

撮影するのが今日の目的。地図でわかるように等高線に沿った道で登りは皆無。国道から帰途湯檜曽川に降りる

ところだけが唯一の急斜面でした。

 

    

左から、登山計画を提出する群馬県警の詰所、昔のメインルート西黒尾根の入口、一ノ倉沢までの電気自動車、湯

檜曽川の対岸には白毛門山が下から上まで全部そして谷川RWができる以前は頂上への最短距離の巌剛新道入口。

 

 

西黒尾根の末端を回りこむと眼前にマチガ沢の岩壁が目に飛び込んできます。正面の上の小さなドームが谷川岳頂上

です。 20代ではじめて岩登りに連れて行ってもらったシンセン尾根が右の大きな岩塊。 岩壁にへばりついた私の股の

間から下の広場が小さく見え、身震いしたことを鮮明に覚えています。

 

 

東尾根をぐるりと回りこむと、圧倒される岩壁が真正面から迫ってくる。こんなに一ノ倉沢の全貌が見られたのははじめて

です。 休憩所から双眼鏡でくまなく探して見ましたが、クライマーの姿は一組も見えませんでした。 それはそうでしょう。

周到な準備が必要な岩登りを天候が良いからといってその朝いきなり実行するわけにはいきません。まして梅雨の盛りで

す。 正面手前の縦長の三角形が有名な衝立岩です。 何人もの若きクライマーの命を奪った沢です。 こんな天候に恵ま

れる運の良いクライマーだったら快適な岩登りができたでしょうに・・・

 

     

一ノ倉沢の水が国道を洗う箇所を大きく右にカーブすると舗装が切れます。 このあたりの左の岩肌には、遭難者を悼んだ

数々のプレートが埋め込まれています。鮮明に撮影できたものを掲載して見ました。昭和40年から60年にかけてのものが

多いです。 この他にも沢山ありましたが文字がかすれていたり、光線の加減でうまく撮れませんでした。 生きていたなら私

らの年代になった若者でしょう。一枚ずつ目を通し頭を下げ若き遭難者の冥福を祈りました。 

 

  この道が国道であることを標す表示がありました。 国道にしては超貧弱、登山

道にしては立派な道です。 往時の石垣が各所に残っています。このあたりから次の幽ノ沢までは4駆車なら通行できる道幅

がありますが、今は乗り入れ禁止になっています。 マウンテンバイクの若者が私を追い越していき、20分もしないうちに戻っ

てきました。 道が崩れていて自転車では先に進めませんという。 暫く行くと湯檜曽川原まで一気に大きく崩れた箇所があり

ました。残った山側の部分を慎重に通り抜ける。

 

 

一ノ倉尾根を回りこんで暫く歩くと、はじめて見る幽ノ沢の岩壁です。一ノ倉沢のそれに比べると少し規模は小さいですが、

雪渓からいきなり立ち上がる岩壁は相当に手ごわそう。 幽ノ沢の水も国道をかなりの勢いで洗っています。

 

JRの送電線の巡視小屋へ降る道を確認して更に先に進む。 このあたりから多少登り勾配に変化しますが、僅かのもの。

一ヶ所だけ道幅が50cmほどと狭くなり夏草に覆われ一般的な登山道らしくなりますが、これも100mほどで元の道幅に

戻ります。 道がぬかるみ、倒木が散乱して奥にきたなと思わせます。 前方に雪渓らしきものが見えます。 国道は雪崩

れた雪に完全に埋められています。 これが芝倉沢です。滝状になった部分は本来国道なのです。ここを通過すれば更に

先に進めるのでしょうが、用意はしてきましたがアイゼンが必要になりそうです。 でも今日はここで折返しましょう。 この

天気で豪快な各沢のはるか上まで完璧に見られた幸運に感謝してここで昼食。 芝倉沢が見るものにとっては穏やかで一

番好印象でした。20年ほど前に上部に見える稜線を蓬峠から茂倉岳まで歩いた事や、その帰路ひどい雷雨にあったこと

など懐かしみながらゆっくりと時間を過ごす。 何人かの登山者も皆さんここで引き返していきました。

 

    

復路は途中から巡視小屋へ降り、湯檜曽川に沿ったブナの原生林の中をたんたんと戻る。 途中ブナの大木(豪雪地帯で

これほど真っ直ぐに伸びたブナは珍しい)や国道の説明板がありました。 幽ノ沢には橋がなく、飛び石伝いにヒザまで濡れ

て渡りましたが、あとの沢は単純な一枚板ですがそれなりの橋板があり濡れずに渡ることができました。 最後はこの山に

命を奪われた多くの若きクライマーへの鎮魂の像に頭を下げて山旅は終了する。 

普段榛名山中の道なきところにルートを探して、もぞもぞ這い回っている山好きにとっては、迷う心配のないこんな山旅もま

た楽しからずや・・・

 

 

 

 

 

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226-270627ポルトガル人、ヴェセンスラオ・デ・モラエスさん

2015年06月27日 | 小説・映画・など

ここ1ヶ月ほど印象に残る本に接していませんでした。 絶えず読んではいるが右から左へ抜けていく内容

か少々奇をてらった書き方で面白くない本ばかりだった。

                             

先週ようやくいい本だなと思えるものに出会いました。 故新田次郎氏とその息子さんである藤原正彦氏

の共著でした。 藤原氏は本業は数学を教える大学教授ですが、数年前に「国家の品格」で一躍作家デヴ

ューした作家です。 親子で一つの本を完成するという離れ業です。 新田氏といえば気象科学者兼作家

山岳小説の第一人者。 随分読ませてもらいました。 しかし60代で心筋梗塞で急死してしまいました。その

とき手がけていたのが上記の本です。 未完に終るかと思われましたが、父親が亡くなった年齢になった藤

原氏が後を引継いで完成させました。

 

「孤愁」という題名です。 ポルトガルの人々が普通に抱く感覚にSaudade(サウダーデ)というものがあるそ

うです。 日本語に当てはめるとなかなか難しいのですが、孤独、幽愁、思い出、わびさびこれらをまとめた感

覚だそうです。 先祖の墓参り。 お盆に死者が帰ってくる、それを迎える迎え盆。去るときの送り盆こういった

日本独自の習慣も著者によれば広い意味ではサウダーデと呼んでいいのかも知れません。 

                        

                「モラエス」の画像検索結果            

                「モラエス」の画像検索結果    Wikipediaより     

主人公はポルトガルの海軍中佐、そして神戸領事館の領事を歴任する。 徳島の女性およねさんと結婚

した。 およねさんは徳島で生まれ京都で芸子さんをしていて主人公に見染められました。 

文句なしの美人です。心臓の持病があり、子供を身ごもることはできませんでした。しかし神戸の領事同士

のお付き合いでは人気抜群で、夫の誇りでした。 美人薄命というか38歳で他界してしまいます。このこと

に主人公は落胆し、本国に帰ることもなくそのまま徳島に住み着いてしまうのです。 徳島での生活は妻を

偲びながらのつつましい生活が続いたようです。 「Saudade」 これが晩年の彼の変わらぬ心境だったわ

けです。

そんな生活の中でも外国人の目に映った日露戦争後の日本の庶民の生活ぶりや自然、時には政治の状況

等を克明に記したものが本国に送られて出版されて、故郷では人気作家であったと書かれています。

明治25年頃に来日し昭和4年に徳島で亡くなる。 日本には帰化しませんでした。

主人公の名前はヴェセンスラオ・デ・モラエスといいます。 

これに似た経歴の持ち主に小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)がいます。 在日の時代はモラエスよりも少し前。 

彼は有名ですので私が説明するまでもありません。 モラエスさんはこの本を通じて始めて知りました。 愛し

た日本人女性を忘れることができず、故国を捨て異国の地に眠ることになったモラエスさん、彼ほど当時の日

本を愛した外人はいないかもしれません。 

「モラエス」の画像検索結果 「モラエス」の画像検索結果 「モラエス」の画像検索結果

 左から総領事時代、 晩年、そして愛するおよねさんと晩年の世話をしてくれたコハルさんに挟まれた墓。 

いずれもWikipediaより。 原画が小さいので拡大はされません。

 

人間は国籍を問わずその心理は相通じるものです。といってしまうと国家間の戦争なんかないはずですが、

現実には起こっています。 安倍総理も侮られない国にすべく精魂を傾けています。 賛否両論あるにしろ、

国が安寧でいられ続けることに異をとなえる人はいないと思います。 

他国が日本と同じ考えである保障がない現実がある以上、国を守る武力、いざというときに対応できる軍事

力の保持そしてその限定的な行使はやむを得ないと私は考えます。 戦争の悲惨さは少し経験し、親や本

からの知識で持っているつもりです。 そして戦えば弾に撃たれて亡くなる兵士が出ることも想定しなければ

なりません。そういう危険をおかしても守らなければいけないのが国であり、国民であるという理解を得られ

る努力を政治家がしなければ、上っ面の部分で議論は空回りするだけです。

 

Wikipediaといえども他人様の写真ばかりを流用するのは、ためらいもあります。 食傷気味だと思いますが

またまたアジサイをご覧ください。 前回と同じく高崎清水寺の石段脇です。 この花は江戸時代末期に来日し、

西洋医学を伝えたフォン・シーボルトが日本人妻おたきさんの名前をとって、新種に妻の名前を命名したことが

知られています。 もっとも植物の分類に大きな足跡を残した故牧野富太郎博士はこの命名に不快な感情を抱

いたようですが・・・

  

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225-270620五十肩の治療は温泉につかるのが一番効き目があるようです。

2015年06月20日 | 花・樹木

50歳を過ぎて20有余年、15年前にしつこい痛みに悩んだ五十肩が再発する。 針灸院で治療を続けるがもう3ヶ月ほど痛

みが軽減しない。 家から車で15分で行くことができる錦山荘の大きな湯船で左肩を痛みの限界まで伸ばしたり、曲げたりし

てみました。 今2時間が経過したところですが、何だか痛みが和らぎ、左手の可動域が広がった感じがする。 

雨の1日、ついでにアジサイを中心に撮影してきました。

  

大正時代から100年近く続く鉱泉。 山の斜面に沿って建てられているので、玄関までそして中に入っても階段をいくつも上ら

ないと湯船にたどり着けない。 湯船に先客は一人だけ、思い切り左肩の屈伸をする。 こんなことは家の小さなお風呂ではで

きません。

 

白衣観音への道から、左に折れ、うっそうとした竹林に覆われた急勾配の道を抜けると駐車場。そこから50段くらいの石段を

登ると玄関。

 

玄関先にあまり見かけないかたちの花をつけたアジサイが迎えてくれる。

 

湯船から市内を眺める。市庁舎が雨に煙る。 市内からこんな近くの深い森の中にこの鉱泉はあります。 今日は雨でしたが、

晴れていると、市街地の向こうに赤城山が秀麗な姿を見せてくれます。 湯船の外の餌場にタヌキの親子が姿を表すことも

あります。その姿を湯につかりながら見られるのも楽しみ。

 

歴史を感じさせる玄関へのアプローチ。 ここ20年ほどの間に各地にできた日帰り温泉施設とは一味ちがいます。平日は

ゆっくりと好きなだけ湯につかっていられます。 湯上りにうまいそばもたべられますし、宿泊もOK。 こんな良い所なのに

平日はすいています。 これだけ環境に恵まれている鉱泉なのに、当市を訪れた著名人が宿泊したとはあまり聞かない。

その昔陸軍歩兵15連隊のお歴々が利用したとも聞いていない。 飽くまで庶民の憩いの場に徹した経営方針ならば、それ

はそれで素晴らしいことです。

 

2時間の湯治(?)を済ませて、まだほてった身体で近くの清水寺の石段を登る。 真言宗豊山派の寺、奈良県長谷寺が本山。

長谷寺もボタンで有名な花の寺です。 日本一大きな十一面観音像に圧倒されました。

 

湯上りの身体には512段の石段はきつい。汗がたらたら。 普段から山登りや自転車で足は鍛えているので、汗以外はなんと

もありません。

 

えのきの古木とアジサイ。 地元の片岡中学校の生徒が代々花の管理をしているようです。 誰もが認めるように雨との相性

が非常に良い花です。

 

写真が中心なので、レイアウトを少し変えてみました。 そのかわりクリックしても拡大はしません。

 

 

 

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224-270613榛名山群の3つの峰を2回に分けて登る

2015年06月13日 | 山登りというより山歩き

  榛名山中で咲いていた可憐な白い花。 その名は知らず。

一回の山行で著名な3つの峰(硯岩、掃部ケ岳、杏ケ岳)を登ろうと榛名湖に向かう。 今振り返って見てこのコースを

尾根道に記された明確な登山道をたどれば、一回で達成できたと思う。 しかし予定では杏ケ岳を登った後、その北側

の鞍部から東北に伸びた破線を降る予定だった。 もし6/2にこの破線の道に入っていたら難儀な山登りになっていた

ろう。 2回に分けて正解だった。 以下詳細を記します。 

 

 

  

 6月2日山行。 人気のルートで登山者が平日にも関わらず数組いた。 静かな榛名湖が迎えてくれた。湖岸の周遊

道路から仰ぎ見る硯岩。 そして硯岩から見下ろした榛名湖。

 

    

硯岩から掃部ケ岳への登りは杉の丸太で頂上直下まで階段が続く。これがまた非常に歩きづらい。 頂上の見晴らしは

榛名山群最高峰だけになかなかのもの。 

 

   

小休止して、3組の登山者と今日の天候を誉め合う。更に尾根道を③に向かって西進する。地図が示す3つの小突起を

越えて、③に達する。 振り返ると、たどってきた掃部ケ岳からの尾根道と最高峰がよく見える。南はこれから上る杏ケ岳

が視界に入る。 緑の海の中に岩が聳える。 杖の神峠を吹き抜ける風に気持ちよさそうにイヌワシと思われる鳥が悠々と

旋回し、暫く眺めていると急降下した。ワシの鋭い目が何か獲物を確認したのかも知れない。遠すぎて3倍ズームでもやっ

と写っている(3番目の写真の←)。

 

   

耳岩とはこんな岩の突起です。 おそらく電気は流れていない刈羽原発からの50万ボルトの送電線も入れてカメラに収める。

ここから峠まで急峻な道を200m弱降りると杖の神峠に着く。峠は舗装されたかなり幅のある所。 予定では更に杏ケ岳に

向かうのだが、急降下に足がつってしまう。どうしようか考えたが今日はこのまま林道を湖畔に向けて下ることにし、舗装は

一部で大半は石ころ道の林道を重い足を引きずりながら歩く。 途中でこんな岩壁が眺められる。 殆ど逆層の岩場ゆえに

岩壁クライマーにも見放されているようだ。

 

 

駐車場に戻り、帰り支度を済ませて、車を発進させようとして気がつきました。朝は気がつかなかった。目の前のいかにも昭和

時代風の別荘。 画面右の説明板に竹久夢二アトリエとあります。 柱の様子から改修したか復元したように見えます。3年前

にUPしたものに彼について書きました。 ↓ をクリックして見てください。

 http://blog.goo.ne.jp/egikoike/e/e4373f2da50dd69632d98e68d058cd78

夢二と榛名湖や伊香保温泉は深く関わっているようです。

 

     

そして、6/7は前回あきらめた杏ケ岳に挑戦する。 前回重い足を引きずって歩いた林道を今日は車で、荒れた道だが私の

4駆車にとっては問題ない。 峠からの道は尾根伝いにはっきりとした道なので挑戦というほどのこともない。1時間で着いて

しまった。 頂上から東方面だけの眺望が得られる。 昨年の晩秋に登った鐘原ケ岳が右に旗矢ケ岳が左に、そして中央の旗

矢ケ岳の右斜面に覗岩が小さく写る。 頂上にてのスナップ。 少し太り気味です。

 

     

さて、この後難儀な下りが待っていた。 杏ケ岳の北の鞍部(A地点)から予定通りに東北に伸びる破線をたどる。 

破線は全くの廃道と化し、林道に出るまで登山道と呼べるところはなかった。 それでもよく見ると誰かが歩いた昔の道らし

きところがあったが(左)進んでいくとそれも消えてしまう。 目印になるような赤テープもまったくなし。人工物(右)を見つけた

ときはほっとした。 

GPSで現在位置を確認できるし、山自体が小さいので特に不安はないが、それでもところどころにえぐられたような小さいが

急峻な沢が尾根から東に落ちている。地図上の破線はこれらの沢を横切るように引かれているが、道が全く認識できないの

でガレた沢の上部を横切るのは危険だ。 沢に入り込まないように尾根道を探して3時間かけて林道にたどり着いた。 

 

途中で遠目にカモシカののような岩だなと思いつつ70mくらいまで近づくと岩が動いた。 本物のカモシカだ! カメラを取り出

さなかったことが悔やまれた。 しかし2分ほど経過したらさっきの位置より左に移動してじっと私を見ている。 こちらの位置は

かなり急勾配の斜面で身体を安定させることが優先。そして3倍ズームで撮影に成功した。これ以上近づくとまた姿を隠してし

まうだろう。 帰宅して確認したら写真はかなりぶれていた(中)。 でもカモシカであることは間違いない。 

高崎の山間部に野生のイヌワシやカモシカが生息している。 どこから来て住み着いたのか? 丹念に探れば自然はまだ手付

ずに残っていました。

 

 

 

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223-270606夕方家に帰ると異様な構造物が・・

2015年06月06日 | 最近さわがれること

   夕方の散歩にカメラを持っていった。 

今まで何気なく通っていた家々の庭先には名前のわからないきれいな花が咲い

ていた。 各家々のセンスの競演か・・・

 

現役中のことだが、夕方仕事から家に帰ると、異様な光景が出現していました。 出勤時には気がつ

かなかったから昼間の8時間の間に現れたのだが、日常見慣れた家並みの向こうのこんなものがいき

なり現れると少々たまげます。風雨にさらされる送電線の鉄塔の塗り替え工事用の覆いなのだが、異

様な風景だったので1枚パチリ。

      

鉄は錆びる。定期的に塗り替えをしないといけないのは勿論だが、ここに住んで50年以上になるが過

去にこんな光景を見た記憶はありません。50年間塗り替え作業がなかったとは思えないが、昔はこん

な覆いなしで作業をやったのか。 家の新築、古いビルの解体、橋の塗り替え等々、殆どの工事現場に

覆いは付き物。それだけ周囲への迷惑を考えてのことなのだが、昔はおおらかのものだったのかな。 

姫路城の改修作業が終了し、一般公開が始まったが、あの大きなお城も工事中はスッポリと覆いがか

ぶせられていた気がします。

 

自分のことに使える時間が十分にあるようになると、いろんなことをしてみたくなります。

人様のブログを見て回りました。 ブログの契約数は私の登録しているGooブログだけでも200万件を

越える(本当?)。 更新できないでそのまま中断状態になっているのが半数以上あるのではと思われま

すが・・

それこそ夜空の星のごとくにあります。 皆さん工夫を凝らしているのがわかります。 その中で自分の感

性に強く訴えるものに出会いました。 しばらく継続して読んでいましたが内容に共感を抱いたのでブック

マークに登録しました。 以前から登録してあるブログにまた一つ加わりました。KGという方のものです。 

イニシャルで紹介しましたが、御自身の名前付きで公開しておられる。 よほど自信がないとここまではで

きない。 素晴らしい写真と共にセンス溢れる文章が見事。 時事問題や政治向きの内容の場合は、ご自

分の意見をさりげなくその中にしのばせる。 

こんな文章で他人を引き付けるようなものが書けたらいいな・・・

他にも興味あるある内容のブログはまだまだありそうですが、とても見きれません。

 

 

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