京都童心の会

ほっこりあそぼ 京都洛西の俳句の会
代表 金澤 ひろあき
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よくもらう人

2017-03-31 15:39:54 | 日記
よくもらう人
      金澤 ひろあき
 京都の三条にある京都文化博物館で、三月に「戦国時代展」が開かれており、見に行きました。
 米沢より国宝「洛中洛外図屏風 上杉本」が来るというので、ぜひ行きたかったのです。織田信長が狩野永徳に描かせて、上杉謙信に送った逸品です。金箔であらわされた雲の下に、当時の花の都が実に丁寧に描かれています。
 上杉謙信は、おそらく戦国時代最強の武将ですが、「洛中洛外図屏風」以外にも、色々な物をもらっています。室町幕府からは毛氈鞍覆(もうせんくらおおい)。これは守護以上の大名に与えられた特権で、赤い毛氈を馬の鞍につけることを許されるのですが、その毛氈をいただいています。「洛中洛外図屏風」の下のほうに、室町幕府の建物があり、その門に入っていく一行が馬に赤い毛氈の鞍をつけていることから、上杉謙信がここに描かれているという説もあるのです。
 「五虎退」という銘の短刀。京都の粟田にいた名工吉光の作と言われています。元は幕府の役人が、仕事で明の国に行った時、五匹の虎に囲まれてしまいました。死を覚悟してこの短刀を抜くと、虎がおそれて逃げ去ったそうな。その後、朝廷に献上されていたのを、正親町天皇が上洛した上杉謙信にお与えになられたのです。
 もっとすごいのは「上杉」という姓。謙信の姓はもとは「長尾」でしたが、関東管領といって、室町幕府の関東支配権を持っていた上杉家が、謙信を見込んで姓を与えたのです。
 ところで、謙信は信仰心が厚く、自分は毘沙門天の化身だと信じていたようです。念持物は泥足毘沙門天といい、見ることができました。もとは越後の春日山城の持仏堂に祀られていました。今は上杉家の転封に従って、米沢のお寺にあります。
 ある日、戦から帰ってきた謙信は、毘沙門天の堂の床に泥がついているのを見つけます。よく見ると足形で、毘沙門天の所まで続いています。そこで、戦に毘沙門天が助けに来てくれたのだと感動し、いっそう信仰するようになったとか。
 神様の助けももらっていたのですね。
 戦でいつ倒れるかわからない武将は、けっこう心の拠り所として、神仏を信じています。豊臣秀吉が大黒天、毛利元就が阿弥陀仏、徳川家康が阿弥陀仏やダキニ天。武将達も武運をもらっていたのでしょうか。
  英傑の形見や花の都まで     ひろあき

ちなみにこの「戦国時代展」は、京都文化博物館で現在開催中です。会期、講演会等の細かい点は、同博物館のホームページをご覧下さい。


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