京都童心の会

ほっこりあそぼ 京都洛西の俳句の会
代表 金澤 ひろあき
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三鬼の句

2017-06-04 09:20:31 | 日記
   三鬼の句から
              金澤 ひろあき

  おそるべき君等の乳房夏来たる  西東三鬼
 西東三鬼という人は即物的に句を作る人で、普通だったら、「おそるべき」などという主観をあらわす語など使いません。
 それをあえて使っているところに、彼の格別の驚きがあったのでしょう。
 戦後まもなく、解放的になった女性を見て……というシーンが思い浮かぶのです。三鬼は「乳房」に焦点化することにより、驚きをうまく伝えています。
 西東三鬼の俳論は、「根源俳句」に手をのばし、よくわからぬへりくつになっていて、私などにはサッパリわからないのですが、俳句はストレートすぎるほどわかるのです。もっとも、この句を作った時は、ミニスカートもホットパンツもタンクトップも無かった時代ですから、現代の若い女の子を見たら、三鬼はどういう俳句を書いたんでしょうね。時代に鋭敏に反応する人なので、空想するだけで、楽しいもんです。
 そういえば、三鬼が住んだ神戸三宮トアロードが、今、観光地になって、若い女性がいっぱいです。でも、その多くは健全で、平凡な生活でしょうし、三鬼が『神戸』『続神戸』で描いたような強烈な人物たちには及ばないでしょうね。もっとも三鬼が戦火の下、必死で生きのびたあんな時代は二度とこないほうがよいというのは当たり前のことです。
 また、一見平凡に見える現代人も、けっこうストレス社会の大変な中を生きていますので、「即物的」にその姿を描くと、けっこう強烈なものになるでしょう。
 インドのヨガの哲学で「プルシャ」という考えがあって、「真我」とも訳されています。プルシャとは「真実を見る目」ですが、行為者ではない。行為にかかわらずに、じっと見つめる「傍観者の目」だそうです。「プルシャ」のような目で冷静に見えたものを描ききるという事を、最近ちょっと考えているのです。