三昧日記

小心者川筋男の後悔日誌

松山(城)に登りました

2016-12-03 06:47:59 | 日記
まず最初に前回の記事に関する訂正から。
写真の説明で「太宰官道」と書いたが,道標には「大宰官道」と表示されている。うっかりしていた。両者の違いを調べたところ,はっきりはしないが,
太宰府=地名
大宰府=官庁名
のようである。ただし,両表記が混用されることもあり,あまり厳密ではないと言われる。ちなみに今書いているこのブログの辞書では「だざいふ」と入力すると「太宰府」にしか変換されない。

さて,低山登山を始めてその翌日今度は隣町の松山に登った。標高128mの低山。
まず最初に山名だが,地図その他の表記には松山城とされており,松山というのは見かけない。国土地理院の地図には松山とも松山城とも記されていない。山の近くに「松山」という表記があるが,これは地名だろう。
松山の頂上に城を築いたのでその城を松山城と言ったに違いない。すると山名は松山のはずである。

今回も登山口までの往復は自転車を利用した。家から10~15kmほどの距離である。
登山口の近くに駐車場があった。背後の山が松山である。

7台程の自動車が駐車できる。隅には簡易トイレもあり便利だ。ただし,和式であるので膝の痛い小生は利用できない。
たまたま通りかかった年配の人と立ち話をした。(この歳になって)今では登るのも大変だと。途中休憩しながら,ゆっくり,ゆっくり登りなさいと言われた。
「春は頂上の桜の花がきれいでしょう?」
と言うと,
「毎年4月5日」
と言い,さらに
「そのときの桜以外何もない山。」
と断言した。
さて,この駐車場から50~100mほど行くと登山口である。いきなりの急坂。しかも階段!

念のためここに常備されている杖を1本借りた。
膝に無理な負担をかけないよう一歩一歩ゆっくりとただひたすら登って行った。

途中,こしあぶらの木を確認しながら(2株あった!)樹林の中を登って行くと突然開ける。頂上は近い。

教育委員会設置の看板が立っている。その上が頂上。
頂上に立った。テーブルなどがあり,くつろげるようになっている。

標高は低いが,さすがに独立峰だけある。展望は360°素晴らしい。足立山,皿倉山,貫山,高城山,市街地,工場地帯,そして周防灘の中の空港。残念ながら姫島は見えなかった。
下の写真は空港である。ちょうど旅客機が着陸態勢に入っていた。

展望を満喫したら直ちに下山。やはり,下りは怖い。凍った雪道をへっぴり腰で歩くような足取りで一歩一歩,いや半歩半歩で下る。
登山口に着いたら椿の花が目に付いた。

寒椿と言うのだろうか?
ここまで来たついでに近くのホームセンターに立ち寄って部品を1個買った。その帰り,国道から松山が形の良い姿を見せていた。


ところで,この低山登山,10月27日の岩石山登山に遡って計数したいと思う。つまり,低山登山歴は以下のようになる。
第1回 2016年10月27日 岩石山(450m)
第2回 2016年12月 1日 障子ヶ岳(427m)
第3回 2016年12月 2日 松山(城)(128m)
以上