カン・イノ、34歳。妻の口ききで、ソウルから霧津(ムジン)市の聴覚障害児の学校慈愛学園に臨時教師として勤めることになり、車で現地に向かう。その最初の場面から、霧津は文字通り濃い霧に覆われている。
ところが、その学校では奇妙な雰囲気が漂っている。その後徐々にそこで以前から「忌まわしいこと」が行われていたことがわかってくる。・・・・
霧津は実在の町ではない。1964年金承鈺(김승옥キム・スンオク)が発表した短編小説「霧津紀行(무진기행)」の舞台とされた架空の都市である。
サイトを検索すると、金承の出身地順天が霧津とされているということで、この小説でもそこを念頭に仮構されているのかと思った。ところがコリアプラザのポップに「実際に光州であった事件をもとに・・・」とあったので、改めて調べてみると、たしかにあった。2005年光州××学校事件。あえて具体的な紹介はしないが、ひどいとしかいいようのない事件である。
この忌まわしい事件の概要は、小説では意外に早く明らかにされる。しかし加害・被害の事実が明確化しても、問題はむしろその後の経緯だ。
加害者側はあまりに手ごわい。彼らに味方するのは、彼らの属する町の権力層・富裕層だけではない。また追及する側にも弱みがある。・・・・
町に立ち込める霧は真実を隠蔽するものの象徴であり、陰鬱で不気味である。
また「るつぼ」という語は、韓国でも「悲しみのるつぼ」「苦しみのるつぼ」「感動のるつぼ」等々、日本語とほぼ同様に用いられるようだが、ここでは道徳と常識の廃墟というべき「狂乱のるつぼ」を意味している。
・・・・ネタバレを極力避けて内容を紹介するとおよそこのようになる。
孔枝泳は何度も光州を訪ねて多くの事件関係者と会い、取材したという。
おそらく、日本でこのような生々しい実際の事件、それも完全に解決しきっていない事件を扱った小説が書かれるとさまざまな論議をよぶだろう。
また、文学作品としての評価も、「<善>側、<悪>側の人物の描き方が明瞭すぎ、図式的である」とか「文学というより一種のプロパガンダではないか?」との批判も出てきそうだ。
<悪>に果敢に立ち向かう人権運動センターで働く女性ソ・ユジンに、事件担当のチャン巡査部長が「そんな純真な方法で世の中を変えようというのは・・・・」と言うのを遮って、ユジンは決然と言う。
「そんな考えは父が亡くなって捨てました。私は世の中に私が変えられないように闘っているんです」。
このひたむきすぎるほどのひたむきさ。まさに386世代の代表作家らしい孔枝泳自身が投影されている。
読者の心を捉えているのも、この作家とその作品のもつ強さ・ひたむきさだろう。(私もその一人だが・・・。) 韓国の大多数の読者評からもそれがうかがわれる。
一方、ごく少数派だが、次のような評にも目がとまった。
「率直に言って、私は少し残念に思いました。まだ1980~90年代の問題意識をひきずっている386世代の作家から抜け出せないのではないかと思い、失望しました」。
→<孔枝泳の最新作「るつぼ(トガニ)」を読む①>
とてもきれいに表示されています。内容がかなり高級なのでちゃんとは読んでいませんが、「映画」などを期待しております。
私もブログを開きたく思います。その節はよろしく。