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韓国で、映画「風立ちぬ」公開初日9月5日の観客動員は5位  ネチズンの評価は‘大分裂’

2013-09-06 23:46:32 | 韓国の文化・芸能・スポーツ関係の情報
         

 一時「右翼映画」との批判が出て韓国での公開が危ぶまれていた(→参照) 映画「風立ちぬ」。
 結局「切ない恋愛映画」として公開されることになり(→参照)、その公開初日が昨日9月5日でした。

 その反響・反応に注目している人は多いと思います。
 で、とりあえずその公開日の全国の観客動員数順位から。
※ネタ元は→コチラ。なお「風立ちぬ」の韓国題は「바람이 분다(パラミ プンダ)」です。

①スパイ(韓国.9/5~) 133,136人 ②エリジウム(米国.8/29~) 36,666人 ③かくれんぼ(韓国.8/14~) 31,963人 ④グランド・イリュージョン(米国.8/22~) 30,379人 ⑤風立ちぬ(日本.9/5~)12,193人

 ・・・ということで第5位。しかし同日公開の韓国のアクション・コメディ「スパイ」の1割以下と大差をつけられています。ちなみに上映館数は「スパイ」の694館に対し「風立ちぬ」は274館です。
 韓国では、過去のジブリ作品の観客動員数ベスト3は①「ハウルの動く城」 301万人 ②崖の上のポニョ 152万人 ③借りぐらしのアリエッティ 108万人。初日の数字で見るかぎり、「風立ちぬ」はとてもそこまで届きそうもないですね。

 韓国の代表的ポータルサイトの1つ<DAUM>中の<DAUM映画>でこの作品の評点を見てみると(→コチラ)、現時点で48人の平均が4.3。[追記:9月19日現在では141人の平均で5.1と少し上昇。]
 これまでの宮崎監督作品の平均評点(→参照)は「千と千尋の神隠し」9.4、「もののけ姫」9.2、「となりのトトロ」9.2、「ハウルの動く城」9.1、「風の谷のナウシカ」9.0、「未来少年コナン」9.0、その他の作品もすべて8.0以上だったことを考えると、この「風立ちぬ」は極端に低い、と言えます。
 「風立ちぬ」は、日本でもこれまでの作品と比べると相当に低いですが、「それに輪をかけて」極端に低いレベルですね。

 しかし、ネチズンの評点分布を見てみると、平均の4~5点をつけた人は少なく、0~1点と、8点以上の両極端に大きく分かれています。
※分布:[0点]=13人、[1点]=7人、[2点]=0人、[3点]=0人、[4点]=2人、[5点]=4人、[6点]=3人、[7点]=1人、[8点]=9人、[9点]=5人、[10点]=4人
 私ヌルボとしては、公開前の韓国での(マイナスの)前評判にもかかわらず、8点以上がずいぶん多いな、という感想。それに、日本でも評価が分かれているのは同じ。

 以下、低評価~高評価まで、ネチズンのコメントを拾ってみます。

・「第二次世界大戦。韓国人強制徴用で最高に悪質な強制労働と死を強要した三菱重工業が生産した零戦の開発設計者の一代記です。監督の意図を離れて、素材自体が絶対に韓国人が美しく眺めることができない素材です。導入部最初からセリフを聞くと、韓国人なら気がヘンになります![1.0、推薦24]
・「イスラムのテロリストも自分たちなりの夢と理想でテロをやったから、ラブストーリーをちょっと入れてアニメを作ればいいね」[0.0、推薦12]
・「誰が宮崎を右傾化人士ではないと言っているのか? 戦争技術者としての生、幸福、美を追求しただと? 説得力がない。忘れなければならない、生きなければならない? 反省というものは全然ない。宮崎の描き出した遺作だな」[1.0]
・「帝国主義正当化! 宮崎おじさんは、日本の誤りと言いながら、見せてくれるアニメーションは帝国主義を正当化させるもの!!!! ひどい奴の映画! 日本人ではなく一人の芸術家として観た映画だが、彼も日本人だった・・・」[1.0]
・「墜落することを知りながら飛翔しようとする老将の錆びついたエンジン」[5.0]
・「歴史を知っていればあまりに具合の悪い映画。ただ内容自体は一青年の飛行機愛にフォーカス。その歪曲が具合が悪い。けれども彼の最後なので。ただ映画自体は眠たい」[6.0、推薦1]
・「何が問題だ? 結局監督は帝国主義戦争に巻き込まれる個人の生を否定しなかった。やや退屈したという評価ならともかく・・・。宮崎は日本人だ。韓国人の好みに合わなかったら、それは輸入会社の責任だ」[8.0]
・「意見があまりに紛々としていて、レビューが少ないです。多少退屈です。中間部を過ぎて眠気を感じざるをえませんでした。映画は巧妙な感じがします。エンディングで出てくる音楽は良かったです。監督は"矛盾"を語っていたようです。内容は戦争に対して反対している感じを受けます」[8.0]
・「エンジニアは部品を作り、直し、修理して、ついには新しい完成品を作りだす。しかしそのエンジニアは国家の付属品となってひとつの国家(全体主義)のための道具として使用される。宮崎監督はどうかすると戦争の付属品として働いた数多くの個人に対するオマージュとして映画を作ったのではないかと思った」[9.0]
・「人生の黄金期の仕事と愛、社会的環境の束縛に対するアニメーション的な簡潔な物語」(10.0)


 上記以外に、同サイトの別のタブでアップされている力作レビューを2つ紹介します。

 1つ目は「宮崎駿式警告?」と題した→コチラ(→自動翻訳)
 ・・・これはなかなか冷静に見ています。最後の方だけ訳出します。
 「懸念?とは異なり、過去の軍国主義日本を美化したりそのような映画ではないようだ。宮崎駿式の、反戦映画と見た。
 次郎が自分を監視する政府に対して「近代国家とはいえない」と怒ると、会社の同僚たちは「日本が近代国家だと思うか」と大笑いする。
 アニメに表現されているように結核に感染した妻を愛した純粋な人が戦争の道具になってしまったことに対する切なさに対する、そして右傾化しつつある自分の国が二度と過去の日本のように破滅の道に立つなという警告のメッセージの映画と見た・・・」

 もうひとつは、大量の情報・知識を動員して本作品を批判しているもの。長いので、自動翻訳でなんとか理解してください。→コチラ(→自動翻訳)

 一方、映画専門誌「シネ21」のサイトの方は、ネチズンは今のところ6.0をつけた人1人だけ。専門家レビューは→コチラの1つ(イ・ファジョン氏)だけ。(→自動翻訳.※表題に「した道に~」とあるのは「ひとつの道に~」の誤訳。)
 イ・ファジョン氏は、そのレビューの末尾で次のように記しています。
 「非常な飛行機マニアであり、仕事中毒者である堀越の人生は、まるでアニメの道に生涯を捧げた73歳の巨匠自身の姿を投影したように濃い響きを抱かせる。だが堀越が作った "美しい夢の結晶"である零戦は当時の真珠湾空襲と特攻隊の戦闘機に使用されたのは、映画の外で議論の対象となる。"戦争美化"という世間の視線の前で宮崎駿の純粋な意図は多少歪曲された側面がなくはない。しかし、戦闘機の使い道に対する堀越の悩みはたしかに<紅の豚>のポルコが見せてくれた反戦精神ほど激しくはなかったようだ。」

 このイ・ファジョン氏の文章を読んで私ヌルボが思ったことは・・・。
 彼のみならず、歴史の中にも、現代の価値観をそのまま投影させた「物語」と「ありうべき人物像」を求める傾向の強い韓国人としては、作品中の次郎に対して「不正義の戦争」に対する批判精神・抵抗精神の不十分さに不満を抱くとともに、そこに描かれた過去の人間像がそのまま宮崎駿監督の姿勢であると理解(実は誤解)してしまう傾向があると思われます。
 戦前・戦中を描いた作品で、そんな理想像を体現したような人物(←ポルコのような)を登場させたりすると「ウソになる」と思う日本人と、植民地時代の抗日の義士やその闘争を(教科書等でも)「しっかり物語る」韓国との「歴史認識」のすれ違いがここにも表れているといえるかもしれません。

 以上いろいろ見てきましたが、おおよそは予測通りといったところでしょうか。しかし何といっても公開直後状況なので、今後なんらかの変化が出てくる可能性もなきにしもあらず、です。

 私ヌルボとしてこのブログ記事を読んで下さった方に願うのは、即断は避けるということ、そして日本人にもいろんな人がいるように韓国人にもいろんな人がいるということ。一括りにして「だから韓国人は~」と言ったりすると、「だから日本人は~」という韓国人と同じ顔になってしまいます。


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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
風立ちぬ (ソウル一市民)
2013-09-07 00:50:46
 映画は未見なので何とも言えませんが、こうしたネチズンの意見を紹介していただくことは個人的には面白くありがたいものの、こうした記事を読んで、最後の「即断は避ける」や「韓国人にもいろんな人がいる」といった認識を期待するのはちょっと厳しいかなと思うのも確かです。
 私個人はあらゆる一般化をできるだけ疑うように絶えず心がけていますが、この記事を読む一般の読み手は、これまでメディアの報道などによって抱いてきた韓国人の歴史認識や歴史観というイメージを、「ああ、やっぱりね」と強化させるだけなのではないかな、と…。
 「何といっても公開直後状況なので、今後なんらかの変化が出てくる可能性もなきにしもあらず」と書かれているように、こうした記事は事態がある程度落ち着いてきてから紹介されるのが望ましいような気がします(できるだけ早く書きたい、紹介したいと焦られるお気持ちは分りますが…)。

 個人的には、肯定であれ否定であれ、ひとつの映画作品を、ある種の道徳的価値観によって裁断すること自体を好まず、今記事の感想どれを見ても、「やれやれ」と思うしかありません。
 それは恐らく、昨日引退会見をした際、相変らず韓国メディアの記者が馬鹿のひとつ覚えのように「風立ちぬ」の韓国における「論難」(これをそのまま日本語として用いてしまうとニュアンスが大きく異なるように思いますが、当の記者は「ロンナン」と言っていましたね)についてどう思うかという質問をした際の、宮崎駿の胸中に近いのではないかと思います(今は亡き大島渚なら、すかさず「バカ!」とでも叫びかねない状況だったと思いますが、隣にいた鈴木敏夫の睨みがきいていたのか、さすがに宮崎駿はブチ切れたりはせず、大人の対応をしていましたけれども)。
 そうした芸術至上主義(あるいは芸術中心主義)はあるいは大方の理解や賛同は得られにくいものなのかも知れませんが、宮崎駿自身は「政治的正しさ」などという、時代や価値観などによってコロコロと変ってしまうようなものに右顧左眄するのではなく、批判や無理解は承知の上で、「一職人」としての「美学」にもとづいた「永遠なるもの」を表現しようとしたに違いありません。
 作品の出来不出来については上述のように何も言えませんが、そうした「確信犯的」で「極めてパーソナル」な創作行為を、自己批判を一切伴わないような「栄光ある歴史」観によって批判してみたところで、大して意味がないように思えてなりません。
 なによりも、映画ひとつを見るにも、そうした硬直的な視点から自由になれないことが、なにやら気の毒でなりません。一般化は避けたいと思いますが(苦笑)、こうした一方的な道徳的・倫理的視点によれば、ドストエフスキーでもプルーストでもジョイスでもナボコフでも、あるいはブニュエルでもパゾリーニでも誰でもいいのですが、優れた映画や文学の多くは、「不道徳」の烙印を押されてしまいそうで、なんともつまらないなというのが正直な感想です。
 いつもながら長々と失礼いたしました。
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「公正な」視点による情報提供?と自問してみる・・・ (ヌルボ)
2013-09-07 02:12:44
たしかにこれだけ「反日的コメント」を紹介しておいて「即断は避ける」と言っても無意味で、「ああ、やっぱりね」と強化させるだけなのではないかな」というのはごもっともです。
だからといって、少数派のレビューだけ紹介するのもアンフェアな誘導になるように思います。
実は私自身も「ああ、やっぱりね」という受けとめ方をしている1人間にほかなりませんが、問題はその次にどう考えるかではないでしょうか?
 
日本人であれ、韓国人であれ、「わかる人はわかる」はずで、私としてはそれを信じたいのですが、しかし、それは「わからない人はわからない」と同義でもあるんですね。(あーあ。)
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ああ、やっぱりね→やれやれ (ソウル一市民)
2013-09-07 09:54:41
 ヌルボさんも「ああ、やっぱりね」派でしたか。
 まあ、私も実はそうですが(苦笑)、実際にはもっと醒めた目で韓国なり日本なりを見ている韓国の一般市民を何人も知っているので、こうしたコメントが「少数意見ではない」にせよ、「多数意見でもない」ことを祈っています(この点、ヌルボさんも同じだと思いますが)。

 少数派のレビューだけを紹介するのはやはりアンフェアですので、それなら紹介しない方がマシだと思います。むしろそうしたフェアな紹介をいつもされていらっしゃるヌルボさんのポリシーを(僭越ながら)大変高く評価しております。
 日本のメディアにもそういう傾向がありますが、韓国メディアには自分たち(えてして記者個人)の思い込みを補強するために、少数意見(と明らかに思えるもの)でも何でも、あたかも多数意見のように紹介することがよくあります。
 所詮メディアの報道なんて眉唾だと端から疑ってかかるの人であればいいのですが(311以降、こうした人たちも増えたかとは思いますが、一方で朝日はダメ、産経はダメと端から決めてかかるような見方もまた危険ですよね)、メディアの言うことを鵜呑みにしたり、自分の信条・思想を補強・強化するために利用する人にとっては危険な「誘導」です。

 はっきり言えば、ヌルボさんのような良い意味での「禁欲的」思考をする方は余りいないのではないかと思います。特にインターネットなどの普及によるスピード化のせいなのか(?)、即断を避けてじっくり考えてみる、といったことはどんどん疎まれ、すぐに感情的に反応してしまう(例えば石原某や橋下某のように)人間が周囲にも増えているように思います。これは本当に困ったこと、というより、恐ろしいことです。
 少しでも疑問の余地があることについては、いわゆるエポケー(判断停止)をして熟考するということが見直されなければいけないと思うのですが、「あれか、これか」と思考していることが判断力や決断力の欠如であると思われるだけの世知辛い今の世の中では、一見分りやすくて感情・情緒にすぐに訴える刺激的な言葉や思考がもてはやされるだけなのでしょうか。実に怖い状況です。
 というわけで、ハルキ風に「やれやれ」です。
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はじめまして (来生自然)
2013-09-07 21:13:47
韓国での封切を検索していてたどり着きました。コメントのやり取りの深さもあり、誠に勝手ながら早々トラックバックをさせていただきました。(おそらく)極一握りのモノ言う人々と多数の物言わぬ(と目されている)人々という図式、そうして両者の乖離度の深さは、いろいろな意味で恐ろしい状況への序曲のように思えるばかりで、様々な領域での弊害として、現れているように思われます。地震・津波・原発を完全にはコントロールできないのを「知っている」のと同様に、ネットワーク上での情報(個人的には状報)を完全にはコントロールできないことを知りつつ、人類は生きていかねばならない存在なのでしょう。。。単なる杞憂であればいいのですが。。。
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コメントまできちんと読んで下さってありがとうございます。 (ヌルボ)
2013-09-08 00:59:42
来世自然様。

「来生自然の。。。」の最新記事を5件ほど、「単一的な思考・志向を打破するには。。。」以下共感をもって拝読しました。
「知的共有可能な概念・主義・主張を代表しうる記号・言葉・モノ」としての「モニュメント」という概念や、「多義図形的に折り重なるべきものが、容易に二者択一方向へ引き離されていく事態を招くことになる」という現実把握、あるいはこの映画について「宮崎氏としては、モニュメントを確立することで、「その向こう側を覗き込んでくださいね」だろうが、それのみでは、そういった感情に十分答えられるのかどうか、今更ながらに不安になる」という見方等々は、とくに「なるほどなー」と思いました。

この「風立ちぬ」についてももちろんそうですが、さまざまなイシューについてかまびすしい論議が繰り広げられている中で、諸情報を冷静に判断し、自身で咀嚼して思考している文章に接するとホッとした気持ちになります。
「コメントのやり取りが秀逸だと思った」とのことですが、私としてはソウル一市民さんの「ツッコミ」があったので自らを省みたという感じなのでちょっと恥ずかしい気持ちもなきにしもあらずです。
しかし、こうした問題意識に共鳴してくださる方がいることは正直とても心強く思います。感謝!
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