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「親日派」小説、読まずに排斥すべからず!② 金聖珉「緑旗聯盟」を読む(上)

2013-05-12 23:44:38 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 5月6日の記事<日本植民地文学精選集>(ゆまに書房)の紹介をしました。

 その中の[朝鮮編]10・金聖珉「緑旗聯盟」を読んでみました。意外とおもしろく、ためになったので、自分自身の備忘録もかねて内容紹介+関連で調べたこと+感想等を記事にします。

          
  【先の記事でも書いたように、この本は約400ページで1万6千円。今まで読んだ高価な小説の第1位です。】

 奥付によると、1940(昭和15)年6月20日、東京の羽田書店発行です。
 作者の金聖珉(김성민.キム・ソンミン)は、韓国文学史上さほど特筆されるほどの作家ではないようで、「韓国近現代文学事典」に彼の名はありません。しかし韓国ウィキには彼の経歴等がかなり詳しく記されています。その概略は次の通りです。

 金聖珉(1915年5月15日〜69年11月9日)日本名:宮原聡一は 植民地時代の小説家であり、脚本家兼映画監督。  
 平壌高等普通学校を卒業した後しばらくの間映画制作に従事した後、寧辺郡の満浦線の乗務員として勤務。 1936年8月に日本の"サンデー毎日"が主催した懸賞金1000万ウォンの大衆文芸小説に日本語の小説「半島の芸術家たち(반도의 예술가들)」に当選して作家としてデビューした。
 この「半島の芸術家たち」は、1941年李炳逸(イ・ビョンイル)監督により「半島の春」のタイトルで映画化された。
 以後、終戦まで彼は「緑旗聯盟」の他、「天上物語」「恵蓮物語」等<内鮮一体>を宣伝する内容の小説を発表。このため、民族問題研究所の「親日人名辞典収録者名簿」の文化/芸術部門に彼の名が含まれている。
 光復後の1948年には、映画「愛の教室」の監督と製作・脚本を担当。その後も「運命の手」(ハン•ヒョンモ監督.1954年)等々のシナリオを担当し、また1950年代韓国の代表的な映画監督として指折り数えられる等、1969年11月9日台湾で脳溢血で死亡かるまで、映画界で活躍した。


 そうか、映画「半島の春」の原作者だったのか! (映画の方がよく知られているかも・・・。)
 この映画については、→関連記事①、→関連記事②、→関連記事③等に説明がありました。つまり、この「半島の春」は、2004年発見の「家なき天使」「志願兵」に続いて翌年中国電影資料館の倉庫から「朝鮮海峡」とともに発見された日本統治時代に作られた劇映画で、「朝鮮映画史の空白を埋める貴重な映像資料」として報道されたということです。
 ※YouTubeにこの映画の一部がupされています。→コチラ

 さて、この「緑旗聯盟」、扉に「横光利一師にささぐ」という献辞が掲げられています。
 金聖と横光との関係はよくわかりません。(もしかしたら、上記懸賞小説の選者?)

 内容&感想・考察の前に、この書名<緑旗聯盟>について。(私ヌルボ、この聯盟については知りませんでした。)
 本書巻頭の<作者のことば>に、下記のような作家自身の説明があります。

 「緑旗聯盟」とは現下の朝鮮に於ける内鮮一体化運動の標語であります。現に京城に於ける「緑旗聯盟」本部では半島人の皇民化運動に盡すところ多く、作者もそれに多大の共感を覚えましたので、同じ思想のもとに描かれた自分の小説にも、右の題名を冠した次第です。  
 「尚「緑旗」の象徴とするところは、朝鮮の赭山に、総督政治によつて緑なす若木が植えられた。つまり日本文化と日本精神が半島の大地に根をおろしたのです。この樹々の緑に因んで緑旗聯盟の命名がなされたのだと思ひます。

 ※『岩波講座 近代日本と植民地6 抵抗と屈従』に、高崎宗司「朝鮮の親日派-緑旗連盟で活動した朝鮮人たち-」という論考がありますが、未読。
 また、ネット上では、この聯盟について詳述されている山本博昭「緑旗連盟と戦時下「国語」普及・常用運動」(佛教大学大学院紀要)という論文をリンク先で読むことができます。

 ・・・というところで、ようやく小説の内容。
 主人公の青年南明哲(なん・めいてつ.ナム・ヨンチョル)は京城市の桂洞町(現・桂洞)の屋敷に住む資産家の次男坊。当時座間にあった陸軍士官学校の最終学年。父には早稲田に行くと嘘をついて陸士に内緒で入っているのです。
 学友の小松原保重と親しいが、彼は実業家の三男。
 南明哲も小松原保重も、上3人が男で末っ子が女という4兄妹、と必然的に恋愛物語が生まれる都合のいい設定(!)になっています。
 小説は、陸士に通っていることが父親にばれ、落胆し激怒する父から「仕送りを止めるぞ」と明哲が脅されてピンチ!というあたりから始まります。
 ここで小才の利く弟明洙が登場。やはり日本留学中で、妹明姫と同居してともに音楽を学んでいます。彼は兄の明哲に「結婚して朝鮮に帰れば問題は解決」入れ知恵します。相手はもちろん以前から憎からず思っていた保重の妹保子。(どっちの兄妹も名前が実にわかりやすい!)
 よし、とばかりに手紙で保子に手紙で求婚します。しかし保子は、体面を重んずる父の反対を押し切ってまで結婚する気持ちはなく、また誰とも結婚したくないとも・・・。そして「まだ友情のままの期間をつづけましょう」と返書。

 ・・・この間、そしてその後、保子は保雅(次男?)に相談したり、明哲の側では明姫&明洙が保子と会ったり・・・と周辺の人物たちがせわしなく立ち回ります。
 ここでヌルボが物語の展開と直接は関係ない点で気づいたのは、彼らの会う場所が主に銀座の有名店ということ。保雅と保子兄妹は市ヶ谷から車を拾って尾張町で降り、エスキモーで昼食をとり、帝劇2階でアメリカ映画「地の果てを行く」を観たりしてます。
 事態がさらに展開してからですが、明哲が保重の誘いで行ったのも銀座で、2人は梅林に入ってカツを食べ、そして資生堂へ。そこに2丁目の富士アイスの前の公衆電話から保重がこっそり呼び出した保子が現れます。
 あ、もっと後の方では明姫が保雅に電話して、その時は新宿の高野で待ち合わせしてます。
 さらに後、明哲が卒業して東京駅から京城に向かう日は、明洙と2人で銀座7丁目の松喜に行くと、2階の座敷には保重が来ています。
 当時の銀座のようすに疎い私ヌルボ、ちょいとネット検索してしまいました。すると主要店舗も入った地図つきの記事がバッチリ見つかりました。(→コチラ。)

 しかし、本筋はずいぶん深刻な話なのに、このノーテンキな有名飲食店めぐりはなんなんだ!?
 ・・・と思いましたが、考えてみればどちらの兄妹たちも資産家のドラ息子&ドラ娘で、また当時の街では今のようにコーヒーのチェーン店が林立しているわけでもなく、外に出てじっくり話をするとなるとこのような店に落ち着くのは自然な流れなのかもしれません。

 ・・・というところで本筋に戻ってその後の展開をたどると、果たしてこれが今の韓国人の視点から見ても全否定されるような「親日」小説なのかどうか、という記述もあったりして・・・。

 アラ、もう2500字を超えてしまいました。以下は続きで、ということにします。

 続きは→コチラ


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