ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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[韓国語と韓国文化] 「ドリ」と「スニ」をめぐるいろいろ ④差別語や自嘲の言葉として

2015-10-02 23:52:17 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 → 「ドリ」と「スニ」をめぐるいろいろ ①

 → 「ドリ」と「スニ」をめぐるいろいろ ②

 → 「ドリ」と「スニ」をめぐるいろいろ ③

 「ドリ(돌이)」「スニ(순이)」がテーマなのに、前回の記事ではコンドリ・コンスニのことよりも80年代の<偽装就業者>や孔枝泳のことをたくさん書きすぎてしまいました。で、今回は軌道修正。

 前回少しだけ書いたように、コンドリ(공돌이)コンスニ(공순이)は70~80年代の工場労働者を示す言葉として、また差別的なニュアンスを込めて用いられました。「공」は工場の「工」です。
 そして30年以上経った今。コンドリ・コンスニの語は多少ニュアンスは変わったようです。つまり、工場での機械化が進んだことで労働の質も変わり、現在では専門的な知識・技術を持った人たちが工場で働いているので、とくに劣等感を持ったり差別の対象とされたりといったものではなくなり、<愛称>(?)あるいは<便宜上>(?)として使われる軽い言葉になっているようです。・・・というのは<ナムウィキ>の「コンドリ」の項目(→コチラ)の説明に拠るものですが、「往時(1970~80年代)を経験した年配者は昔の認識のままの人が多いので要注意!」とも記されています。
 また、現在は工学系の学生(理系の高校生を含む)をコンドリ・コンスニと呼ぶこともあるそうです。ただ、工大生同士がこの言葉を使う分にはいいのですが、「他人からそう言われると不愉快」というのもわかるような気がします。※関連でレプトリ(랩돌이)レプスニ(랩순이)という語もあるそうです。「レプ(랩)」laboratory(研究室)の略。研究室通いの理系院生を指す言葉のようですが、一般的な言葉ではなさそう。
 もっと一般的な言葉にはムンドリ(문돌이)があります。こちらは文系の学生のこと。昔からあった言葉ではなく、コンドリが一般化した後にその反対概念としてできた言葉です。コンドリ同様、当初は軽蔑的なニュアンスがあったそうです。(←とくに文系の就職難の時代。)

 以下、コンドリ・コンスニ以外に、時代の変化とともに新しく生まれた「ドリ」「スニ」語を拾ってみました。

ピョンドリ(편돌이)ピョンスニ(편순이)コンビニ(편의점.ピョニジョム.便宜店)のアルバイト店員のこと。週末連続で夜勤とかのきつい勤務もあり、店によってもさはりますが、概して仕事自体は大変ではないとか・・・。しかし最低賃金(時給5580ウォン)さえ支給されないケースもあるようです。

<青年ユニオン(청년유니온)>という青年世代の労働組合にピョンドリ(병돌이)ピョンスニ(병순이)という言葉に関わる記事がありました。(→コチラ)。「병(ピョン)」は「病院(병원)」「病(병)」です。記事の筆者が以前酒の席で、お医者さんを相手に「医師や看護師といったピョンドリやピョンスニ・・・」と言うと、そのお医者さんはすごく怒って「人の命を預かる貴い仕事を蔑む言葉をなんで口にできるんだ!?」と非難されたとのことです。
 筆者にしてみれば、長時間病院でゆとりのない労働をしている、という意味で使った言葉とのことですが、上述のような齟齬があったようです。

韓国で8月から公開されている「危路工団(위로공단)」という映画があります。イム・フンスン監督によるドキュメンタリーで、女性労働者の約40年間の歴史をたどりつつ、現在の彼女たちの置かれている厳しい状況を描いたものです。その中で、ソウル市の120茶山(タサン)コールセンター(120 다산 센터)の担当職員が自分たちのことをコルスニ(콜순이)と言ったそうです。120茶山(タサン)コールセンターは2007年設置されたソウル市の苦情処理担当部署で、120は電話番号、茶山は朝鮮時代後期の実学者・丁若(チョン・ヤギョンの号)です。ところが、その担当職員は市の正規職ではなく、民間委託業者3社からの間接雇用非正規職で、「最低賃金、残業、感情労働の沼」の中で働いているとか・・・。(参考→<レイバーネット>の記事。) つまり、こうした過酷な労働実態がかつてのコンスニと変わらないという意味でコルスニと言っているというわけです。

タンスニ(탕순이)も辞書にない言葉です。この場合の「탕(タン.湯)」とは何のことなのか、私ヌルボ最初はわかりませんでした。いろいろ検索してみると、どうも「증기(蒸気湯)」のことのようです。日本でいうところのソープランド。そこの従業員がタンスニ(탕순이)。つまりはソープ嬢。10年ほど前の記事を見ると、売春で摘発されたとか、また女性専用の蒸気湯が「雨後の竹の子のごとく」増えていて(→コチラ)、男性従業員のことをタンドリ(탕돌이)と呼ぶとかのニュースがありました。また当のタンスニの「タンスニ、タンスニとバカにしないで! タンスニも人間よ!」といった訴えもありました。

チプトリ(집돌이)チプスニ(집순이)「집(チプ)」はもちろん「家」家に籠っている人、つまり「引きこもり」。公式には「은둔형 외톨이(隠遁型一人ぼっち)という言葉があるようですが・・・。

ケムドリ(겜돌이)ケムスニ(겜순이)。これは見ればおよそ見当がつきます。「겜」は「게임(ゲーム)」の縮約語。ゲームにはまってる人・・・でしょう。

パスニ(빠순이)は、カタカナで検索してもそれなりに(1500件くらい)ヒットします。「スターの追っかけ」をしている女性ファンのこと。オッパ(오빠.お兄さん)を追いかけるオッパスニ(오빠순이)が簡略化してできた言葉だそうです。男性の追っかけはパドリ(빠돌이)。なお、→コチラの記事によると昔はバー(바)で働く女性を蔑んで用いた言葉だったそうです。

 上記以外のドリとスニの用例を見てみると、イヌ等のペットの名前はそれなりにあるようですね。
 ようやくこのシリーズも終わり。で、ドリ・スニの意味を一応分類してまとめておきます。
  [1] 伝統的な男性・女性の名前
  [2] 組織・団体や、催しのマスコットの名称
  [3] 低く見られている職業に対する蔑称または自嘲の言葉
  [4] 低賃金・長時間労働を強いられている労働者
  [5] ペット、人形、幼児等の愛称


※自分用のメモ。私ヌルボがスニという名前を記憶に留めた最初は、在日の歌手・李政美(イ・ジョンミ)のカセット「キム・ミンギ(金敏基)を歌う」(1988)に収録されている「川辺で(강변에서)」の歌詞の「우리 순이가 돌아온다(私たちのスニが帰ってくる)」という一節です。

韓国内の映画 Daumの人気順位 と 週末の興行成績 [9月25日(金)~9月27日(日)]

2015-09-29 21:13:41 | 韓国内の映画の人気ランク&興行成績
 26日見逃していた「あん」を久しぶりの港南台で鑑賞。もしかして30年ふりくらい? 客が私ヌルボ1人だけということがあった映画館。今回はその20倍以上入ってたなー。映画の方は、河瀬監督の作品としてはめずらしく(?)退屈することなく観られました。その中で出てきた多磨全生園や、チラッと映っていた「舌読(ぜつどく)」、そして国立ハンセン病資料館のことをご存知なかった方はぜひ→コチラの過去記事に目を通してみてください。
 今、ちょっと韓国の被差別民・白丁(ベクチョン)関係の本を読んでいますが、目に見えにくい差別というのは実に厄介です。差別している人としてはそれが「ふつう」のことで、差別にあたるとは全然思っていないという事例は世の中にいろいろありそう。

 映画関係サイト内での評点等でときたま「不自然」なものを見かけますか「チャンス商会」はどうなんでしょうかねー? ま、観てみればわかるんですけど・・・。

「朝鮮日報」9月25日掲載の「封切映画 ぴったり10字評」 (ハングル文も訳文も10字です。)
 「マイ・インターン」
  世代間の共感の新次元 ★★★★
 「エベレスト」
  不可能なことの恍惚感 ★★★☆
 「探偵:ザ・ビギニング」
  演技も演出もガタガタ ★★★
 「今は正しいがその時は間違いだ」
  面白い「ホン・サンス世界」 ★★★★
 「西部戦線」
  出口戦略が惜しい映画 ★★★
 「レジェンド・オブ・ラビット」
  「カンフーパンダ」に劣る ★★
 「レジェンド・オブ・ラビット」は中国の3Dアニメ。ウサギ等の動物たちのカンフー対決。→コチラ参照。他の5作品は下の記事中で紹介しています。

           ★★★ Daumの人気順位(9月29日現在上映中映画) ★★★

     【ネチズンによる順位】

①奇跡のピアノ(韓国)  9.7(41)
②危路工団(韓国)  9.3(29)
③今日の映画(韓国)  9.3(20)
④戦場のピアニスト  9.3(592)
⑤今日  9.2(21)
⑥愛が勝つ(韓国)  9.1(32)
⑦あん(日本)  9.0(41)
⑧PK  9.0(122)
⑨あなたをずっとあいしてる(日・韓)  8.8(87)
⑩映画 妖怪ウォッチ 誕生の秘密だニャン!(日本)  8.8(49)

 若干順位変動がありましたが、新登場の作品はありません。

     【専門家による順位】

①セッション  8.4(7)
②今は正しいがその時は間違いだ(韓国)  8.2(4)
③ひと夏のファンタジア(韓・日)  8.0(7)
③危路工団(韓国)  8.0(7)
⑤エヴァの告白  8.0(5)
⑥インサイド・ヘッド  7.6(9)
⑦ルック・オブ・サイレンス  7.6(5)
⑧ハリール・ジブラーンの預言者  7.5(4)
⑨ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション  7.3(8)
⑩ベテラン(韓国)  7.3(8)

 ②「今は正しいがその時は間違いだ」だけが新登場です。ホン・サンスの新作、といっても、例によって映画監督と女がたらたら酒を飲み、たらたらおしゃべりするだけの展開みたいです。手違いで水原に1日早くやってきた映画監督ハム・チュンス(チョン・ジェヨン)。次の日立ち寄った復元された王宮で画家ユン・フィジョン(キム・ミニ)と会い、2人はユンの作業室でユンの絵を見て、夕方焼酎をたくさん飲んで・・・。親密になった2人は他のカフェに移動してまた飲んで・・・。しかし、そこで誰かが問うでハム監督は結婚していた事実を語り、ユンはハムに失望して・・・。こんな出会いと別れがもう1回続き・・・って、こんな映画がもう何回続いてるんだ!? それでも観ればそれなりにおもしろいのがフシギ。(笑) 原題は「지금은 맞고 그때는 틀리다」です。

         ★★★ 韓国内の映画 週末の興行成績[9月25日(金)~9月27日(日)] ★★★

         時代劇「思悼」が3週連続トップ

【全体】

順位・・・・題名・・・・・・・・・・・・・・・・・公開日・・・・・週末観客動員数・・・累計観客動員数・・・累積収入・・・上映館数
1(1)・・思悼(韓国)・・・・・・・・・・・・・・9/16・・・・・・・・・・・1,226,640 ・・・・・・・・3,590,595 ・・・・・・・・28,549・・・・・・・・・927
2(8)・・探偵:ザ・ビギニング(韓国)・・9/24 ・・・・・・・・・553,419 ・・・・・・・・・・629,084 ・・・・・・・・・5,111・・・・・・・・・641
3(2)・・メイズ・ランナー2 ・・・・・・・・9/16・・・・・・・・・・・・516,055・・・・・・・・・1,896,777・・・・・・・・・15,067・・・・・・・・・589
        :砂漠の迷宮
4(37)・・マイ・インターン ・・・・・・・・・9/24 ・・・・・・・・・・・337,420・・・・・・・・・・・391,737・・・・・・・・・・3,240・・・・・・・・・481
5(新)・・西部戦線(韓国)・・・・・・・・・9/24 ・・・・・・・・・・・242,149・・・・・・・・・・・294,481・・・・・・・・・・2,349・・・・・・・・・509
6(4)・・ベテラン(韓国)・・・・・・・・・・・8/05・・・・・・・・・・・・147,902・・・・・・・・13,016,278・・・・・・・・102,060・・・・・・・・・389
7(新)・・エベレスト 3D・・・・・・・・・・・9/24 ・・・・・・・・・・・125,917・・・・・・・・・・・154,199・・・・・・・・・・1,432・・・・・・・・・331
8(23)・・ミューン:月の守護者 ・・・・9/24・・・・・・・・・・・・・55,053・・・・・・・・・・・・61,786 ・・・・・・・・・・・462・・・・・・・・・335
9(3)・・アントマン ・・・・・・・・・・・・・・・9/03・・・・・・・・・・・・・37,900・・・・・・・・・2,789,456・・・・・・・・・23,130 ・・・・・・・・158
10(122)・・リトル・トムと魔法の鏡・・9/24・・・・・・・・・・・・22,346・・・・・・・・・・・・26,236・・・・・・・・・・・195・・・・・・・・・189
     ※KOFIC(韓国映画振興委員会)による。順位の( )は前週の順位。累積収入の単位は100万ウォン。

 「ベテラン」が昨日(28日)「グエムル-漢江の怪物-」を抜いて韓国映画歴代3位に。上は「バトル・オーシャン 海上決戦(鳴梁)」(1761万人)と「国際市場で逢いましょう」(1425万人)だけです。
 今回の新登場は4・5・7・8・10位の5作品です。
 4位「マイ・インターン」は、人気俳優共演のアメリカ映画。ファッションサイトの社長として成功したジュールズ(アン・ハサウェイ)に訪れた最大の試練。そんな時、インターンとしてやってきたのがベン(ロバート・デ・ニーロ)。ジュールズは40歳年上の彼の助言に励まされながら心を通わせていく・・・。韓国題は「인턴」。日本公開は10月10日で、諸情報が出ています。
 5位「西部戦線」は、ソル・ギョングとヨ・ジングというベテランと若手俳優が共演した朝鮮戦争物。農作業中に連れてこられた韓国軍兵士ナムボク(ソル・ギョング)は、休戦の3日前、一級秘密文書を定められた場所と時間までに伝える任務を受けます。敵の襲撃で仲間も秘密文書もすべて失ってしまいます。一方、北韓軍の戦車兵ヨングァン(ヨ・ジング)は、南へ進軍する途中敵機の爆撃に遭い1人残されます。戦車を曳いて北に帰ろうとしたヨングァンは偶然ナムボクの秘密文書を手に入れ、西部戦線で2人が出くわすことに・・・。秘密文書を失くしたら銃殺、戦車を捨てて逃げれば銃殺。2人の偶然の対決の行方は・・・。原題は「서부전선」。<ソウルナビ>が「西部前線」としちゃってるのは誤訳ですよー。
 7位「エベレスト 3D」は、英・米・アイスランド合作の実話に基づいたアドベンチャー大作。1996年、有名な登山ガイドのロブ・ホール(ジェイソン・クラーク)、登山実業家スコット・フィッシャー(ジェイク・ギレンホール)、そして世界中から集まった登山隊が1つの目標を持ってエベレストを向かいます。厳しい条件の中、登頂に成功した喜びもつかの間、予期せぬ突然の雪崩、そして多数の命を脅かす不測の事態が・・・。韓国題は「에베레스트」。日本公開は11月6日で、もう予告編やってるし、公式サイト(→コチラ)もできてます。
 8位「ミューン:月の守護者」(仮)は、<TAAF東京アニメアワードフェスティバル)2015>のコンペティション部門で優秀賞を受賞した フランスの長編アニメ。
太陽と月を守る妖精たちがいる神秘の世界。月の妖精ミューンはうっかり夜と夢の責任を負う最高守護者になってしまいます。太陽の守護者ソホンはおマヌケなミュンが守護者に任命されたことに納得がいきません。そんなある日、かつての偉大な太陽の守護者で、今は暗黒の支配者になってしまったネクロスが太陽を盗んでいって行って、光の世界は闇に陥ってしまいます。ミューンとソホン、そしてキャンドル少女グリムも一緒に、太陽と月を取り戻すため冒険に乗り出します・・・。韓国題は「뮨: 달의 요정(ミューン:月の妖精)」。日本でも韓国でも観た人の評価はとても高いですが、日本での一般公開は未定のようです。これは観てみたいなー。
 10位「リトル・トムと魔法の鏡」(仮)は、キューバ・スペイン合作のファンタジー・ミュージカル・アニメ。1本の巨大な木が魔法にかかって一晩だけで急成長。そのため平和だった王国はすべてが闇に・・・。王はその巨木から王国を救う英雄を探しします。兄たちにいじめられていた少年トムも勇気だけは巨人レベル。そのニュースを聞き、伝説で聞いていた魔法のツールを探しに出かけますが、王国では覆面をかぶった泥棒姫が登場してにわかに騒がしくなってきます・・・。韓国題は「더 매직: 리틀톰과 도둑공주(ザ・マジック:リトル・トムと泥棒姫)」。日本公開は未定のようです。

【多様性映画】

順位・・・・題名・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・公開日・・・・・・週末観客動員数・・・・累計観客動員数・・・・累積収入・・・上映館数
1(6)・・ミューン:月の守護者・・・・・・・・・・・・・9/24 ・・・・・・・・・・・・・55,053 ・・・・・・・・・・・・61,786 ・・・・・・・・・・・462 ・・・・・・・・335
2(58)・・リトル・トムと魔法の鏡・・・・・・・・・・9/24 ・・・・・・・・・・・・・22,346 ・・・・・・・・・・・・26,236 ・・・・・・・・・・・195 ・・・・・・・・189
3(新)・・今は正しいがその時は間違いだ(韓国)・・9/24・・・・・・12,488 ・・・・・・・・・・・・18,471 ・・・・・・・・・・・156 ・・・・・・・・・59
4(1)・・あん(日本)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9/10 ・・・・・・・・・・・・・・1,392 ・・・・・・・・・・・・21,895 ・・・・・・・・・・・172 ・・・・・・・・・21
5(2)・・エール! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8/27 ・・・・・・・・・・・・・・1,163 ・・・・・・・・・・・117,070 ・・・・・・・・・・・894 ・・・・・・・・・20

 1位「ミューン:月の守護者」(仮)・2位「リトル・トムと魔法の鏡」(仮)・3位「今は正しいがその時は間違いだ」の3作品が新登場です。いずれについても上述しました。

定年前退職S氏のソウル・慶熙大学校10週間留学記 (15)

2015-09-27 23:54:48 | S氏の慶熙大学校10週間留学記
<ヌルボより>  S氏の留学記も今回の番外編で最後。私ヌルボが4月に行って彼に会った時、「修了式の後は何日か日程のスキマができるのでどうしようかな」とか言ってましたが、寄宿舎を出て(出ざるをえない)ヌルボが泊まっていた安ホテルに移り、そして14~15日に束草に行ったのですね。

≪ソウル留学番外編≫
◎6月14日(日)~15日(月)
 日本から来ていた2人連れの友人のガイド役が終了。カンさんと日本から来ていた彼の友だちもずいぶんと助けてくれた。明日は束草(ソクチョ)への一人旅を決めた。カンさんからは「せっかくだから江陵(カンヌン)まで行ってくれば」とか、「バスに乗るときは前の席に座り景色を眺めながら行った方がいいよ」と言われた。翌日の15日朝5時45分に起きる。なんと雨の音がする、風も強そうだ。さあ困った。ネットで天気予報を見るとソウルも束草も今日一日天気は悪そうだった。気が滅入る。中止しようかと思ったが、せっかくなので意を決して行くことにした。
 外は肌寒く、長袖が欲しいくらいだ。6時45分、宿を出て地下鉄2号線の乙支路(ウルチロ)3街駅に向かう。幸運にも小降りになった。7時20分、江辺(カンビョン)駅前にある東部バスターミナルの切符販売所でチケットを買うが、バスは7時に出た後で次は8時20分。1時間待つことになる。簡単にキンパプ(のり巻き)をコンビニで買って朝食にする。美味しくない。
 バスに乗ると、28人乗りの優等(ウドン)バスだが中はガラガラ。乗客は6人しかいない。一番前の席は空いていた。カンさんに前の席に座れといわれたのを思い出し、運転手に前の席に移っていいかと聞いたところ、「いいよ」とのことで席を移動する。天気は回復し晴れ間が出てきた。定刻通り出発。漢江の陽の光の反射を見ながらバスは高速道路に入る。予定では10時35分ごろの到着。9時半になってバスは休憩所に入り15分間の休憩。出発時間になったが1人戻ってこない。5分経っても戻らないので運転手が探しに出た。それから数分して70歳くらいのおじいさんを連れて戻ってきた。手には買い求めたと思われる2本の茹でたとうもろこしを持っていた。10分程度の遅れで出発。後ろを盛るとおじいさんはとうもろこしを美味しそう食べている。
 山景色と水田ととうもろこし畑を見ながらバスは進み、束草まであと8キロという標識を見た後少し長めのトンネルに入る。出たところは深い霧で、先ほどまで薄日が差していたのが嘘のようだ。視界は10数mくらいしかなく徐行運転。数分して市内に入ると霧は晴れていた。そんなことで束草の高速バスターミナルに着いたのは11時近かった。ターミナルの真横に観光案内所があり、さっそく今日の宿を探す。綺麗な部屋を探して欲しいというと、観光客は少ないのですぐ探してくれた。雪岳(ソラク)山にも行って見たかったので、「ロープウェイは動いているか?」と聞いたところ、「運行している」とのこと。宿はターミナルの真横だ。部屋を見てから決めようと思ったが、宿の50歳前後と思われる主人は感じが良く料金は3万5千ウォン。ルームキーを渡されて6階の部屋にゆくと大きめの部屋でなかなか綺麗な部屋だった。これなら文句はない。
 15分ほど休憩し、近くのバス停から市内バスで雪岳山のロープウェイ乗り場の終点まで行く。乗車時間は約20分。バスを待った時間は数分程度。薄日は射しているものの山はどうせガスっていると思ったが、まあしょうがない。案の定,山の上は雲がかかり、景観で有名は雪岳山も今日はだめだ。天気が悪くとも日曜日のためそれなりに観光客は多い。入山料3500ウォンを払って公園を進み、ぱっとしない食堂で昼食。ロープウェイに乗場周辺にはおしゃれな食堂がいくつかあった。ここで食べればよかったと悔やまれた。往復9000ウォンのチケットを買い乗車。チケットを買う際、「上に上がっても景色は見えないですがいいですか?」と念を押される。数分乗車して駅に着いたが、着く直前に目の前に急峻な岩が現れる。駅から整備された山道を十数分上ると権金城と呼ばれる絶景で有名なところだ。ちなみに城はない。広場のような自然の岩場があって多くの人が休憩したり更に上の方に登ったりしている。時おり霧の晴れ間から少し景観が現れるが、目の前は切り立った断崖絶壁。しかも柵はなく転落したら一巻の終わりだ。さすがに足がすくむ。あと2、30m上がると頂上だ。遠いところまで行ったが、急な岩場でロープを伝わなければいけない。霧も濃く、たいした靴をはいていないので無理することない。下山することにした。ロープウェイの乗り場まで戻ると霧はだいぶ晴れてきていて、下の乗り場が見えるようにまでなっていた。
 いったん宿に戻り、次はアバイ村を目指すことにした。3時半頃出発。海岸に近いところを30分ほど歩く。アバイ村へはケッペという人力の箱のような船に乗らなければ行くことはできないと思っていたので、小さな船着場を見つけ乗船。20mくらいの幅の運河のようなところをワイヤーロープに先の曲がった鉄の棒を引っ掛けて引っ張ると船が進む。乗客も手伝いながら2分程度で到着。アバイ村は小さな島のようなところのはずだが、ちょっと歩くとバス通りがある。おかしいと思ったら乗ったところがアバイ村だった。すぐに引き返して再度乗車。なるほど小さなところに3、40軒の食堂がひしめき合っている。ここでの名物はアバイスンデオジンオ(イカ)スンデだ。トウミからアバイスンデは大して美味しくないと聞いていたので。店の前でてんぷらを揚げているアジュンマの誘われるま店の軒先に座りオジンオスンデを注文。まあまあいける味だったが、サービスで出してくれたエビとイカのてんぷらが衣がサクサクしてとても美味しかった。
 食べていると向かいの店がやけに騒々しい。その店の隣人と思われるおばあさんが隣の店の従業員を怒鳴り散らしている。物を投げているような音もする。日ごろの鬱憤を晴らしているようだった。ひとまず収まったと思ったが、また人目を憚る様子もなく大騒ぎを始める。韓国人の感情表現のもの凄さに驚きあきれる。
 食後もう一度ケッペにのる。ここでぽつぽつと雨が降り出す。今日はもう降らないだろうと思って傘を宿に置いてきてしまった。バス通りを渡ると大きな市場があってしばし見学。乾物中心に肉、魚介類、野菜、雑貨、何でも売っている。特に地元の特産のタラコ、めんたいこが目についた。雨は強くはないが降りやまず雷鳴まで聞こえてきた。しかたなく傘を1本購入。小雨の中、海沿いを延々と歩いて埠頭をめざす。降ったり止んだりする中を4、50分ほどひたすらに歩く。埠頭の手前にカニ料理と干し魚を売る店が道路の両脇に百数十メートルは続いているところに出る。店の前の生簀に種類別に分けられていたが、どれも美味しそう。残念だが高くて量も多くとても手がでない。埠頭までたどり着き、展望台から海を眺めた。さすがに疲れた。それにしてもこの3日間歩きづめのような気がする。われながら何でこんなに元気なのか、と思いつつ市内バスに乗り、宿に着いたのは8時ごろだった。宿の名前はロコステル。けっこう大きなピンク色の宿。今は料金が安いがシーズンになるとかなり高くなるそうだ。束草はもうあまり見るところはなさそうだ。江陵にでも立ち寄りソウルに戻ることにしよう。

<ヌルボより> 昨夜(26日)、サークル関係の飲み会で、このS氏の留学記についてT兄(ヒョン)、「Sさん、悪いけど俺はアンタが行った所は全部行ったよ」とニヤニヤ。
 ヌルボが済扶島(チェブド)(→コチラ)にも行ったのかと訊くと、もうずいぶん以前に行ったらしい。ということは、世宗大王陵(英陵)とか、利川のなんとかにも行ったのかな? うーむ、なんという人だ。
 私ヌルボはT兄の足許にも及ばないものの、この束草には去年6月行ったゾ! 楊口(ヤング)とか高城(コソン)統一展望台に行った時に・・・というところで、振り返ってみると、本ブログでは旅の始まりで酒を飲んでる場面(→コチラ)と、高城展望台関係(→コチラ)しか書いてないことに気づきましたがな、ハハハ。
 そういうわけで、その時撮った写真の中で今回の≪番外編≫にも関係するものを貼っておきます。
     
 有名なケッペ(갯배)。目と鼻の先くらいの距離を結ぶ「渡し船」。・・・というか、直訳すると「犬舟」なので「ニセ舟」といった感じでしょう。舟の進行方向と反対側にロープを引っぱります。動画は→コチラ
 これも昨夜の話で、T兄がケッペを知ったのはNHKの「ぐるっと海道3万キロ」で見たのが最初とか、・・・ってヌルボと同じでないの! 今ネットで調べたら1985~88の放送。そんなに昔だったのかー・・・。
      
 ケッペを下りたすぐのところにある「秋の童話」のウンソ(ソン・ヘギョ)ジュンソ(ソン・スンホン)の像。韓国での放送は2000年9~11月だったのか。ソン・ヘギョは1982年生まれ。ふーむ。ソン・スンホンは1976年でウォンビン1977年か。みんな同じように年を取っていきます・・・。
      
 海岸には北朝鮮から越南してきたアバイ像と、ここにも「秋の童話」の説明板がアバイ(아바이)とは咸鏡道(ハムギョンド)方面の方言で「おじいさん」の意味。
      
 アバイスンデ(左)とオジンオスンデ(右)。オジンオスンデの方が美味しいかもしれませんが、アバイスンデも決して美味しくないわけではありません。チラと写っていますが、いろんな魚のゴッタ焼きも食べました。
     
 刺身は韓国でも安くはありませんが無性に食べたくて・・・。で思い出したのは、6月1日の日記で「韓国のひとは食べないらしい」と記されていた<刺身のツマ>のこと。この写真でもわかる(?)ようにダイコンじゃなくて透明です。たぶんこれのことだったんでしょうね。店の主人に訊ねると「海藻から作られ(?)、食べられる」とのことで食べてみると大根よりも硬い感じ。今調べてみると<海藻クリスタル>といって日本にちゃんとあるでないの。(→コチラ参照。)

 ・・・というわけで、15回の連載もオシマイです。S氏のおかげでヌルボもいろいろ勉強になりました。コマウォヨ!
 あと、続編みたいなもので、タンソという楽器とその楽譜についていずれ記事を書く予定です。

[韓国語]<双八年度>って、いつのこと?

2015-09-25 23:40:30 | 韓国語あれこれ
 ある韓国語の記事を見ていたら、次のようなくだりがありました。
 옛날 70년대나 쌍팔년도 시절처럼 (昔70年代や双八年度の頃のように)

 この쌍팔년도(双八年度) という言葉は初めて見ました。しかし電子辞書にはなく、ネット上で愛用している<NAVER辞典>にも、あるいは<DAUM辞典><国立国語院:標準国語大辞典>にもありません。
 ハングルでgoogle検索すると約30万件のヒット数で、決して少なくはないのですが・・・。

 用例を見ると、「昔」「往時」といった意味だけでなく、「時代遅れ」というニュアンスを込めて使われることが多いようです。
 쌍팔년도의 패션(双八年度のファッション)とか、쌍팔년도 개그(双八年度のギャグ)等のように。

 詳しく、かつ明解に説明しているのはやはり(ヌルボ愛用の)<ナムウィキ>で、まさにこの<쌍팔년도>の項目がありました。(→コチラ。)
 これには、双八年度が西暦何年にあたるかについて次の3説をあげています。
 ①1955年説
   檀紀4288年の年。「88」と8が重なっているので双八です。檀紀は檀君神話に基づく年号で、建国直後の1948年9月公用の年号として 法に定められました。(朴正煕政権下の1962年から西暦が公用となる。)     ※西暦年度に2333年を加えると檀紀年度となる。
 ②1964年説
   全然8とは関係ない数字のようですが、8×8=64なので。
 ③1988年説
  一目でわかる「88」。ソウル五輪の開催年。

 で、①~③のどれが正しいかというと①1955年。その理由は、朝鮮戦争が終わった直後から使用され始めた言葉だということ。とくに60年代~70年代後半。→コチラの記事によると、朝鮮戦争当時軍人だった人たちが昔話をする時によく使った言葉だそうです。

 しかし、これで一件落着かと思ったらそうじゃないのです!

 <ナムウィキ>の説明にもありますが、1988年以降に生まれた人が増えてきて(←あたりまえだ。今や全人口の4分の1だとか)、70~80年代も昔の範疇に入るようになり、上記の檀紀もボンヤリとしか知らない人もフツーになってきた今世紀になって、双八年度を1988年と認識している人が増えているということです。さらにこの説明文では、そんな状況にあって、「1955年と1988年のどちらが正しいか」と問うのは無意味で、「前後の文脈から判断すればいい」と記しています。
 さらには、쌍칠년도 박통 시절(双七年度・パクトン(朴正煕大統領)の頃)=1977年や、쌍구년도 세기말 시절(双九年度・世紀末の頃)=1999年のような西暦の数字の並びによる派生的な用法も出てきているとか。
 たしかに検索してみると쌍칠년도쌍구년도のヒット数はそれぞれ約3万件と約7万件で、쌍구년도 졸업생(双七年度卒業生)
とか쌍구년도에 제가 가장 좋아했던 가요(双九年度に私が一番好きだった歌謡)といった用例がありますねー。

 さて、この双八年度についてはTVのクイズ番組で出題されたこともあるのですね。2012年4月27日SBSの「1億クイズショー」です。
 問題は 「元来<双八年度>とは正確には何年度を意味するものか? ①1955年 ②1988年」です。
 「元来」とか「正確には」という言葉を入れているところが作問者のぬかりがないところ。回答者の表情、ちょっと自信なさそう・・・。
 はたして正解できたかは私ヌルボ、番組を見てないのでわかりません。しかしこうしたクイズに出題されるということは、多くの人が一応なんとなくは知っているものの、正確には知らないというレベルだということ。

 いやー、今回もちょっとした疑問から新しい知識を得て得した気がします。ふっふ。

[韓国語と韓国文化] 「ドリ」と「スニ」をめぐるいろいろ ③80年代のコンスニ(女子労働者)と<偽装就業者>

2015-09-25 03:50:53 | 韓国の時事関係(政治・経済・社会等)
 この「ドリ」と「スニ」シリーズを書くことにしたきっかけは、韓国の総合誌「新東亜」2015年7月号掲載のノチャサ(노찾사)「四季(사계)」についての記事(→コチラ)を読んだからです。この記事はキム・ドンニュル西江大教授執筆の<歌がある風景(노래가 있는 풍경)>というシリーズの中の1つです。主に40歳代の思い出の歌を取り上げ、その歌にまつわるエピソードや時代背景等を書いているものです。(2013年11月号にスタート。)
    

 ノチャサ(노찾사)は韓国の1970~90年代の民主化闘争を土壌として韓国歌謡史に大きな流れを形成した<民衆歌謡>つまり<運動圏>のフォークを代表するグループです。正式グループ名は노래를 찾는 사람들(歌を探す人たち)ですが、ノチャサ(노찾사)の略称で親しまれてきました。
 彼らの歌う「四季(사계)」は韓国では(世代にもよりますが)よく知られている歌です。しかし日本では全然、に近いようなので、とりあえずは聴いてみてください。

 アップテンポの歌なのに哀調が籠ってますね。コメントを見ても「ㅠㅠ 슬퍼요(哀しいです)」というものがいくつもあります。この「新東亜」の記事冒頭にも、以前筆者(キム・ドンリュル教授)が久しぶりにこの歌を聴いていると、横にいた小学生の娘さんが「お父さんとても悲しい」と目に涙を滲ませて言ったそうです。
 そうした感想も歌詞を見ればナットクなんですが・・・。
 最初の部分だけ紹介します。
 빨간꽃 노란꽃 꽃밭 가득 피어도/ 하얀 나비 꽃 나비 담장 위에 날아도/따스한 봄바람이 불고 또 불어도/ 미싱은 잘도 도네 돌아가네
 흰 구름 솜구름 탐스러운 애기 구름/짧은 셔츠 짧은치마 뜨거운 여름/소금 땀 피지 땀 흐르고 또 흘러도/미싱은 잘도 도네 돌아가네

 赤い花黄色い花 花畑いっぱい咲いても/白い蝶花蝶 垣根の上に飛んでも/暖かい春風が 吹いに吹いても/ミシンはよく回る 回り続ける
 白い雲綿雲 小さな雲/半袖シャツ ミニスカート 暑い夏/塩の汗脂汗 流れに流れても/ミシンは回る 回り続ける


 「四季」というタイトルだけ見るとなんだか長閑そうな歌かと思いますが、これは長時間低賃金労働に追われていた70~80年代の縫製工場で働く女子労働者の過酷な労働を歌ったもので、上は春と夏。あと秋・冬と続きます。季節と関係なくミシンは回り続けるのです。以前、何だったか韓国の記事を読んでいたら、この歌が知られ始めた頃会社の同僚から「何が回るんだって?」と訊かれて「ミシンですよ」と答えたら、「ミシン??」となおも首を傾げていたことがあったということが記されていました。多くは恋愛を素材としていた韓国歌謡で、こんなミシンが登場する歌詞はめずらしかったのでしょう。

 「上に掲げた「新東亜」の記事のタイトルページの背景に使われている写真も当時の工場のようすです。見出しの文字は「この地のヒョスニ(효순이)たちに対して言葉を大切にしなければならない」。「효순이」は「孝スニ」つまり孝行娘の意。女子労働者の多くは家族のため地方から上京して就職した<孝行娘>だったというわけです。(九老(クロ)をはじめとする工業団地では女子労働者が大半だったので、記事では「효순이」はあっても「효돌이」の語はありません。) 彼女たちの労働環境は劣悪で、「蜂の巣(벌집)」とよばれた2、3坪ほどの狭い部屋で寝起きしていました。最近(2013年)九老工団労働者生活体験館が設立され、再現された「蜂の巣」を見ることができるとのことです。
 ※→コチラの記事の写真参照。
 九老工業団地での労働者の仕事や生活については申京淑(シン・ギョンスク)の小説「離れ部屋(외딴방)」でうかがい知ることができます。彼女自身70年代後半の16~20歳の頃九老工団の1労働者でした。その小説で「37の部屋の1つ、私たちの離れ部屋」と書いているのがその「蜂の巣」です。工団入口には「機械は30%、労働力は70%」という標語が掲げられていて、「ラインは24時間回っていなければならない」というのがすべての工場の業務原則1条とされ、徹夜作業の時には労働者の眠気を覚ますため<タイミング>という覚醒剤が工場の入口に用意されていたそうです。
 まさに四季を問わず「ミシンはよく回る、回り続ける」だったのですね。

 ・・・と、例によってここまでは長~い前置き。 やっと「ドリ」と「スニ」についてですが、記事中の中見出しに出てきます。
 「コンドリ(공돌이)」「コンスニ(공순이)」。「ドリ」「スニ」つまり男性及び女性の場労働者のことで、70~80年代に実際に用いられた言葉です。

 この言葉は私ヌルボもこれまで目にしたことがあります。しかしこの中見出し全体の文言は「自発的(자발적)コンドリコンスニ」については初めて知りました。
 前後の文を読むと、1970年代末から「学出(학출.ハクチュル)」(=学生運動出身)とか「ハクピリ(학삐리)」(=庶民の側からの学生の呼称)と呼ばれた多くの大学生たちが自分の履歴を隠して九老工団の労働現場に身を投じ、労働者の組織化や待遇改善闘争に乗り出したとのことです。筆者(キム・ドンリュル教授教授)はこれを「韓国の特異な時代精神(Zeitgeist)の象徴」と記しています。
 彼らのことをメディアでは<偽装就業者>、労働現場では<学のある人(먹물.墨汁)>、政権側は<左傾容共勢力>と呼んだそうです。そして企業では<偽装就業者>を探出すために指針まで配布されたとか。たとえば「履歴書の字が学歴に比して上手い」とか「眼鏡をかけて学生っぽい身なりをしている」とか「学生街のスラングを無意識に使う」とか「指にペンだこがある」とか「労働法にくわしい」とか「わけもなく同僚に親切」等々。
 以前にも1930年代の識字運動のような知識青年たちの運動もありましたが、80年代の場合は集団的・組織的な運動が特徴的で、組織が彼らに事前学習をした上で現場に送り出したということで、労働者自身が政治的に自立できることを目指したのが特徴的とのことです。

 ・・・と、ここまで記事内容を抜き書きしつつ、ふと思い浮かんだのが人気女性作家・孔枝泳(コン・ジヨン)のこと。映画化された「トガニ(るつぼ)」の原作者です。彼女は学生時代(延世大英文科)学生運動に関わり(NL派??)、また一時上記のように労働現場に入った経験があるということを以前何かで読んだことがあります。
 今韓国サイトを検索してみると、昨年(2014年)10月の「京郷新聞」の<50歳を迎えた九老工団>という企画の中の孔枝泳のインタビュー記事(→コチラ)が見つかりました。<孔枝泳「24歳、運命のように近づいた九老工団・・・作家の道に導きました」>という見出しがついています。
 この記事によると、裕福な家庭で育ち、明朗で優秀で、「模範的」な生徒だった彼女の大学進学は1981年。つまり386世代の最初の世代です。新入生の彼女にとって大きな衝撃だったのはドキュメンタリーを読んで知った前年の光州民主化運動の真実。まさに彼女の20代は「不正義の時代」と重なり、思索の果てに否応なく青春彷徨に突入します。九老工団が彼女の方に一歩一歩近づいてきたのがその頃。1986年の冬に先輩から声をかけられて工場に入ることを決心します。以後6ヵ月、経済や哲学等の学習を受けます。「トッポッキ会を作りなさい」といったような組織化の具体的方法も教わります。そして電子部品会社に就職。12時間2交代のコンベアベルトで立ちづめの過酷な仕事。足が腫れ、貧血で倒れる者も多かったとか、それを管理者は「起きろ!」と足で蹴るとか、暴力が日常化している所。しかし給料は月10万5千ウォンと最低賃金以下。またトッポッキ会のために市場に行ったものの、そこの餃子は(育ちのよかった)彼女にはとても食べられず絶望感を感じたりもします。
 そのように現場に入る前から頑張ってきた彼女ですが、わずか1ヵ月で<偽装就業者>ということがあっけなくバレてクビ。その経緯はというと、自分と同じ<学出>と思しき労働者が「一杯やろうよ」というので飲み屋に行ったところ、「63年生まれというと大学入学は82年なの?」と訊くので「いえ、81年」と答えると、彼はその後そんなに話もせず店を出てしまいます。つまり彼は会社側の手先で、彼女はそのワナに簡単にひっかかってしまい、翌日すぐ追い出されてしまったというわけです。
 翌1987年、彼女は九老区庁不正選挙糾弾デモで連行され龍山警察に10日間収監されます。そこを出てすぐ一気に書いたのが九老工団とデモの経験を元にした短編小説「東の空が白む夜明け(동트는 새벽)」。これがデビユー作として1988年創作と批評社から刊行されます。また1994年発表の長編小説「サバ(고등어)」も履歴を偽って工場に入った学生運動家たちの物語です。(どちらの作品も未訳。)

 ・・・うーむ、やっぱりこの時代ならではのエピソードだなー。
 それにしても、先に名前を挙げた申京淑が1963年1月12日生まれで、孔枝泳は同年同月の31日。わずか19日の差ですが、地方(全羅北道井邑)の貧しい農家出身で、コンスニそのものだった申京淑は夜間高校から大学に進学したので入学年は孔枝泳から1年遅れ。すでにその頃から、いや、そのずっと前から対照的だったわけです。

 コンドリ・コンスニの話に入ったらすぐにまた別方向にそれてしまいました。やれやれ。あと1回続けることにします。

 →<「ドリ」と「スニ」をめぐるいろいろ ④差別語や自嘲の言葉として>