風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

漱石の散歩道(下宿~バタシーパーク~カーライル博物館)

2008-10-01 19:19:59 | 倫敦うるるん滞在記


バタシーパークからテムズ河をはさんで対岸のチェルシーをのぞむ


 余は晩餐前に公園を散歩するたびに川縁椅子に腰を卸して向側をめる。
倫敦に固有なる濃霧はことに岸辺に多い。余が桜の杖にえて真正面を見ていると、かに対岸の往来い廻る霧の影は次第に濃くなって五階の町続きの下からぜんぜんこの揺曳くもののに薄れ去って来る。しまいには遠き未来の世を眼前に引きしたるように窈然(ようぜん)たる空の中(うち)にとりとめのつかぬ鳶色の影が残る。その時この鳶色の奥にぽたりぽたりと鈍き光りがるように見え初める。三層四層五層瓦斯(ガス)を点じたのである。余は桜の杖をついて下宿の方へ帰る。

 カーライルはおらぬ。演説者も死んだであろう。しかしチェルシーは以前のごとく存在している。否(いな)彼の多年住み古した家屋敷さえ今なお儼然(げんぜん)と保存せられてある。千七百八年チェイン・ロウが出来てより以来幾多の主人を迎え幾多の主人を送ったかは知らぬがとにかく今日まで昔のままで残っている。・・・・・・

 毎日のように川をてて霧の中にチェルシーをめた余はある朝ついに橋を渡ってその有名なるりをいた。

(夏目漱石 『
カーライル博物館より)


全然更新していないにもかかわらず、最近カウンターがものすごい勢いで回っているのはなぜだろう。。。
NHK大河効果とか?
(今年の大河は観たかったよー。正月にイギリスに来て、正月に日本へ帰る私にはまったく不可能なことだったが)。

更新していないのは書くことがないわけではなく、書きたいことは山ほどあるんだけど、時間がないのです;;
最近ではスコットランドへ行ったり(偶然、漱石の滞在していた街も行きましたよ^^)、あと一昨日、秋晴れの中、漱石の散歩道をそのまま辿ってみました。
クラッパムコモンの下宿先~ラヴェンダーヒル~バタシーパーク、そして、橋を渡ってチェルシーのカーライル博物館まで。
すごく楽しかったですよ。

カーライル博物館では、『カーライル博物館』の漱石よろしく、イギリス人のスタッフの方と漱石&カーライルについて2時間以上もお話してしまいました。最後は博物館の外にまで出てきてくれて、周りの文学者にゆかりのある建物を紹介してくれました。
昔訪れた高知の青山文庫にしてもそうですけど(←展示していないものでもリクエストしたら奥から出してきてくれて、坂本竜馬の手紙を見せてくれました。挙句、ぜんざいまでご馳走になってしまった)、小さな博物館はアットホームでいいですねぇ。

カーライル博物館は漱石好きには超お勧めですよ。
漱石がここを訪れてから100年。
博物館前の道(チェイン・ロウ)も、博物館の建物(1708年築!)も、展示物も、今も全く変わらず残っているのですから。
すばらしいことですよね。
作中で漱石がカーライルの銀牌と銅牌を眺めながら、むやみにかちかちしていつまでも平気に残っているのを、もろうた者の煙のごとき寿命と対照して考えると妙な感じがする』と言っていますが、まったく同じ感覚を私は漱石に対しておぼえました。100年前この牌を前にそんな風に感じた漱石も今はもういなくて、今度は私がこの牌の前にこうして立っている。100年後、この牌を前に同じように感慨にふける日本人がきっといるだろう。そのとき私はもういない。
おもしろいですねぇ。
そういえば、そのスタッフの方が私のデジカメを見て、「日本のカメラはすごいねえ。撮った写真をカメラで確かめて、消したりもできちゃうんだろう?いやぁ、すごいよ」としきりに感心していました。日本が100年後にはイギリス人にこんな風に言われるようになったことを知ったら、漱石はどう思うかな?なんて想像すると楽しいです。

ちなみに漱石の下宿からバタシーパークまではそれなりに距離がありました。片道30分以上はかかったんじゃないかなぁ。
その距離を「晩餐前に散歩」していた漱石。
ほんと昔の人は健脚ですよねぇ。
写真もたくさんとって来たのですけど、アップする時間がないので、一枚だけ。

ではでは、また。
ロンドンは今、紅葉が綺麗です。
カーライル博物館の庭の蔦も綺麗に紅葉していて、趣がありましたよ^^

Comment    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 漱石の英語学習法 | TOP | サマータイム終了 »