風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

芥川龍之介 『或日の大石内蔵助』

2009-03-24 01:45:29 | 

彼としては、実際彼等の変心を遺憾とも不快とも思っていた。が、彼はそれらの不忠の侍をも、憐みこそすれ、憎いとは思っていない。人情の向背も、世故の転変も、つぶさに味って来た彼の眼から見れば、彼等の変心の多くは、自然すぎるほど自然であった。もし真率と云う語が許されるとすれば、気の毒なくらい真率であった。従って、彼は彼等に対しても、終始寛容の態度を改めなかった。まして、復讐の事の成った今になって見れば、彼等に与う可きものは、ただ憫笑が残っているだけである。それを世間は、殺しても猶飽き足らないように、思っているらしい。何故我々を忠義の士とするためには、彼等を人畜生としなければならないのであろう。我々と彼等との差は、存外大きなものではない。

(中略)

彼はそれを聞いている中に、自らな一味の哀情が、徐に彼をつつんで来るのを意識した。このかすかな梅の匂につれて、冴返る心の底へしみ透って来る寂しさは、この云いようのない寂しさは、一体どこから来るのであろう。

(芥川龍之介 『或日の大石内蔵助』)


ご無沙汰しておりました。
お元気でしたか?
春、ですねぇ^^
なのに今日の言葉がこれ、というのもどうかと思いましたが。
まあある意味タイムリーなので、いいかなと。

どうして忠臣蔵かと言いますと、先日友達と一緒に歌舞伎座へ『元禄忠臣蔵』を観にいったからです。そのときに友達が芥川の小説でとてもいいのがあるよと教えてくれたので、帰宅してから早速読みました。
これ、ほんとにとてもいい。
ご興味のある方は上のリンクからぜひぜひ。
「忠臣蔵」は面白いエピソードの宝庫なのに、その中からこういう部分に焦点を当てるところが、芥川だなあと思います。
精緻な心理描写が、すばらしいですね。

さて、忠臣蔵といえば判官贔屓。
判官贔屓というのは最も外国人には理解できないものの一つだとよく言われます。
特に西洋人にとっては判官(の立場)は負け犬以外の何物でもないそうで。
しかし昨今は日本人の気質もだいぶ西洋化し、判官贔屓的なお話に涙する人も減っているようです。
それも寂しい気がしますが、判官贔屓が一概にいいとも言いきれないですし、これも一つの時代の流れなのかな、とも思います。
と、ここまで書いて思ったけれど、判官贔屓が廃れつつある理由は西洋化だけじゃなく、今の日本には判官贔屓したくなるほどの強烈な魅力のある人物がいなくなった、というのもあるのかもしれませんね。

まあそれはいいとして、何が言いたいのかといいますと、元禄の時代から今日に至るまで300年間も変わらず愛されてきた「忠臣蔵」がそのような状況に陥っている現代ですら、「芥川の忠臣蔵」(「元禄赤穂事件を扱った短編」といった方がいいのかもしれませんが)には現代でも十分に通じる普遍的価値があると思うのですよ。
それって、すごいことなんじゃないかな、と思うのです。

さて。
判官贔屓のほかに、よく言われる忠臣蔵の魅力として、ここぞという場面に「雪・月・花」が全て含まれている、というのがありますね。
雪月花は日本人が最も愛するといわれる自然の美。
浅野内匠頭の切腹が新暦の4月21日夜(by wiki)ですから、ここで桜と月。
四十七士による吉良邸討入が新暦の1月30日深夜ですから、ここで雪と月。
浪士達の切腹が3月20日ですから、ここでも桜。それより前の場面には、芥川のように梅を出すこともできます(元禄忠臣蔵では切腹当日でも梅の花がありました)。
たとえ日本人の心から判官贔屓がなくなるとしても、こういう雪月花を愛でる心はいつまでも残ってほしいなと思います。

ところで歌舞伎に話を戻しますが、銀座の歌舞伎座……どうして!どうして取り壊しなんですか!!!?あんなに歴史的価値ある素敵な建物なのに…。
老朽化のためというけれど、友達とも話していたのですが、今の建築技術をすれば維持することが無理なはずがないと思うのです。それをしないのは、単に、維持費をかけるよりも、取り壊したほうが安価だからなのではないのでしょうか。

ナショナルトラストの活動が徹底しているイギリスから戻って、日本人の歴史的文化遺産に対する意識の低さに悲しくなります……。
東京中央郵便局にしてもそうです。
なにより悲しかったのは、横浜の第百銀行。なんと、その上にタワーマンションを建てちゃったんですよ!あんな、あんな醜悪な……(T T)

先日のゆずり葉の詩じゃないけれど、美しいもの、価値あるものを未来へ残すのは私たちの義務だと思うのです。それは新しく作ることだけじゃないはずです。過去から時をかけて受け継がれてきたものなら、その義務は一層大きくなるのではないでしょうか。私達の時代でその連鎖を断ち切るということがどういうことなのか、その重大さに無頓着な人がこの国には多すぎると思うのです……。
物質的にはこんなに豊かな国になったはずなのに、何かがおかしいと思えてなりません。


なんか頭に浮かんだことをそのまま書いてしまいました。
ストレスがたまってるので(笑)
私はというと、時間的にも精神的にも(金銭的にも)余裕のない日々がまだまだ続いています。
歌舞伎はとてもいい息抜きになりましたが、はぁ、、、ほんと、はやく落ち着きたい。。。
派遣や契約社員の職はあるけれど、正社員がほんとない…。
まあ職種にもよるのでしょうが…。

ではでは、また^^
いい季節。
楽しいことや嬉しいことが皆様にいっぱい訪れますように!

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