風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル @サントリーホール(12月10日)

2016-12-11 08:36:04 | クラシック音楽



イーヴォ・ポゴレリッチのピアノリサイタルに行ってきました。
私にとっては今年最後のクラシックコンサートです。
個性的な演奏で有名なポゴレリッチさんですが、生で聴くのはこれが初めて。録音でも殆ど聴いたことがありません。
ちなみに今夜のリサイタルのチケットは完売でした。これまで行ったことのある中で、完売のピアノリサイタルって初めてです。人気があるのだなぁ

開演30分前に会場に入ると、ステージからはポロンポロンとピアノの音が。
ああ、これが噂の。
しかし情報として知ってはいても、実際にその光景を見ると想像以上のインパクトでした。
だって・・・UNIQLOのフリースですか・・?というようなダボダボな上着とズボンで着膨れた、大きなぼんぼんのついたスキー帽を被ったピアニストがサントリーホールのステージの上にいるんだもの・・・
時々客席にじっと視線をやりながら(一体何をミテイルノ?)、客席の雑音を気にする様子もなく、楽譜を見るでもなく、気まぐれな感じにポロンポロン・・・。綺麗な音。
開演15分前にスタッフに声をかけられて、のっそり立ち上がり、ご退場。

19時開演。
フォーマルに着替えたポゴレリッチが拍手で迎えられて再登場。最初からフォーマルを着ていれば直前まで弾いていられたのにね。というか客はもうあのカジュアルすぎる服装をたっぷり見てしまっているのだから、今更フォーマルに着替えられても
この人はツィメルマンと同じく楽譜使用なのだね。でもツィメさんは自作の楽譜を自分でめくっているけれど、こちらは基本は市販(ですよね?)の楽譜で譜めくりの女性付き。
ポゴさんが演奏前に次に弾く曲の楽譜をピアノの足下に無造作に投げたのには、ちょっとだけ抵抗を感じてしまいました。ただの紙だろと言われればそのとおりなんですけど、普通に置けばよかろうに。まぁあれがポゴさんなりのロックな主張なのだとしたら、可愛いから許す。
女性の椅子の位置を調整してあげて、ニコッと笑いかけるポゴさん。・・・もしやあなたは天然のタラシか・・・
で、演奏開始。なんですが。
以下は演奏会以外では殆どクラシックを聴かないド素人の感想ですので、悪しからずm(__)m

【ショパン: バラード第2番 ヘ長調 op.38】
【ショパン: スケルツォ第3番 嬰ハ短調 op.39】
【シューマン: ウィーンの謝肉祭の道化 op.26】
正直に書きますと、この時点での私、、、
「この人の演奏の良さが全くわからない・・・・・・・・
状態でした。
他のピアニストに比べて音やフレーズが特に美しいようには感じられないし・・・挑発的な超強音の和音は汚くさえ聴こえる・・・・。心が高揚したり、胸が締め付けられたり、うっとりしたり、ハッとする瞬間も今のところない・・・・・。
周りの方達は皆さん感動されている様子だったので、この時のワタクシ、沢山のアルゲリッチに一人囲まれたショパンコンクールの審査員の心境でした・・・(奇しくもショパンは2曲ともあのショパンコンクールで演奏された曲。演奏の仕方は変えられてるとのことですが)。
更に言ってしまうと、聴いていてちょっと気分の悪くなる演奏だったんです。不愉快という意味ではなく、身体的に変な違和感があって。リサイタルでこういうことは初めてだったので、よっぽどこの人の演奏と私の何かが合わないのだろうか、と却って新鮮でさえありました。
シューマンは基本のメロディが埋もれてしまっているところもあったし・・・。
ただ一度だけ、あ、面白い、と思った瞬間がありました。シューマンの一番最後の辺りで、音の響きの重なりがブルックナーを聴いているみたいに聴こえて。オルガン音楽みたいな。あれ、とても面白かったし、綺麗だった。この曲を生で聴くのは初めてなので、他のピアニストが弾いてもそうなのかどうかはわかりません。  
※追記:そういえばペライアが数年前の来日でシューマンのこれを弾いていたな~と動画を見てみたら、比べるのが不可能なもはや別物の曲でした笑。なるほど、これがポゴさん、と思っていいのだろうか・・。うーん・・。ちなみに私の好きなこの曲の演奏は、リヒテルのこちらでございます。

(休憩20分)

【モーツァルト: 幻想曲 ハ短調 K.475】
速度……、実は私はこの言葉が嫌いなんです。私にとってのそれは、単なる「速度」(speed)はではなく、「脈動」(pulse)という意味が含まれています。生の演奏では、音の長さや空間の中での伝達を、より自由に、より多彩に、より個性的に、より生き生きと表現できます。
(来日直前インタビューより)
このインタビューは殆ど流して読んでいたのですが(だって難しくて言っていることの意味がわからないんだもん)、このpulseという言葉は妙に印象に残っていました。私はこの人の演奏の速度(speed)については少なくとも今回の演奏会では全く気にならなかったのですが、このpulseに音の広がりや流れも含まれるなら、「もしかしたらポゴさんのそれと私のそれとは決定的に合わないのかもしれない」と前半を聴きながら思っていました。
でもこのモーツァルトではようやく少し合ってきたように感じられて。ふっと、あ、なんかいいかも、と感じる瞬間が幾度かありました。
私の知っているモーツァルトと全然違うのも面白い。
ただどうしても私の中でモーツァルトはバレンボイム、ペライア、光子さんから貰ったばかりの感動が大きく残ってしまっていて(三人三様で素晴らしかった)・・・。もう少しあの人達の演奏会から時間があいていれば受け取れ方も違っていたかもしれません。

【ラフマニノフ: ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 op.36】
理由は全くわからないのですが、なぜかこの曲だけはポゴさんのpulse?と私のそれとがピッタリと合ったんです。といっても、入り込めたのは2楽章以降でしたが。気付いたときにはうっとりと音に浸っていました。
ゆったり演奏がまあ気持ちよくて気持ちよくて。気付けば笑みが浮かんでいました。ずっと聴いていたかった。一旦そうなると3楽章も楽しくて(明るい音という意味ではなく)。聴いていてとても楽しかったし幸福だったから、もうなんでもいいや、と思いました。まぁこういうのはご本人が望んでいる聴き方ではないかもしれないですけどね。
ラフマニノフの曲の良さって実はあまりよくわかっていなかったのですが(今でもわかってるかどうかは微妙ですが)、今夜この演奏を聴けてよかったです。
ちなみにご本人がこの作品についてインタビューで仰っている「コンスタンティヌスの凱旋門の前で燃え上がる南国の熱い血は私には感じられなかったです笑。

【シベリウス: 悲しきワルツ op.44(アンコール)】
ポゴレリッチって、前後左右に4回、しっかり90度でお辞儀をするんですね。これは昔からなのでしょうか。生真面目、というのかな…。
アンコールは、拍手を片手でピタッと止ませて、「ほにゃらら ほにゃらら」(聞き取れなかった)と静かな声で曲名を。
この曲でもやっぱり強音が主張しすぎに感じられてしまい、でも弱音はうっとりしてしまうような音でメロディを紡ぐので、なんだか分裂気味の不思議な気分になりました そして一番最後の音を弾いたときの独特の感じが妙に印象的でした。鍵盤を押さえて、その音が自然に消えるのを待っているような。
開演前にポゴさんがポロンポロンと弾いていたのはこの曲だったような。違うかな。
いずれにしても今回のリサイタル、個人的には後半の方が楽しめましたし、妙に耳に残る演奏でした。

リサイタル後はサイン会を開催されていましたね。ボゴさん、何気にサービスいいですよね笑。
そういえば私の後ろにずらっと補助席が並んでいて、英語ではない言葉で話しているとても品のいいファミリー達だったのですが、関係者か何かだったのかな。子供達が天使みたいに可愛かった♪

なんだか色んな意味で今までにない体験をした演奏会でした。
でも、こういうピアニストはいてくださった方がいいです。
選択肢は多いに越したことはありません。
1回のリサイタルですごくいいなと感じたところと、うーむ・・・と感じたところが天と地のように極端で、感想を書くのが難しかったけれど、なんだか不思議と気になるピアニストでした。次回リサイタルがあったら、、、たぶんまた行ってしまう、かも。

今年のクラシック鑑賞はこれにて終了!
感動したコンサートもそうとはいえなかったコンサートも、全部含めて夢のような楽しく幸福な一年間でした。
今年は体調がよくなく気持ち的にめげそうになったことが多かったので、音楽がくれたものにはただ感謝しかありません。
クラシック音楽って本当に素晴らしいですね


※12月12日追記:
あれからショパンコンクールのときの演奏を聴きましたが、全く気分が悪くなることはなかったですし、素晴らしい演奏だと感じました。この人はまだ完全には復活し切れていないのではないかという意見が一部でありますが、先日のリサイタルを聞いた限りでは、個人的には私もそうなのではないかと感じます。仮にそうだとしても良い方向に向かっていることは確かなようなので、これからもっと良い方向にいってくださって(復活とか関係なく)、いつかショパンコンクールの時ともまた違う新たな世界を見せてくれるような演奏が聴けたらいいな、と思います。


ポゴレリッチ来日直前インタビュー!Vol.1Vol.2

──後半のプログラムは、ラフマニノフ《ピアノソナタ第2番》です。

 これはラフマニノフがローマを訪れた際にインスピレーションを得て構想を練った作品です。ローマに行った人は、誰もがこの街にさまざまな印象を持ち、その風景を深く心に刻むでしょう。ラフマニノフのような才気あふれた人物にとって、ローマの街はまさに稲妻のような衝撃を与えたに違いありません。そして、この永遠の都を音楽で表現しようと思ったのでしょう。私はこの作品から、ラフマニノフの豊かな想像力、情熱、驚くべき旋律と和声を生み出す天賦の才能、そしてコンスタンティヌスの凱旋門の前で燃え上がる南国の熱い血を感じます。

──あなたは以前から1931年の改訂版を演奏していますが、1913年版を参考にしてその一部を加えようと考えたことはないのでしょうか?

 ラフマニノフは自身の作品に度々手を加え、より簡潔に整理し、論理的な手法で改訂版を書き上げました。ですから、私は1931年の改訂版を演奏するのです。私は作曲家を何よりも尊重しています。ラフマニノフが改訂版として発表したのですから、私は彼の決定に従うだけです。切り貼りをして私のヴァージョンにすることはできません。

──ラフマニノフの作品によく現れるモティーフとその音楽的性格をどのようにお考えですか?

 その質問には別の角度からお答えしましょう。ラフマニノフは「あなたの音楽は“メランコリック”ですね」と言われると、「いいえ、私の音楽は“悲しみ”なのです」と答えていました。そのため、彼の音楽は“悲しみ”だと考える人が多いようです。しかし、それは「ラフマニノフの彼自身の作品に対する感想」であって、ほかの人が彼と同じ感想を持つとは限りません。ラフマニノフの音楽が彼にとって“悲しみ”であっても、私にとってはそうではないかもしれません。音楽というものは、人間の感情をはるかに超越した力を持っています。創作者自身が想像したり感じたりした以上に豊富なのです。私にとって彼の音楽は、無限の活力と美を私たちに与え、生きることの素晴らしさや価値に気づかせてくれるものです。これが音楽の矛盾に満ちたところで、天才がもたらす矛盾だと言っていいでしょう。
 それから、どのような作品に対しても、ある特定の解釈を当然のように受け入れるのは間違っています。もちろん私たちは作曲家がその作品を書いたときの状況や背景を尊重しなければなりませんが、ある作品がその時代のレールから外れて新たな道筋を切り拓いていくことがあることも事実です。真の芸術とは、まさにそのような作品で、聴く人々の感性を刺激し、奥深い芸術を味わわせてくれます。それは私の自分自身の仕事における願望でもあります。

(上記インタビューより)

Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Season's Greetings from the... | TOP | Murray Perahia - Bach: The ... »

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。