風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

昔から雨が降ってくる

2015-11-20 01:09:57 | その他音楽

昔、僕はこの池のほとりの 1本の木だったかもしれない
遠い空へ手を伸ばし続けた やるせない木だったかもしれない
あの雨が降ってくる
僕は思い出す 僕の正体を
昔から降ってくる なつかしく降ってくる

昔、大きな恐竜も 昔、小さな恐竜も
同じ雨を見あげたろうか 同じ雨にうなだれたのだろうか
あの雨が降ってくる 
昔から降ってくる

(中島みゆき 『昔から雨が降ってくる』)

世の中はアルカディアDVDや組曲や一会の話題で賑わっておりますね^^
一会のセットリストには命の別名が入っているのだとか。聴きたかったなあ(チケットとれませんでした・・・)

命につく名前を「心」と呼ぶ
名もなき君にも 名もなき僕にも

20代前半にどん底の精神状態になったときがあって、自分の体が傷ついても全く痛みを感じないという状態を初めて経験しました。あのとき私を救ってくれたのが、この曲でした。みゆきさんは私の命の恩人なんです。

30代前半にやはりどん底の精神状態になったときに、眠れなくなってしまった私を眠らせてくれたのはビートルズのLET IT BEでした。

When I find miself in times of trouble
Mother Mary comes to me
Speaking words of wisdom
Let it be

Mother Maryはポールが14歳のときに病気で亡くなった母メアリーを指しているそうですが、当時私は聖母マリアのことだと思っていました。ポールもメアリーもカトリックだそうなので、それもかけているのかもしれませんが。私はキリスト教徒ではありませんが、この中のマリアに不思議なほど救われました。自分の力ではどうにもならない状況で苦しんでいるとき、人知を超えた存在を思うことは、それがどんな形のものであれ、すごく大きな慰めになった。宗教というものが人に必要とされ続けてきた理由を本当の意味で理解したのはこのときでした。

さて、今回の記事のタイトルのこの曲。『昔から雨が降ってくる』。
以前も書きましたが、私は小説的な意味での輪廻転生というものは信じてはおりません(仏教的な意味ではなく、一般的な意味で使ってますので、そこはつっこまないでね)。前世の恋人に次の世で再び巡り逢って前世の記憶を思い出して、というようなあれです。そういう小説や映画は大好きだけれど、たぶんないだろうと思っている。“私”が“私”である時間は、おそらく今生きているこの数十年間だけ。
でも、もっと科学的な意味での(科学という言葉は正確ではないかもしれませんが)輪廻転生は信じています。というより事実としてあるはずだと思っています。

どういうものかというと、この歌詞のようなイメージなんです。みゆきさんの意図とは違うかもしれませんが。
私達の体も、植物も、風も、水も、この世界のあらゆるものは無数の小さな物質でできている。それは現在の科学では解明できていないレベルの、細胞よりも原子よりももっともっと小さな単位の何か。あるいは科学でまだ発見されていないような種類の何か。それらは人間の体の一部になったり、土になったり、植物になったり、再び別の人間の一部になったりしながら、それを繰り返しながら、この世界を巡っているのだと思うのです。細胞の死とともに全てがリセットされるのではなくこの宇宙に一定の法則(いわゆる大いなる意志と言われるようなもの)があるのも、それを裏付けているように思います。
だから私のこの体は、ずっとずっと昔、一頭の恐竜であったかもしれない。今はない一本の木だったかもしれない。世界のどこかで生まれて死んでいった一匹の魚だったかもしれない。そして空から降る雨にうたれた記憶も、私達が泣いて、笑って、一生を生きた分の記憶も、“その物質”は憶えているのではないかと思うのです。具体的に意識される形ではなくとも。そしてそういう意味では、この世界では別れてしまう恋人や友達や家族とも、いつか再び違った形で巡り逢えることもあるかもしれない、と。
そう信じたいのではなく、そのように考えるのが私にとって一番自然なのです。子供の頃からずっと体で感じてる感覚なのです。今でも、ふっと「正体を思い出す」ような感覚があるのです。実際に思い出せることはないのですけれど。子供の頃ステゴザウルスが大好きだったのは、おそらくステゴザウルスだったときがあったからではないかと思うのです。これは半分冗談ですけど(でも半分本気です)。

何が言いたいのかといいますと。
すごくいい曲ですよね、ということ笑。

ちなみに、ただいま人生3回目のどん底に近づきつつあったりしてます。さすがに3回目にもなると近づいてることが自分でわかります。てかサイクル短くなってるし。もしかしたらこれまでで最深になりそうな予感もあったりしてるのですけれど・・・。
沼の底に沈みそうになっている私を引き上げてくれているのは、今回はペラ様(ペライアですよ)のピアノです
私の幸運なところは、いつも救い上げてくれる音楽に出会えていることだと思います。ただただ、感謝。
何事もきっとなるようになる、よね・・・?

Comments (2)
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