元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「落下の解剖学」

2024-03-17 06:08:56 | 映画の感想(ら行)
 (原題:ANATOMIE D'UNE CHUTE)設定に無理がある。裁判のシーンが劇中でかなりの時間をかけて描かれているのだが、よく考えると、この法廷劇自体が噴飯物なのである。裁判所でのやり取りに重きを置きたいのならば、それ相応の段取りを整えなければならない。ところが本作はそのあたりが“底抜け”と言わざるを得ない。第76回カンヌ国際映画祭での大賞受賞作ながら、有名アワードを獲得した作品が良い映画とは限らないことを改めて実感した。

 フランス南東部の人里離れた雪山(ロケ地はオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏)の山荘で、目が不自由な11歳の少年が愛犬との散歩中、血を流して倒れていた父親を“発見”する。父親はすでに息絶えており、当初は転落死と思われたが不審な点も多く、夫婦仲がイマイチだったことが明らかになり、妻である有名作家のサンドラに嫌疑が掛かる。やがて彼女は逮捕起訴され、裁判がおこなわれる。



 そもそも、この“事件”には状況証拠らしきものはあるが、物的証拠は何一つ無い。さらに唯一の“目撃者”と思われる息子は目が見えない。このような状態で逮捕されるはずもなく、ましてや刑事案件として起訴される必然性は皆無だ。こんなあやふやな状況での裁判など、最初から有り得ないのである。百歩譲って彼の国では曖昧な状況証拠だけで検挙されるのだとしたら、フランスはどれだけ後進国なのかと思ってしまう。

 とはいえ、虚飾に満ちた夫婦関係が明らかになる部分はけっこうスリリングで、少しばかり興味を覚える。私はこれを観てイングマール・ベルイマン監督の秀作「ある結婚の風景」(73年)を思い出してしまった。しかし、北欧の巨匠の横綱相撲的な仕事に比べれば、まだ長編4作目のジュスティーヌ・トリエの演出は見劣りする。

 また何が真相か分からないという点では、黒澤明監督の「羅生門」(1950年)にも通じるものがあるが、やはり黒澤御大の力量とは比較するのも烏滸がましい。それでも主演女優サンドラ・ヒュラーの奮闘ぶりは印象に残る。主人公と同じドイツ系で、異国の地で暮らすサンドラの立場を表現する意味では絶妙だった。しかしながら、彼女以外のキャストで特筆できる人物は見当たらない。

 そして、上映時間が無意味に長い。このネタで2時間半は引っ張りすぎだ(ちなみに「羅生門」は1時間半ほど)。体調が万全ではない状態で鑑賞すれば、眠気との戦いに終始するのではないだろうか。なお、シモン・ボーフィスのカメラによる雪深い山々の風景は良かった。少年の愛犬スヌープ役を務めた犬のメッシの“名演”も記憶に残る。
コメント
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