元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「トーク・レディオ」

2017-06-25 06:58:58 | 映画の感想(た行)
 (原題:Talk Radio)88年作品。いかにもオリヴァー・ストーン監督らしい、エキセントリックで挑発的な映画である。取り上げられているモチーフも面白い。ただし、鼻につくような独善的スタンスを隠していない作品でもある。公開当時は賛否両論あったようだが、それも納得できる。

 テキサス州ダラスの地方ラジオ局KGABの番組「ナイトトーク」のパーソナリティであるバリー・シャンプレーンは、リスナーからの悩み相談の電話に対してことごとく毒舌を振るう過激な姿勢がウケていた。全国ネットへの進出も間近になっていたが、当然のことながら彼を憎む者も多く、ネオ・ナチ・グループからは嫌がらせを受け、バスケットボールの試合に招かれた際には観客からのブーイングの嵐が巻き起こったりする。



 バリーは現在プロデューサーのローラと恋仲だが、別れた妻エレンのことが忘れられない彼は、全国放送出演が決まったことを彼女に告げる。しかしその日になって、局の幹部は全国オンエアの延期を決定する。ヤケになった彼は今まで以上に放送中での過激なパフォーマンスに走るのだが、やがて取り返しの付かない事態を招いていく。

 要するに、自分のスタイルで世間を挑発し続けていたラジオDJが、いつの間にか自身がそのスタイルに飲み込まれてしまい、破局に到るという話だ。言うまでもなく主人公はオリヴァー・ストーンの分身である。ヒステリックに観客に迫る姿勢が、知らぬ間に“過激のための過激”になり、自家撞着に陥る。そのことを映画の題材として取り上げることにより“過激さ”を冷静に外から眺めようとしているが、やはりそれも自分の“過激さ”の発露に過ぎなかったという、何ともやりきれない図式が提示されている。

 だが、スティーヴン・シンギュラーの原作を戯曲に仕上げ、今回主演も果たしたエリック・ボゴジアンの働きは凄いと思う。他者を攻撃すればするほど追い詰められていく屈折した人物像を、実に的確に表現していた。アレック・ボールドウィンやエレン・グリーン、レスリー・ホープといった脇の面子も良い。

 それにしても、こういうスタイルのラジオ番組が実在していることは、日本とは状況が違うことを如実に示していると思う。我が国では公衆の面前で罵倒の応酬が繰り広げられることはあまりない。せいぜい今ならネット上での陰湿なものになるのだろう。なお、音楽担当は“ポリス”のスチュワート・コープランドで、悪くないスコアを提供している。
コメント
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