ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

耳鳴り放題な日々

2019年04月21日 16時17分44秒 | 徒然雑記&連絡帳
24年近く前に左耳がメニエール病を患いました。
症状はめまい、低音の耳鳴りによる低音域の難聴です。
その時診てもらったドクターは
「メニエールはいっぺんやったらまず治らん。ましにはなるけどな。
耳鳴りはなくならんで。気にせんことや。慣れたら勝ち。」
「もう一方の耳にうつるということはない。ないけど、両方かかる人もおる。」
「長年かかって難聴になるという人もおる。あんたがそうやとは言わんけどな。
そういうひともおるというこっちゃ。」

ドクターの予言?は四半世紀たって実現しました。

長年耳鳴り持ちでいたから、すっかり慣れきっていたから気がつけば、という感じですが
確かにここ5~6年徐々に両耳高音域の耳鳴りがするようになってはおりましたのよ。
気がつけば鳴ってた、けど、普通に必要な音もちゃんと聴こえてて生活に支障はない。
近所の耳鼻科へ行って診てもらっても昔のドクターのおっしゃったと同じことを言われました。
曰く「人間は実はみんなもともと耳鳴りをもっとるんじゃ。気がついてないだけ。
何も音のせんとこに行ってみ。なんか聞こえとるから。
その耳鳴りに気がつくようになって初めて耳鳴りがしとる気になるだけや。
もともと鳴ってるからなくすことはできん。いちばんええのは気にせんことや。」

まったくもってそのとおり。で、長年自覚はあってもぜんぜん気にしておりませんでした。

そいつが昨年冬くらいからだんだん気になり出して、ますます大きくなってきた気がして
今月に入って近所の耳鼻科へ1年振りくらいに行きましたら・・・
確かに1年前より若干聞こえは悪くなっているとのこと。
ただ、まだ正常の範囲内だし、これは加齢が原因でしょうと。

はい~?? 加齢はある程度仕方ないとしても、早くね?と聞くと
「昔メニエールをやっているので進行が早いのでしょう。個人差がすごくあります。」

マジか・・・・

そして「慣れるしかないです。慣れてください。」ですって。
「年行ったら誰でも歩くのは遅くなる。そしてそれは何か薬でも飲んだら
急に治ってまた早く歩けるようになる・・・なんてことないでしょ? それと同じ。」
あ、まあ、それはそうやけど・・・。

うう~~~んん・・・・・

てなことを思ってたらその週末から急に更に耳鳴りがぐぐーんとひどくなり
人の声がわわ~~~んと響いてかなんなあ・・・と思って
いつもの耳鼻科が定休日だったこともあって別の耳鼻科へ行ってみました。
そしたら・・・

確かに先週はやや悪くなっているのは確かだったけど「まあまあ」だったのに
右耳・・あれ?右? の低音域の聞こえがどどーーーんと落ちていて
むしろ左耳の方が全般的にまずまず聞こえてるよ、な結果で
そしてドクター曰く「右耳がメニエールの疑いがあります」
「メニエールかどうかは経過を見ないとわからない、そんな病気なので
断定はできません、疑いとしか今は言えませんが。」

おいおいおいおい・・・・右なの? あれ? 24年越しで右耳なの??

そして「どうします?治療しますか?」ナンヤソラ。してくれよ。

一週間服薬してあんまりよくなった気がしないのでまた後者の耳鼻科へ行き
再々度検査すると
「右は先週とそう変わりないですが今度は左の低音域が落ちてます。
やっぱりメニエールの疑いが濃いですね。」
「来週また来てください。つづけて聞こえの検査しましょう。」

おひおひおひおひ・・・・やっぱ左もなの? 24年越しの復活劇なの??

24年前のドクターの予言は当たっていた。
「そうなるひともおる」・・・そうなる人でした。

耳鳴りには確かに慣れてるし、めまいもいつのまにやら耐性ができてるので
結構精神的には平気なんですがヒトの話が聞き取りにくいのが困り。
「ごめん、聞こえてへんねん」と何度言ってることか。悪ィね。

仕事とか家庭とかいろんなストレスが耳にきてるんでしょうねえ。
聴覚神経と言うのはストレスにめちゃ弱い器官なんやそうです。
確かに、会社でも耳を病んだ人多いわ。突発性難聴とかよう聞くもん。

なわけで、ぶいーーーー、とか、ぷーーー、とか、ぼぼぼぼぼ、とか
ぴーーーー、とか、ぶごーぶぶぶぶごー、とか、いろんな音が聞こえている今日この頃。

首をかしげたり向きを変えると耳鳴りの音程が変わってちょっと面白い。
そして苦手で大嫌いな電話対応をしない正当な理由ができた(おいおい)。
・・・ゆうても左耳の通常の音域はちゃんと聴こえるので
むしろ片耳で聴く電話の方が話しやすいんやけどね。実は。

耳ってなんなの?
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萩原健一さんと内田裕也さん

2019年04月01日 06時46分46秒 | 気になるヒトビト
かなり以前にもピックアップさせていただいたショーケンですが

驚きました、皆さんもそうだと思います。
まさかねえ・・・まだ68歳、まだまだ活躍できる年齢だと思ったのですが
今はただただ冥福をお祈りするばかりです。

ジュリー曰く、「ショーケンはGS時代からの親友です」。

少し前、加瀬邦彦さん、井上堯之さんとジュリーに縁の深い方々が相次いで亡くなり
でもそれはジュリーより7~8歳年上の方で、
加瀬さんは自死であられたし、井上さんも闘病中だったとのことで
それとアレンジャーの東海林修さんは86歳であられたので、
ご年齢から言えばまあまあお年に不足はないと・・・言えば失礼ですが
皆様、ある意味仕方のないことだったのかなあ・・・という面もありました。

でもショーケンはねえ・・・ジュリーより年下だし
そして8年間も闘病していたことを頑なに隠していたとのことで

また、更にも少し前ですが、安井かずみさんが早逝され、旦那さんだった加藤和彦さんも自死
ワイルドワンズの渡辺茂樹さんも早逝されてたり
ジュリーの前妻の伊藤エミさん、双子の妹のユミさんもひっそりと亡くなられ・・・

そしてつい最近もジュリーの兄貴分、内田裕也さんも鬼籍に入ってしまわれましたね。
奥さんであり、こちらはジュリーの姉貴分のようだった樹木希林さんが昨年9月に亡くなられて、
希林さんはからだ中ガンだらけということだったそうでしたが
裕也さんは特に大病を持っていたわけではないようで
じゃあ、やっぱり希林さんのことは少なからずショックでおられたのかな・・・
奥さんが先に逝くと亭主は1年以内、なんて言い方がありますが
裕也さんもそうだったのかも知れません。

内田裕也さんをこのブログでメインに取り上げたことはなかったですが
ご存知の通り、ジュリーとは切っても切れない深~い縁のある人。
そもそもジュリーを・・・というか、ザ・タイガースを見出したのが裕也さん。
「あいつらは絶対売れるから」と当時の渡辺プロのプロデューサーを説得し
レコードデビューする前のライブではほんの一時ですが
「内田裕也とザ・タイガース」という名称で出演し
日劇ウエスタンカーニバルにも積極的に出演させるなど
この人なくてはタイガース、ひいては沢田研二は世に出なかったと言っていいほどの大恩人。
ひとつだけ瑕疵(?)があるとすればデビュー時のジュリーの芸名を「沢ノ井 謙」にしようとしたくらい。
曰く「普段従順な僕が珍しく、それだけは絶対にイヤだと言って逆らった」為に本名で行くことになった。
その後も、タイガースが解散してからも何くれとなくジュリーを気にかけ
あるいはイベントにゲストとして登場してはジュリーのファンからも絶賛されていた御仁でありました。
映画のメガホンを取ったり、都知事選に出てみたり、お茶目なCMに出てみたり
そして何といっても、代表曲が一曲もないのに日本を代表するロック歌手という看板も持っていて
そのヘンテコ(シツレイ)なキャラクターで全世代で知らない人は誰もいないという
何かと話題に事欠かない、最後まで摩訶不思議な人でしたね。


思えばジュリーの周りの人や親しかった人が少しずつ減って行ってしまってるんやなあ・・・。

ジュリー本人はあと10年、80歳まではやります、とのたまってますが
是非とも亡くなった皆さんの思いも背負って頑張って欲しいものです。
・・・無理はしない程度に。

ともかく、ショーケン、裕也さん、長年にわたっていろいろ楽しませてくれました。
ありがとうございました。今はゆっくり休んでください。

・・・まだジュリーを迎えに来んといてや~!
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