ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

KAIGO.介護 巻の百二十四 OS病院の困惑

2011年10月31日 21時28分10秒 | 介護な日々
お花見から一週間ほど毎度の日々を送った後、
再発した肝細胞がんの治療のために、母は毎度のOS病院へ転院することになりました。

母は昔からOS病院びいきです。ていうか、病院と言えばここしか知らんのだそうな。

そもそも近所のかかりつけ・UI医院のIM先生がお若い頃ここで修行なさっていたらしく、
IM先生に大きな病院を紹介してもらおうとすると必ずOS病院への紹介状を書いてくださいました。
そういうのもあってか、大病院と言えばOS病院なわけで。

ちなみに私もOS病院で生まれまして、学生時代虫垂炎にかかったときもここに入院しまして、
更に三度の出産の時も切迫流産の時もここにお世話になりました。
勝手知ったるOS病院、母も私もここの診察券をどういうわけか4~5枚は持っています。
外来受付とは別に、病棟で必要になるらしく、
入院のたびに新しいのを発行しては退院の時に返してくれてたみたいです。
但したくさんあっても診察代が安くなるわけでは全然ない。

さて、母はああ見えて結構な寂しがり屋でありますゆえ、
出来れば個室でなく大部屋にしてくださいとお願いしておりました。
OS病院の大部屋は4人部屋です。
昔と違って隣のベッドとの間にはしっかり分厚いカーテンがかかっていますので
大部屋と言う感じではないのが昨今の大部屋。

しかるにIC病院はまだ昔ながらの様相を呈していて・・・というか、いわゆる老人病院ですので、
カーテンで仕切ることはもちろん出来るのですが、たいていオープンになっています。

しかし、転院の前日お昼になって、OS病院の事務の方からお電話がはいりました。
その方のおっしゃるのには
「前回の記録や看護師長らの話から、初めから個室に入られたほうが良いのでは?」とのこと。

確かに・・・前回の入院時、初めは大部屋に入ったのですが、
騒ぐわけではないけれど今よりも体が動かせたので、
しばしばベッドを抜け出したり、ごそごそ動き回ったりするため、
同室の患者さんが落着かなくなってしまうということで個室に移されたのでありました・・・。
否、個室でも落着かずベッドを抜け出したり部屋からも抜け出したりするので
更にスタッフステーション横の監護室(主に、集中治療までの必要は無い術後の患者さんなどの、
容態が安定するまでいてもらう特別室みたいなとこ。)に移されたのでしたわ・・・。


↑これはIC病院でのことですが、OS病院でも似たようなことをやってたし。

そういう懸念が強い上、今回は入れる大部屋に必要な安静度の高い患者さんがいるので、
落着かなくなる可能性が高い母はちょっと”困ったちゃん”だというわけで・・・。


↑これはどこでもやる。(病院でも特養でもしょっちゅうやった)



う~~~~~~~ん・・・・・・・やっぱ、そう・・・・?
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勝手に「勝手にしやがれ」を考える・・・私的考察の巻。

2011年10月27日 22時01分50秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや
ジュリーの最大のヒット曲にして最強の代表作「勝手にしやがれ」〈1977年)
とある有名な外国映画のタイトルと全く同じですが、
これは詞を書いた故・阿久悠先生のイメージによるものです。

私が特にファンをしよった頃のジュリーの歌の歌詞は、
古い順にだいたい安井かずみさん、山上路夫さん、阿久悠さん、
それから三浦徳子さんがよくお書きになっていらっしゃいました。

それぞれにジュリーの歌に対するイメージをお持ちになっていらっしゃったようで、
たとえばジュリー溺愛のズズさん(安井さんのこと)は
「肉体のきしみを避けるためジュリーには恋の歌は避けて愛の歌を書いている」と
なんかすごく難しいことをおっしゃってました。
また、三浦さんにいたっては「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」のレコーディングで
「この歌のジュリーはマザコンの男の子のイメージ」なんてことをおっしゃったことも。
そして阿久悠さんは、「ジュリーはカッコイイ男の代表であり、特に気障が似合う男」と
どこかで語っていらっしゃったのを覚えております。
但しジュリーは
「阿久悠さんは気障が好きみたいですけど、僕は実を言うと嫌いなんです。
だってねえ・・・ほら、気に障ると書いて気障ですからねえ。」
と言ってましたが・・・
どうも阿久悠さんの思う気障とジュリーの言う気障は少しニュアンスが違うのかもしれません。

さてその「勝手にしやがれ」なんですが・・・・

これは確かに気障な男の歌であろうと言えますよねえ。
男女の別れのシーンでありましょうが・・・

背中を向けて寝ているフリをして「カッコつけさせてくれ」と願う男。
出て行く女に最後くらいは優しいコトバのひとつ・・・をかけるでもなく、
さりとて突き放して追い出すようなセリフもよう言わん、・・・と。
「寝たふりしてる間に」なんて言ってますが、たぶんバレバレですよ、これ。
で、彼女が出て行った後は「バーボンのボトルを抱いて」窓からこっそり見送っている。
更には「派手なレコードかけて」朝まで一人で歌いまくる、と・・・・。
今なら自宅でヒトカラ(一人でカラオケ)状態ですかね。
・・・想像すると凄い絵になりそう・・・。
その一見恥ずかしいめっちゃカッコ悪い状況にもかかわらず、
それを敢えて意地で貫くところが、却ってカッコイイというか気障なのかもしれません。

こういうエエカッコしいの男の、まあ・・・意地っつうかやせ我慢つうか、
そういうのがジュリーには似合うと、そういうコンセプトで行くべし、みたいな所を
阿久悠さんは考えておられたのかなと思います。
その翌々年に発表した「カサブランカ・ダンディー」なんてもっとハッキリしていて
「ボギー、あんたの時代はよかった 男がピカピカの気障でいられた」
「男のやせ我慢、粋に見えたよ」と歌っていますもの・・・

さて、むかしむかしちゃちゃめの大学時代、一緒にマンガを学びよったダチ(男性です)から
こんなことを聞いたことがあります。
曰く「ハードボイルドなんてのは男の女々しさや」と・・・。
な~る~ほ~ど~!!・・・とめっちゃめちゃ腑に落ちた記憶があり、
今でも納得しまくっておりますが、
・・・これはまあ、ちゃちゃめがハードボイルドが嫌いだから得心しよるんであって、
ハードボイルド大好き派の皆様にはきっと反論ありきかと思います。

考え方はヒトそれぞれですので、ま、それはそれでいいのですが、
しかるにこの阿久悠さんのジュリーに書いた歌の数々は
多くが気障とハードボイルドを基本コンセプトにしているようでして、
確かにジュリーにはそういう男の姿も似合い、
また、強がり言ってるけどホントは男だってやせ我慢の連続で
可哀相なとこもあるんだよ〈男の悲哀みたいな)と言ってるようでもあり。

しかし・・・そのハードボイルド道を覆すわけやないんですが、
この「勝手にしやがれ」を作曲した大野克夫さんによりますと、
大野さんていつも歌の主人公のシチュエーションを自分なりに設定して
そのイメージで曲を書くのやそうですが、
そしてそれをジュリーに話して、そういうつもりで歌うようにと指導(?)してたそうですが、
この歌の主人公は「昼間は肉体労働やってるマッチョな男」なんだそうです。

・・・・・ガテン系ってか?!
なんか、なんとなくジュリーとイメージ違くね??・・・・・・・

まあねえ、洋画のハードボイルド主人公はたいがいバイオレンス系ですから
スポーツマン・・・てか筋骨隆々腹筋割れてるガテン系・・・・

うーん、間違っちゃいないですわね・・・。
でも、ガテン系のお兄さんは明るく陽気で豪快で、女々しさとは対極な感じがしますがな、
それは偏見ってもんでしょうかね。
あ、ていうか「ハードボイルドは女々しい」という定義を持ち込むからいかんわけか。

あれ?「勝手にしやがれ」って歌は結局女々しいのか??

???????さて皆様はどう思し召す??
(・・・・つって、いつも通り個人の感想、考察ですよ。そこんとこヨロシク。)

ちなみに、ジュリーは運動神経はかなりいい方だったと思いますが(過去形)、
ガテン系の仕事は絶対無理でしょう。
歌手、タレントも体力勝負ですが、使う体力の質が相当違いますもんね。
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KAIGO.介護 巻の百二十三 お花見に行こうよ

2011年10月22日 08時27分15秒 | 介護な日々
2010年4月4日 快晴

今日は町会のお花見。
11時にお兄が病院へ迎えに行って、家のナナメ前にある公園でお花見会です。
公園内ではご近所Mさんが車イスを押してまわってくださいました。
私は行ったことがないのですが、ちょっとした出し物もあるそうで、
この日はヨーヨー釣りに挑戦?したとか。

町会の会長を長年勤め、大阪市議もなさっていたMIさんらとも楽しく談笑。
くじ引きでは見事?3等のティッシュを獲得(・・・ちなみに昨年は特賞のお米2キロをゲット)
配布のお弁当をもらって帰って、7割がた食べたそうです。
その後は神棚にお供えしてあった伊予柑を所望。
少々しなびていたようですが丸々一個完食したそうで・・・。
「やはり別腹」とはちい兄の感想。
「(家の)裏はどないなってる?」と言うので見に行って帰院。
楽しい1日でありましたかな・・・?


2010年4月6日 お天気花吹雪

お花見第2弾で今度は大阪城公園まで遠征。
何回も「ココどこや?」を連発。
「こないだも来たな~」と言いますが、実際はかなり長いこと〈数年以上)来ていません。
昔の記憶があるのか、どこかと思い違いしているのか?
深い色のお堀を眺めては「ぞっとする」をも連発。
そして例によって桜よりも大勢の人々、特に外国人観光客(大半は中国の方々らしい)を観察。

大阪城のことは「金ぴかやな~」
4月下旬並みのポカポカ陽気でしたが「寒い」も連発。
機嫌はまずまずですが相変わらずの意味不明お喋りがたくさん。
今日は特にオシリが重かったようで立とうとすると前のめりに・・・。
一昨日の町会お花見のことはしっかり覚えていました。

病院へ帰っての昼食時はいささかご機嫌ナナメで、初めから「もういらん」。
買い置きのお菓子が全然残っていないと知ると
「私はひとつも食べたことがない!」と強く主張。誰かが勝手に食べたと言いたげです。
「他の人は誰も(とって)食べたりせえへんで」と言うと
「確かめもせんとそんなことわからへんやろ?!」ですと。・・・やれやれ。
とにかく昼食を半ば無理やり6~7割食べさせて、
横になってからはちょっと機嫌も直り歯科医のT先生執筆の本の話をしていました。
はい、これまた相変わらず「(T先生は)もう死んだやろ?」・・・・です。
思い込んだら一筋・・・ですなあ・・・。
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柴山和彦さん⑨~いろんな人々といっしょ

2011年10月21日 22時16分31秒 | KAZZあれやこれや
まずはさえちゃんといっしょなお話から。

♪すぐおいしい~すごくおいしい~

・・・って、何のCMソングか皆様すぐおわかりですよね?
世界中でもっともよく食べられている某有名インスタントラーメン・・・
て、伏せる必要も無い、日清チキンラーメンの定番CMソングでありますが、
このCMソングを作ったのが鈴木さえ子さんというヒトであります。

我らがカズさん〈久しぶりです、FANの皆様すいません)、
一時このさえちゃんと一緒にお仕事している時期がございました。

さえちゃんの詳しいプロフィールはウィキでご覧あれ。(なんか間違いも多いみたいですけど)

さえちゃんは・・・何でも演奏なさいますが、メインはドラムだと言う話です。
マリンバもピアノもお出来になりますが、ご本人の弁によるとどっちかとうとドラマーだそうで。

当時のダンナ、鈴木慶一さん初めムーンライダーズのメンバーさんたち他と
”緑の法則ツアー”という、アルバム「緑の法則」を中心としたライブツアーをやってたのですが
そこにはピーターパンみたいなカッコしていたカズさんがいたんだよお。1985年です。
ジュリーのバックバンド・EXOTICS(エキゾティクス)1年後ですね。
メンバーの一人・白井良明(りょうめい・本名ではよしあきと読みます)さんとカズさんは何を隠そうマブダチで、
二人で”スタジオブラザーズ”というユニットを組んであちこちでぶいぶい言わしとったそーです。
その辺でさえちゃんのコンサートツアーに参加してたのかな、と。

ちなみにこの時のべーシストはエキゾのリーダーであった吉田建さんです。

私はこのツアーは行ってないのですが、翌年の”ハッピーエンドツアー”と
翌々年の”ステージロマンティストツアー”は見に行きました。
(更に翌年はさえちゃんのツアーがなかったか、あってもカズさんは不参加だったと思います。)
どっちかのステージのインターバルで、カズさんが洒落でドラムを叩いていたのを覚えとりますわ。

1985年から87年ごろと言えばカズさんの活動のメインは大沢誉志幸さんでした。
エキゾ時代は、たまに泉谷しげるさんのコンサートに、建さんやお兄さんの好正さんと一緒に
バックバンド・BANANAのメンバーとして参加する他には
あまりジュリー以外の歌手の演奏をしていなかったそうです。
一説にジュリーの仕事はギャラがいいので他の仕事をたくさんしなくてもよかったとか
・・・ていうかジュリーの仕事がいっぱいで他の仕事をするヒマなんてなかったとか言う話でした。
87年後半でジュリーのバックに復帰するまではいろんな人の演奏をなさってまして、
メインは大沢さんでしたが、次に多かったのがさえちゃんではなかったかな?

他には、白井良明さんと一緒してた関係でか、カズさんは
やはり良明さんと一緒に松尾清憲さんのレコーディングやステージも参加されてました。
尚、このバック演奏にはエキゾでいっしょしたキーボードの西平彰くんも参加してました。
松尾さんはコンサートホールではなくライブハウスが中心で、
ファンとしてはカズさんを間近で見られるのが嬉しかったですね~。
大阪にあったバナナホールというライブハウスに行った時、
アンコールでライトウイスキーのビンをメンバーみんなで振ってたんですが、
私は良明さんの振ったウイスキーのしずくが目に入ってめっちゃ難儀しましたわ。←自慢??
どーせならカズさんに掛けられたかった・・・なんちって。

レコーディングだけなら山下久美子さんや早瀬優香子さん、UP-BEAT、
渡辺満奈代さんやブラックキャッツ、白浜久さんなどの演奏も手がけておられました。
(山下さんは建さん、早瀬さんは彰くんともご一緒です)

当時のちゃちゃめは、レコード屋に行って手当たり次第にジャケ裏のミュージシャン名を確認して、
カズさんの名前があれば買うという暴挙に出ていたものでした。
ジュリーを離れてしまってなかなか逢えなくなったカズさんをそうして探していたわけですわ。
何しろパソコンもケータイも、すなわちネットなんぞ無かった時代ですもん。
恐ろしくアナログな探し方をするしかなかったわけですよ。
ファンしてる全国各地のダチのクチコミ情報と言うのはありましたが。

それから久宝留理子(くぼうるりこ)さんのアルバムは、カズさんがプロデュースを手がけてました。
あ、UP-BEATのデビューアルバムもプロデュースしてはったわ。
当時はレコードからCDへの過渡期でしたが、12インチシングルという
LPレコードと同じ大きさのシングル盤もほん一時でしたがはやってました。
まあ、マキシシングルみたいなもんですわね。
UP-BEATのデビューアルバムがそうでしたな、確か。

だからねえ、ジュリーのバックに帰って来てくれたときは嬉しかったですよ。
それ以来、ずうっとジュリーとともにあの方はいらっしゃるんですねえ。
こうなりゃ死なばもろとも、ですか。(ヘンな言い方ですんません・・・・)
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ごめんね、夾ちゃん・・・

2011年10月19日 21時31分55秒 | ジャンガリアン
昨日の朝早く

うちのジャンハム・夾(きょう)ちゃんが亡くなりました。

このところ急にやせてきて、どうしたのかと思っていたら

どうもひまわりの種のカラを自分で割っていないようで

だから毎日ペンチでカラを割ってやっていました。

そうすると食べようとしているのでそれで様子をみていました。

元気は元気で滑車もよく回していました。

そして数日前、夾ちゃんの歯がヘンな生え方をしていて

モノがよく食べられないのではないかということに気づきました。

でも、私は平日はシゴトでなかなか動物病院へ行くことができません。

娘も犬猫アレルギーがあるため私の代わりに動物病院へ行くことができません。

私も用があってやっと一昨日の月曜日に連れて行くことになりました。

その前日はまだまだ元気でケージの中を動き回っていたのですが

その月曜日の朝、寝入ってしまって起きなくなっていました。

あわててMB動物病院へ行きました。

やはりモノが十分食べられなかったため低栄養で低体温になっていたようです。

ドクターの手当てで、夾ちゃんはやがて目を覚ましてまた元気に動き始めました。

さすがは獣医さん、指摘せずとも歯がおかしいのにすぐに気づいて削ってくださいました。

そして栄養剤をくださいました。

元気になった夾ちゃんにほっとして連れ帰りましたが・・・

一見元気に見えましたが、夾ちゃんは食欲を無くしていてちっとも食べてくれません。

夕方、また寝入ってしまったのでまたMB動物病院へ行き、

起こしてもらって点滴をしてもらいました。

その後も出来るだけあたためて栄養剤をどんどん飲ませました。

昨日の早朝、4時ごろは元気に滑車を回したりもしていたのですが・・・

6時ごろ・・・・静に永遠の眠りについてしまいました。



もっと早く歯の異常に気づくべきでした。

もっと早くお医者さんに連れて行くべきでした。


夾ちゃん、ごめんなさい・・・。おなかすいてたんやね。


もう二度と、こんな目にあわせる子をださないから!

今度、やせだした子が出たら、すぐにお医者さんに連れて行く。


教えてくれたんやね、夾ちゃん。

ほんまにごめんな・・・。


あっちにいったら、先に行ったはるるんにいっぱい食べさせてもろてな、

あいつ大食いやったから、いっぱいいろんなもん取り込んでるで、きっと。

横取りしたれ。いっぱい食べや。



40匹以上ハムスターを飼って来て、その分いっぱい見送りましたが、
こればっかりは何度経験しても慣れられるものじゃありません。
もともと持ってる寿命の長さも、その動物の種類や大きさも関係ないです。
犬猫の死は哀しいけど、吹けば飛ぶようなちっちゃいハムスターの死はどうってことない、
・・・・なんてことは絶対ありません。
事故で死んでも病気で死んでも過失で死なせても天寿をまっとうさせても
どんなになっててもやっぱ辛いです。
だから動物を飼うのはイヤだと言う人の気持ちはよくわかります。

でも、やっぱ飼いたいんですよね。



夾ちゃん、いっぱいありがとう。

残ったヘケ達は、きっと大事に飼うからね。
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