ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

じゅ、じゅりぃいい~~~

2010年07月17日 21時46分00秒 | ジュリー・・・思い出雑記あれやこれや
やっぱ、ちゃちゃめのアーティスト話ににこの人ははずせないでしょうなあ・・・

今はファンというにはおこがましいと言う立ち位置におります。
ぶっちゃけCDも買いませんしライブへも行きません。
藤山直美さんとのお芝居(桂春団治さん役ですな)も見ません。
↓これね。

テレビに出ることがあれば見ますよ、録画するし。・・・でもその程度。
(もっともほとんどテレビ出演はありませんけど。)
もちろん全然キライではありません。
元気で活動されている知らせを聞けばほっとするし、100歳までやってくれと祈っております。
また、現役でファンをしておられる、特に近年ファンになられた方々のファンブログに
毎日お邪魔してはセンパイ面をさせていただいております。
(皆様、いつもエラソーでごめんなさい。)

まあ、ファンOBといったところです。

でも、昔むかし大ファンだったのはホントウですし、
「なんであんなに、あんなん好きやったんやろ?」などと言うような、
別れた元カレに対するような後悔のキモチは一切ありません。
めちゃめちゃ熱心にファン活動していた頃のジュリーは今でも好きです。
ていうか、それは自分の思い出につながるからですけどね。
主に1972年から1984年までが一番熱心にやってた頃で、
モロ青春時代にかぶるわけでして・・・
あ、部活もやってましたよ~、ちゃんと。勉強は・・・ほどほどで。

学校のクラス内でもジュリーファンで超有名で、クラスメートに
「お前うち帰ったら悠木千帆(現・樹木希林さん)みたいにポスター貼って
じゅりい~~てやってんねんやろ?!」としょっちゅう言われた。
(↓TBSドラマ「寺内貫太郎一家」の有名なシーンですね)

自分の結婚式の時、3歳からお世話になっているある恩師に
「ちゃちゃちゃんは、ジュリーの大・大・大ファンで、
いつもたくさんの情熱をジュリーに注ぎ込んでいました。」と、全面的に暴露された。

クラスの友達を半ば無理矢理コンサートに連れて行き、"ジュリー教”の信者を増やしていた。
(実際増えた。←そのうち一人は今も現役でファンしていて私より熱心。)

「今度のジュリーの新曲、なかなかええね。」と言われたら強引にレコードを貸した。
↓特にコレ!

「オススメの歌があったら誰のでもいいから録音して。」
とテープに録音を頼まれたら、必ず全曲ジュリーの歌を入れて返した。

ファン友達とテレビ等から録音したテープを交換し合って"コンプリート”目指した。

学生寮のコンパで、ファンである後輩とアコギで"勝手にしやがれ”を熱唱した。

朝の6時に大阪中央郵便局へコンサートのチケット申し込みにたびたび行った。
(郵送先着順で前から席を割り振られたので。おかげで毎回前から5列目以内でした。)
一度は洛北の果ての学生寮から後輩にバイクで送ってもらって阪急京都線の始発に乗ったことも。

・・・・こんな感じでした。

・・・みんなにはめちゃめちゃ迷惑やったやろなあ・・・。今更反省・・・。
でもねー、当時はジュリーはかなり売れていたので、
必ずひとクラスにひとりやふたりはファンがいたのよ。
ファンまではいかないけど、わりと好きやでと言うヒトもザラにいたのよ。
「キライやけど今度の歌は好き」とか、「ドラマは見てるよ」というヒトも結構多かった。
ファン仲間や、理解はできるというヒトが身近にいた時代です。
だから、みなさん好意的に見てくださってたと思います。

でも、天邪鬼ですから、ファンクラブにはほとんど入っていませんでした。
「FCなんかに入らんでもファンは出来る!!」
と主張していましたが、実は理由は他にありました。
①ライブできゃあきゃあ騒ぐのが苦手。そういうファンだと思われたくない。
 きゃあきゃあ・・・が悪いと言っているわけではありません。
 私はそんなんようせんし、静かに、自分の楽しみ方で楽しみたいと思うだけです。
 FCに入っていると騒ぐファンだ思われる、という思い込みがあったのですね。
 もちろん今は思ってませんよ、コドモのときの偏った考えですのでお許しを。
 それに、上記の行動をみると、いかにもきゃあきゃあ言って、踊りまくっていそうでしょ?
 でも、全っ然そんなことないんですよ。
 「ジュリー!!」なんて声援送ったことはただの一度もありません。恥ずかしくて、とてもようやらん。
 だから、”そういうファンだと思われたくない”んです。違うから。
 要はタダの自意識過剰。
②当時のジュリーのFCは所属事務所全体のFCだったので、いらんタレントもついてきて非効率。
③コドモなのでお金がない。
FCにようやく入ったのは自分で稼ぐようになってから。
それも、突然ジュリーが「休業宣言」を出して公の場に出なくなってから。
情報を得たいと思って、やっと重い重いオシリをあげました。
・・・遅すぎやっちゅーねん、とにかくなんか意地になって入らんかった・・・

FC入らなくても情報は手に入ったし、いい席もとれてたし、
それに歌番組全盛期、毎日どこかで歌番組をやってて、
毎日どこかでジュリーの顔が見られたのです、リアルタイムで。
ラジオ番組もいっぱい出ていたから、毎日どこかでおしゃべりもきけました。

ビデオ(DVDはもちろん論外)も1980年代入るまでは一般家庭にはめったに存在せず
従って録画はろくすっぽ出来なかったし、見逃したらまずそれっきりだったし、
録音はできてもほとんどモノラルばかりだけれど、
インターネットもyoutubeも一切なかったけれど、
出演した映画も、レンタルビデオショップなんてまだあまりなかったから
見たければお金を出して上映期間中に何度も見に行くしかなかったけれど、
または自主上映を探し出して行くしかなかったけれど・・・

・・・でも、今から思えば、すごく幸せだったなと思います。

↑最近のジュリー


・・・て、ジュリーについては何も書いてへんがな!!!

すみません、次回はご本人について・・・
・・・まあ、ご存知の方が多いとは思いますが?!

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