820note

820製作所/波田野淳紘のノート。

修行が足りないがもういい。

2010-07-24 | 生活の周辺。
だんご虫がいっぱい玄関先を這っていた。あかるい月が浮かんでいた。泥沼をずぶずぶとすすんでいるような日々だった。ストレスや怒りがからだから出ていかない。そういう状態でいると、自分のやることなすことのすべてが信じられない。たぶん関わっている人たちに、よくないものを波及させているんだろう。ごめんな。はっちゃん疲れちゃったよ。京都へいきたい。しゅうちゃんは元気だろうか。

五年前に上演した『スロウ』の古いデータが出てきた。本番の一週間前にいろいろあり、できあがっていた台本を改編しなくちゃいけないかもという事態になったとき、まあそれは結局必要なくなったんだけども、とにかく前半の一部をむりやりに書き改めた幻のデータ。そんなものがあるなんてすっかり忘れていたのだけど、改編の仕方がとてもけなげで、時間のない中よくやったなと思う。いまと書き方がぜんぜんちがう。書くべきことを書く。それだけじゃん、っていうシンプルな。

再演が続くことに理由はべつになくて、たまたまそういう流れになっているだけなのだけど、その流れももちろん必然で、よりあたらしい劇のことばを自分のなかに確かめたいと、無意識に思ってのことだろう。

お、こんなことを書いているうちにメールが入った。あしべが一つ、劇団の仕事を仕上げた。うん、仲間が頑張っている。いちばん頑張らなくちゃいけないのは俺だ。もうすこし泥沼の深みにはまるべきだ。口をつぐむときはつぐむ。語りたいことを語る。センチメンタル上等だろ。どうしようと俺の勝手だ。ガキの面倒見ている暇はないんだ。演劇はだって、その時間に、あるいはその時間をこえていつか結実する祈りのようなものじゃないのか?

書きつけた言葉は、かならず自分に還ってくる。それなら本当に腑に落ちる言葉だけ俺は探そう。
むこう一年くらいの820製作所の裏テーマはこちら。

≪ハマのおしゃれ劇団、ぶち切れます≫

ぶち切れていく。そういう時期なんだ。

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