820note

820製作所/波田野淳紘のノート。

ぺり。

2010-04-29 | 生活の周辺。
日本舞踊を観にいった。坂東扇輔という名の踊り手がいる。
ほんとうはいきいきとした生気を封じ込めたものとして「型」があるはずなのに、それが単なるかさぶたに見えてしまうことがある。傷を覆い、守るためのこわばり。でも彼の踊りはそうではなかった。ぺりっとかさぶたがめくれて、あたらしい肌があらわになった。どきどきした。みずみずしく、色っぽかった。くやしいほど。

半蔵門のあたりをぶらつく。どうしてこの国のつくる建物はどれもこれもあんなに大仰なのか。なにを威圧したいのか。ああでもしないと不安なのか。憤慨した加藤くんがお濠に飛び込もうとするので慌てて止める。なにせあちこちに機動隊の装甲車が路駐している。われわれはセンチメンタルなアウトローである。大谷さんが舌打ちをする。加藤くんがガンを飛ばす。装甲車が動きだす。

三人で中華料理を食べた。

よわよわ。

2010-04-28 | メモ。



一日じゅう雨だった。最近のテーマは弱弱しさ。弱弱しくあること、ものに惹かれる。弱弱。漢字で書くとなんだか人を不快にさせる文字だ。弱さとは複雑さ、繊細さ、落としたら割れるような、でも、だからこそ頼りになるもの。べんりな機械の内側や、炭鉱のカナリアのようなもの。

ぼうぼう。

2010-04-20 | 生活の周辺。
昼下がりのやわらかな風がここちよかった。あかるい一日。あけはなした窓のむこうを大正時代のようなかっこうをした女性が自転車で走り去った。目と目があった。犬の散歩をする父娘がいた。茫漠としている。なにか頭がおもくて、はっきりしなくて、からだが動かない。そういえばきょうはコーヒーを飲んでいない。中毒症状だろうか。

行き詰まる。

いろいろな夢をみた。ばけものに追われて黒塗りの自動車に逃げこむ夢。郵便ポストからこぼれる花々にうめつくされた坂道を駆け降りていく夢。暗闇を歩きながら友人とさみしさについて語りあう夢。船の甲板の上でギターを弾くがコードがわからず焦っている夢。

いしころ。

2010-04-19 | 生活の周辺。
あのころ、いしころみたいな気分だったから、『青葉繁れる』をくりかえし読んだ。
全身全霊をかけて女の子のことを考える男の子たちの話。すました顔で、うわの空で、鞄のなかに『青葉繁れる』を放り込んださ。
井上さん、あなたの生みだした男の子たちが、ど田舎のくそみたいな中学生を、嬉しいきもちにさせてくれたよ。あかるさもさみしさもひとのずるさも知らずにかたまっていたいしころをかんたんに蹴っ飛ばしてくれたよ。

二十代の内に書き終えたい戯曲の数をかぞえてみた。
あたためている構想が長短あわせて七つ(数日前ひとつ増えた)、改訂したくてうずうずしているやつが三つ。時間がない。ぜんぜん足りない。

土曜日に820ミーティング。7月の青い鳥のこと。抹茶パフェを食べながら。

ようやく頭が切りかわった。おれはいま劇作家である。戯曲を書いている。
心がけていることはひとつ、書けないことは書かない。それでいいじゃない。あとは適当に、な。

先週、同世代のある劇作家の方とお話をさせていただく機会があり、とてもおおきな刺激をうけたのは、こうして書くとばかみたいだが、そのひとが「作家」だったからだ。
あるとくべつなコードの上を言葉が流れていくようだった。

戯曲を書いたり、小説を書く友人は周りにもいるが、僕や彼らに足りなくて、そのひとに備わっているものがなんなのか、うまく言葉にできない。クールであること。世界との距離感、視線、対象を暴く視線、細部に分け入り、いまここを名づけなおすこと、その身体性。

いや、それはただ書くことを自らの仕事(生きること)として引き受けることへの覚悟の有無なのかもしれず、というかきっとそうで、わが身をふり返って、いしころのような気分だ。でもいいじゃない、どうせいしころだ。適当にやる。

『The Loving』公演終了しました。

2010-04-14 | ごあいさつ。
ふねをゆらすの初めての公演、ぶじに閉幕しました。
お越しいただいた皆さま、応援してくださった皆さま、ちからを貸してくださった皆さま、本当にありがとうございました。

『The Loving』の初演を僕は五年前に湘南で観た。
そのときの演出家は、その公演を最後に引退された。僕が演劇に関わるきっかけとなった劇団の主宰の方。その人の創るものから僕は大きな影響を受けている。その最後に観た芝居。言ってみれば特別な作品だ。しかもタイトルが「愛」。緊張した。ただ、期待のほうがおおきかった。乗り越えてしまいたかった。

演出するにあたっていくつか決めていたことがあったが、その一つは、おわりではなく、はじまりを描くこと。
そのためになすべきことはできたのではないかと思う。

あとは坪内逍遥超リスペクトとか、愛のかたちの仕方とか、でも演出家は出しゃばらねえぞ、とか、そんなこと。

今回は、ふねをゆらすの初めての芝居でありながら、Project ONE&ONLYの企画への参加公演でもあった。
『The Loving』を上演させていただけないかと申し出たとき、ちょうど作家の白土さんの在籍するカンパニーでも同作品をめぐる企画が持ちあがっていたところで、それならば一緒にやるのはどうか、と誘っていただき、このようなかたちでの上演が実現した。

わがままばかりを抱えた僕たちを、見守り、おおきく受け入れてくださったカンパニーの皆さまに、こころよりの感謝。
異なる演出家による三通りの芝居が並ぶことで、個人的には僕の演出の弱点や課題がよりクリアに了解された。きちんと次へつなげていこう。

二ヶ月の稽古は宝物のような時間だった。この三人で創ることができてよかった。三人でなければつかめない芝居だった。
ふねをゆらす、次回はいつになるかわかりませんが、より上質の、おどろきに満ちた、ひらかれた芝居をお届けします。やりたい戯曲はいくつもあるんだ。風向きと天候と海流が合致したとき、またお会いしましょう。

ふねをゆらす♯0『The Loving』公演情報。

2010-04-11 | アナウンス。
あたたかさの底に、まだつめたいものが混じります。
生まれたての春の風はいつも、あたらしい季節に迷いこむ心細さを抱えているようで、そんな風に吹かれるたびに大丈夫だよと、ぜんぜんへっちゃらだよと、自分のことはさておいて、先輩面して、肩をたたいてやりたい気持ちになります。こちとら、何十回目の春だもの。しっかりしなくちゃ、ね。

はじめて自作以外の戯曲を演出させていただくことになりました。

やるせない芝居になればいいなと思います。
観終えて、いてもたってもいらなくなるような、面白いとか、つまらないとか、そういったことばが出番をなくすような。

どうかあなたに観ていただけたらと思います。

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◆ふねをゆらす♯0/Project ONE&ONLY The Trial ♯03 参加

『The Loving』

作:白土硯哉
演出:波田野淳紘(820製作所/ふねをゆらす)

◇Player
 松本美香(ふねをゆらす)
 佐々木覚(820製作所)

【ふねをゆらす】
演出・波田野淳紘と、女優・松本美香による演劇ユニット。
この世界にちらばるものがたりを、よせてはかえす深酔いの波にのせ。

◆日時&場所

2010年4月

3日(土)14:00
4日(日)18:00
7日(水)20:00
11日(日)14:00

@小劇場 楽園(下北沢)
  小田急線・井の頭線「下北沢」駅より徒歩3分→http://www.honda-geki.com/map.html

※開場は開演の30分前。受付開始は60分前。

◆チケット
 ¥2,500(前売り・当日とも)

◇予約フォームはコチラ。

※メールにてご予約の際は件名を「チケット予約」とし、①お名前②電話番号③日時④枚数をご記入の上、お送りください。折り返し確認メールを返信します。→byebye_@mail.goo.ne.jp

☆リピーター割引
当公演はProject ONE&ONLYによる企画公演「The Trial ♯03」への参加作品として上演されます。公演期間中のどの回も、チケットの半券をお持ちの方は1,000円引き、二枚以上お持ちの方は2,000円引きでご覧いただけます。

※4,500円で三通りすべての演出をご覧いただけます。

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ProjectONE&ONLY The Trial♯03
The Loving ~rondo~
2010年4月3日(土)~11日(日)

三組のユニットが創り出す三つの異なったハーモニー。
同じ一つの戯曲を、三人の演出家がそれぞれの味つけでお届けします★

□巻ノ壱 
 演出 波田野淳紘
 出演 佐々木覚、松本美香

○巻ノ弐
 演出 小暮正太郎
 出演 池澤夏之介、水木ノア、池田充枝、渡部智子

◇巻ノ参
 演出 吉岡英利子(NIPPONいとしのチチバンド隊
 出演 山崎いさお、溝口亜紀

※日程、他団体の詳しいプロフィール等は主催者公式ホームページをご覧ください☆

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◇Note

かつて坪内逍遥という小説家がいた。



小説家は東京という都市に生き、海べりの静かな町に死んだ。

時代は混とんとしていた。
ちょんまげも帯刀もあだ討ちも消えた。牛鍋やネクタイやガス灯がやってきた。
あたらしいものがどっと押し寄せ、目に映る風景をあらためた。
古いものは遠くへと去りながら、まだなお人々の胸にわだかまっていた。

よせてはかえす波の勢いの、とくべつに激しい時代に小説家は生きた。



小説家も恋をした。



小説家は、日本ではじめて、シェイクスピアの全戯曲の翻訳をした。
やがて彼は、彼の生きた国で、近代演劇の祖と呼ばれるようになる。



かつてどこかにいたはずの人間は、ほんとうにそこにいたのだろうか。
かつてどこにもいなかった人間は、ほんとうにいなかったのだろうか。

演劇にできることは、出会うはずのない者どうしを、引きあわすこと。



潮流に逆らうこと。



昭和三年、シェイクスピア全集訳了。昭和十年二月二十八日逝去。死の間際まで校訂をかさねた。

抑制と熱の高まり。

2010-04-07 | 公演中。
好きだと言わなければ好きが伝わらないとか。
でも目線ひとつで気持ちがすべてバレるとか。

恋愛も、演劇も、人と人。

『The Loving』正念場である。まだやれることがある。

ふねをゆらす、三回目。
雨が降る。

劇場に入ったら、加藤くんがじぶんの衣装を用意してくれていた!
つくづく驚きをあたえてくれる俳優だ。ファンタジスタ。



思わず写真を撮ったが、暗すぎて、つげ義春のマンガの登場人物みたいになってしまった。



こういう。

三日目もぶじに終わり、残すところはあと一回。
強い気持ちで響かせる。

長いメールとエレガント。

2010-04-07 | 公演中。
和木さんからとても長いメールをいただいた。
深いところで劇を分析してくれた。ほんとうに見事な分析だった。そのいちいちにハッとさせられる。劇を見る力。僕にはまるで思いつかないような指摘がそこにある。
そのメールを読みながら、このところ張りつめていた嫌な凝りが、すうっとぬけていくのを感じた。見てもらいたい人に見てもらい、ことばをいただけたことのしあわせだ。和木さんに感謝。

小屋入りから四日間、きもちが張りつめていた。二日目の本番を終え、ぐったりと泥のように眠るが、一日中からだが目覚めず、ぼうっとして過ごす。舌がまわらない。ことばが生まれない。やることがたくさんあるのに、よっぽど役者のほうが疲れてるだろうに。

街路を包むほどの大きな布をせっせとたたむ夢をみる。やわらかな雨の中。

このあいだ和田くんに「おまえなんてエレガントは無理だ」と言われて、じみにこころが削れてる。そんなことあるものか。誰にだってそれぞれのエレガントがある。



というわけで下北沢のアンティークショップに売られていた鞄を衝動買い。
エレ、ガント…?

とりとめもなく書くが、2009年でいちばん突き刺さった映画は『脳内ニューヨーク』だった。

ニューヨークに住む中年の劇作家が主人公。
どうしようもない話だ。どうしようもない男が、どうしようもなく妻子と別れ、どうしようもない恋をして、どうしようもない見栄をはり、老い、死んじゃう。
整合性などくそくらえ。感傷に溺れたいなら勝手に死ね。ただ愛をめぐる痛みだけが本当。そんなような。

せっぱ詰まった映画だった。くそくらえ、をものすごく怜悧に構築していた。
『聖者の行進/reprise』のすぐあとに観たからなおさらに響いた。そういう語りかたでしか語れないものがある。あっていい。壊れたものがたり。

戯曲を書こう。胸の奥に耳を傾ける。すでにある何かをたどるように鋳型にはめこむように書くのではなく、やむにやまれずに生まれてくるもの。
はじめなくちゃ、はじめなくちゃ、はじまらなくちゃ。

遠くまで。

2010-04-04 | 公演中。
二日目が終わる。
ふたりの役者が発熱している。役者が、役が、人間が、そこにいる。男と女の影法師が、「あなた」の影が、そこにある。
僕はもうただ見ているだけだ。

ご来場いただいた皆さま、本当にありがとうございました。

会いたかったひとが観にきてくださった。力強い握手をしていただいた。
しっかりと届けられたことが、ほんとうに嬉しい。

和木さんにお見せすることができてよかった。
煮詰まったとき、和木さんならどうする、と考えてきりぬけた。鋭い指摘をいただき、思わずメモ。視野の広さがとんでもない。和木さんはいま『悲しき熱帯』を読んでいる。さらに先へとすすんでいる。

「演出」とはどういうものなのか、最初に僕に教えてくれたふるちゃんとも再会できた。僕はいまだにふるちゃんの演出に追いつけない。あれから六年。ふるちゃんは、ふるちゃんだった。ふるちゃん以外の何者でもなかった。擬音でいうと、およおよ、って感じ。十代のころより、もっときれいになっていた。しあわせがあふれていた。

あしべも来てくれた。加藤くんもそうだが、劇団員に観てもらうのがいちばん緊張する。それはつまり信頼しているからだけど。しかし演出だけ、という公演も初めてだし、こうして三通りの作品を並べてみると、自分の演出の癖とか志向、あるいは課題、深めるべきものや足りないものがよく見える。

820の公演でも、いろんな作家の戯曲をやってみたいね、と話す。僕はテネシー・ウィリアムズが大好きなんだ。あんなにすりむき、あかむけた戯曲を書いてしまう魂。震えそのものがたどらせた文字。

『The Loving』も僕にはそのように読める。そのようにしか読めない。
公演はあと一週間つづきます。ふねをゆらす、残りの二回も大切に、さらにあたらしく、深いものへと響かせていきます。

きょうは午前中、少し早めに下北沢へたどり着き、かの有名な亭(みん亭)へ。むちむちの餃子。大きなどんぶりいっぱいに入ったラーメン。



唐十郎と石橋蓮司のサイン色紙の真下で、ヒロトの色紙を遠目に見ながら。おいしかった。