820note

820製作所/波田野淳紘のノート。

二〇二〇年と私。

2021-01-01 | メモ。
 新型感染症とは関係なく、わたしたちの劇団はもう長く活動を休止していた。SNSから極力離れ、仲間ともほぼ会うことはなく、演劇の流れから取り残されていた。三月、各地で公演中止が相次ぎ、幾多の演劇人の創作・生活が脅かされていることを知っても、それは遠くの喧噪でしかなかった。自分自身のことで、呆然としていたのだ。
 この度の感染症の流行は、演劇の最も本来的な“空間をともにすること”という機能をわたしたちから奪った。いつかまた演劇をする日が来るのだろうか、と鈍い痛みとともに緊急事態宣言の発出を聞いたのが四月。

 五月、文化芸術の補償を巡る平田オリザ氏の発言が、掛谷英紀氏という右派論客に取りざたされ、一斉に批判を浴びることになる。製造業への支援の仕方と舞台芸術や観光業への支援の仕方は異なるものではないか、という業種間の構造の違いを指摘する平田の言葉を、掛谷は「この人は技術者を舐めている」と恣意的に切り取った。犬笛を聞きつけた人々が大挙して演劇に押し寄せた。飛び交った言葉をいくつか引用する、恣意的に。

……「大根役者をコンクリに並べる幼稚園お遊戯発表会」レベルのゴミ発生源の劇団……
……一番不要不急の娯楽ジャンルが調子乗って、国の基幹ジャンル舐めてる……
……演劇なんてなくても困らないよ。元々誰のためのもんだよ。内輪でぐちゃぐちゃやってるだけにしか見えねぇよ……

 久しぶりにSNSを開いて、これらの言葉が目に飛び込んできた。掛谷の犬笛の吹き方と論理の封殺の仕方は扇動者のふるまいの典型に見えるが、ここではおく。事実として、演劇が憎悪の火種となり、さまざまな糾弾の言葉が繰り出された。
 ここに見られるのは演劇人の「人種化」だ。わたしたちは“社会にとって有害な、他者への想像力を欠いた身勝手な者たち”と一括りにされた。演劇人が有徴化し、市民から後ろ指を指された。観測できた範囲では、若い演劇人がさっそくそれらの眼差しを内面化し「わたしたちはあんな演劇人にはならない」と意気軒高に語っていた。

 八月、安倍晋三が首相を辞した。そのことに動揺し「一日ブルー」、「ショックすぎる」と語った二十歳がいた。「安倍さん辞めないでほしい」、「寂しい」と本心から口にする。彼が小学生の頃からこの国の首相は安倍だった。八年の歳月は長い。お昼のご長寿番組が最終回を迎えたときのことを思いだす。僕が森田一義に対して抱く感慨を、おそらく彼は安倍晋三に対して抱いている。安倍が何をしたか、しなかったかは関係なく、メディアを通して安倍と市民の間に親しさが形成され、後には朗らかなイメージだけが残る。
 ある野党の政治家に向かって、新聞記者がこう語ったという。「野党は物語が弱いんだ。安倍さんには物語がある。一度失敗した者が再挑戦するというのは、物語として強い」。

 いま、わたしたちはかつてなく安手の物語に飼い慣らされている。医療従事者への激励に曲芸飛行を見せれば喜ぶと思われている。確実に開催されないであろうオリンピックも未だに「人類がウイルスに打ち勝った証しとして」開催が予定されている(新年の年頭所感では「世界の団結の象徴」に文言が変更された)。

 物語が、「群れの導き」のために使用されている。

 決めつけやはぐらかし、単純な語法の連呼、粗雑で声高な言葉の蔓延。そのような事態を観察してようやく、自分のなかの「演劇人」が顔をもたげた。古来、演劇が炙りだそうとした人物たちは、共同体に背を向け、石を投げられ、「ひとり」の立場から世界と向き合う人間たちだった。その「ひとり」の興亡の物語を通して、わたしたちは内なる孤独を共鳴させ、誰かと「ともにある」という感覚を恩寵のように与えられてきた。たとえ空間の共有が難しくとも、“いま、ここに別の時空間を重ね合わせる”というもう一つの演劇の機能を軸に、孤独な魂に寄り添うことは可能だろう。映像を通して、写真を通して、書くことを通して、その他の方法で。群れから逃れ、硬直を解くための言葉を発することはできるだろう。有事の時こそ、演劇は発動する。

 二〇二〇年の大晦日、東京の新規感染者数は1,337人、神奈川県は588人。緊急事態宣言が発出された四月七日の感染者数のそれぞれ十七倍、三十三倍の数である。先行きは見えない。事態がどう転ぶかわからない。再び劇場は閉鎖されるかもしれない。
 夏、信頼する演出家の一人である伊藤全記氏が深夜の電話で語った言葉を思いだす。「大丈夫、演劇は待ってくれるよ」。二〇二〇年を振り返るとき、必ず呼び起こされる言葉となるだろう。わたしたちは各自の演劇を粛々として尖らせていくしかない。それぞれの場所で。

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