安西水丸さんがお亡くなりになっていたことを知らず、ショックを受けた。
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川村さんの新刊『神なき国の騎士 あるいは、何がドン・キホーテにそうさせたのか?』を読み、思わず、落涙。川村さんの戯曲に幾度も深く胸を打たれてきたけれど、こんなにプリミティブに泣かされたのははじめてだった。ああ。
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このところ、毎晩のように、悪夢を見ている。古典的な悪夢を。ゾンビの群れに襲われ暗がりで息を殺す夢とか、おばけあるいは悪魔的な何かに追いかけられている夢。本を読んでいる夢を見た。小島信夫のような文体の小説で、そこに登場する男は家路をたどるとき、毎晩のように背後に忍び寄る足音に悩まされている。男は思う、あの足音がおれに追いついたとき、おれはおれを奪われ、連中の場所に囚われて、もう帰れない、等々。
なんだかもっと、悪夢にしても、鮮やかでめくるめくイメージのそれを見たいよ。夢さえ手垢まみれの日々であるよ。
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ないんさんに教えていただき、小沢健二の出演したテレフォンショッキングの映像を観た。感涙。小沢健二は、小沢健二だった。変わらないものと、いっそう研ぎ澄まされていくものと。年齢を重ねることを、恐れることはない、と思わされる。それにしてもぼくは泣いてばかりいるじゃないか。
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稽古。のっちに「ここのせりふは、星々に向けて」と演出の言葉を伝えたとき、何の迷いもなくそれを飲みこみ演じていて、救われた思いがした。
初めての通し。予想した時間より、15分ほど短くなった。短くなろうが長くなろうが、こんなに予想とかけ離れてしまったことは、あまりうれしいことじゃない。
台本の文字数でいえば、その上演時間だったらいつも30,000字に少し足りない程度のはずだった。でも今回は40,000字。10,000字ほど、いつもより疾走している。
だんだん、稽古場での演説の量が増えてきている、これこれはこうで、ああでと、イメージをだらだらとしゃべくり散らかす。届いている顔と、必死に理解に努めている顔と、何言ってんだこいつ、という顔がある。本当に勉強になる。
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堀さんと、たたかいましょう、とこぶしを握りあう。そうです。わたしという存在の扉をすべて開けっぴろげにして、世界と渡り合います。大きな何かに接続を試みます。たたかおう。
≪おまえと世界のたたかいにおいては、世界のほうに味方せよ。≫
≪精神のたたかいにおいて、自と他を分けることの無意味。≫
(フランツ・カフカ)