820note

820製作所/波田野淳紘のノート。

ずっと夢を見ていまもみてる。

2009-05-31 | 生活の周辺。
葬儀は祖母の遺志で、お坊さんも呼ばず、セレモニー・ホールも使わず、花で飾られた実家の和室に棺を置き、ごく近しい者だけがそばで見守る、家族葬というかたちで行われ、入れ替わり立ち替わり、ご近所の方や、久しくお会いしてなかった親類の方々が線香をあげに来てくださり、みなそれぞれの思い出ばなしをして帰っていく。

――おばさん、僕が子どものころ、おばさんは僕を連れて、○○町に住む、三人姉妹のもとに連れていってくれたでしょう。20歳前後のきれいな人たちでした。おばさんはいちばん上のお姉さんと熱心に話しこんでいて、待ってるあいだ双子の妹のほうが、僕とよく遊んでくれました。会うのが楽しみだった。このごろよく思いだすんです。ふしぎな時間でした。夢だったようにも思う。テレビか映画でみたものを勝手に自分の記憶にしているのかもしれない。大人になってから、あれは誰だったんだろう、どうしておばさんは僕を連れてってくれたんだろうって、ずっとふしぎに思ってたんです。あの人たちは誰だったんです。あれは、おばさんの生徒さんだったんですか。
――いいえ、ちがうのよ、あの子たちはね……、

物語が目覚めるような会話を、たくさん聞いた。
叔父の中学からの友人である方が来てくださり、むかしは悪者であったという叔父と、この町のはなしをしていた。青春時代を60年代・70年代の横浜で過ごした人たち。僕はもう物語のなかでしか知らない町。彼らの交わす言葉の端々にそのころの熱気が宿る。あとで、ゴールデンカップスの軌跡を追った記録映画を見せてもらった。なんていう不穏な音だ。ゾクゾクするような格好よさ。いい顔してるなぁ、みんな。ミッキー吉野、悪そうな顔してるなぁ。

叔父夫婦を見て、幸福っていうやつは、日々たゆまずにごまかさずにコツコツと積みあげたものが形をなしているのだなと、当りまえのことを思う。「信じられないような」って形容される幸福は、実はたいしたことないんじゃないかと。宝くじが当たらなくても、互いに支えあうステディや、お姫さまのような娘や、還暦を間近にあだ名で呼びあう40年来の友人と笑いあえる時間を持つほうが、よっぽど大事なことだろう。それでも「信じられないような」ことは起こるし、それを乗り越えるためにはまた、日々の裏で重ねてきたものが必要となるのだな。

報せを受け取ったのは地元の駅の改札を抜けたところで、その足ですぐに病院に向かい、一瞬だけ間にあわなかった。病院の入口にはちょうどタクシーから降りてきたばかりの叔母と従妹がいて、早足で階上にあがり、まだ呼吸器と点滴がつながれたまま横たわる祖母の部屋に案内された。数分のあいだに何人かが遅れて駆けつけた。おおまじめな場面である。化粧と着替えををすませた祖母の顔を、従妹は写メで撮りはじめ、よいアングルを求めてベッドのまわりを回りだし、いまはそういう時代なんだ! と軽くカルチャーショックを受けていたら、祖母の妹は真剣な顔で、この角度がいいわよ、なんて指示出しをしていた。僕はずっと笑ってた。これはもう祖母の人徳。湿っぽくさせないように、なんでもないことのように、周りの者が気を配る。

棺のそばで、ずっと音楽が流れていた。
祖母が好きだったという曲や、叔父が大ファンであるところの南沙織のベスト、あるいは棚に眠っていたクラシックの名曲集。いつか芝居で使ったことのある音楽も流れだした。そういえば、一度だけ僕の出演した芝居を観にきてくれたことがあった。劇の途中、交通事故で死ぬ役。終わったとき、祖母は泣いていた。僕は困って、泣かないで、と言った。泣きながら、あんたがいちばんよかった、と僕の手をとった。そんなわけないよ、と繰り返したが、おばあちゃんが嘘をつくはずがないので、たしかにおれがいちばんよかったんだろう。よかったにちがいない。いちばんよかったおれを観せられてよかった。おれの行く末をいつも気にしていた。大学を卒業するはずの時期に就職も卒業もしていないおれをふしぎそうに見ていた。お骨を持って家に帰るとき、やはり音楽を流して迎えたのだが、それはメロウに濡れたピアノの曲で、やりすぎだと思った。安っぽい下品な曲。泣かせてどうするんだ。遺影も苦笑してるじゃないか。演出家として、ここで流すべきは、忌野清志郎の歌うデイ・ドリーム・ビリーバー。それ以外に考えられない。ただ、もちろん、それも過剰にやりすぎで、どっちにしろ僕は泣くだろう。ありがとう、おばあちゃん。

ぶどうの髪飾り。

2009-05-28 | 生活の周辺。
子どものころ、祖母の家から帰るとき、車の後部座席から、リアガラスの向こう、見送りに立って手を振る祖母のことを、ずっと見ていた。家までの長い距離を走るあいだ、時おり振り返って、後続車の強いライトで目がくらみながら、なんども、もういちどガラスの向こうに祖母の顔を見ようとした。そのとき決まって浮かんでくるのは、おばあちゃんがいつも結わえていた、ぶどうの髪飾り。濃い紫色のぶどうのかたち。戦争のあったころ、祖母にはどうやら許婚の相手がいたようなのだが、でも、僕の祖父となる人と出会い、戦争でたたかうその人の帰りを待ち、待ち続け、結婚をした。好きだったから、あの人じゃなきゃいやだったと、はっきり、誇らしくつぶやいたことを覚えている。祖父が亡くなってから、24年間、ほとんど僕の生きてきた年数だけ、彼女は家族に囲まれながら、彼と過ごした家を守った。二人が出会ったこと、戦争が日々に落とした影のこと、そのなかで射しこんだ光のこと、聞きたいことがいくつもある。いつでも聞けると思っていたし、どんなふうに尋ねたらいいのかわからなかった。僕のことを愛してくれた。たぶん人を殺しても許しただろう。僕にはそのような人がいた。それは誰にも渡せないし、なくすこともない、傷をつけられない幸福であり、僕がまた遠くにつないでいかなければならないものだ。

一つ引くこと。

2009-05-26 | 生活の周辺。
『聖者の行進/reprise』難航中。何かがちがう、このままじゃ追いつけない、と思いながら、夜、加納さんに電話。お願い事をする。ただ、しどろもどろでうまく伝えられない。苦笑する加納さん。ますます舌のもつれる波田野。申し訳ないです。やわらかな言葉で、励まされる。のっちの声を聞いて元気をもらった。もらってばっかりいて、そのことにまた落ち込みそうになり、いよいよ心の状態がおかしい。そうやって落ち込んでしまうことに、また申し訳なさを覚えるという見事な悪循環がはじまりそうになり、ただ、ただありがとうと思う。
萎える、という言葉を見て、ああ、自分はいま萎えているんだと思う。萎えるっていやだね、触れる者の力をすべて、しなしなと吸収してしまうからね。こんなふうに力が折りたたまれていく状態が、去年のこの時期からずっと、もう長いあいだ、続いていたのかもしれない、ずっと舞台が続いていたから、気づかないふりをできたけど。まあ、そういうことだろう。新しいことをしよう。油断せず、同じ轍をふまず、不安に賭け続けること。新しいこと、新しいこと、この世界のヴェールの、新しい剥ぎかた。新しい暴きかた。
自分のなかの新しい声。そこにあったのに気づかなかった声で、ゆっくりと語りだすこと。

情けなくて最低なベイビー。

2009-05-23 | 生活の周辺。
ビデオテープのラベルには「2000年」と書いてあった。野良猫会で足柄へ行ったときの記録である。一人では見れない、と友人は言った。真夜中のリビングで再生すると、なつかしい顔の大写しがあらわれた。そこは夏だった。山の緑がまぶしい。すでにみんな汗をかいている。コテージにたどりつき、横になった。映されているのはほとんど室内の情景だ。まったく覚えていなかったが、二泊三日の旅だったようだ。二日間、部屋のなかの記録しか残っていない。足柄まで行ってなにをしていたんだろう。画面のなかで僕たちはずっと寝ていた。映しているのは僕だ。「寝起きドッキリ」を順繰りに撮ったりした。あとで見て楽しむつもりだったのだろうけど、男の寝起きをドッキリされてもどうだろう。それでも9年前と同じ言葉に笑い、彼らが16才であることにくらくらした。ビデオがだれかの手に渡って、揺れる画面に、まっくろに日焼けした小さな男があらわれた。生涯で初の坊主頭にして、ようやく髪が伸びはじめた頃で、いまよりやや言葉遣いが乱暴であり、驚くほど凶悪な目をしていた。自分がどうしたらいいのかまったくわからないで、とりあえずそうするしかなくて、あはは、うふふと笑っていた。一緒に見ていた友人は「こいつ、誰のことも信じられない目をしてる」としみじみ言った。やがて帰りの時間がやってきた。高校生たちは一言ずつ旅の感想を述べていく。最後に僕の番になり、あろうことか僕は上着をめくり、乳首を見せ、でんぐり返しをした。意味がわからない。一緒に見ていた友人が「……口べたなやつだね」と言った。僕は高校生たちに怒られていた。いまでもやりかねないのが恐ろしい。帰りの電車のなかでパントマイムをしているところが映ってた。壁をつくったりロープをひいたり、電車のなかでなんて迷惑なやつなんだ。どうしようもなく下手だった。青春は痛々しい。自分がほとんど成長していないことを思い知らされた。明け方のリンゴジュースでお腹が痛い。俺はおまえをもうちょっとちゃんと、抱きしめてやりたい。

卵と私とわがままと。

2009-05-21 | 生活の周辺。
俺は一人っ子だった。
両親にとって遅い子だった。我慢を覚えることなくワガママに育った。
中1の時、どういう理由だか忘れたが、ヒロくんから「なんてワガママな野郎だ!」と怒られて以来、極力、ワガママを抑えるようになった。
高校生になってパントマイム部に入った時、どういう理由だか忘れたが、部長の丹羽くんに「はっちゃん、ワガママだっつーの!」と突っ込まれ、「ワガママでなにが悪い」と言い返した。
創作にはワガママを通さなくちゃ突き抜けられない場所がある。ワガママだけではたどり着けない地平もある。演出を担当する者には辛抱強さと我慢強さが求められる。ワガママを貫くだけの知性と説得力が必要となる。

テーブルには6人いて、煮卵は2つしかなかった。
「俺、卵大好きだよ」と言ってみた。本当に俺は、卵が大好きだから。
誰も何も言わなかった。エッジさんを見た。エッジさんは目をそらした。加藤くんは箸をいじくっている。アシベがタバコに火をつけた。カナは泣いていた。覚さんは煮卵のそばの玉ねぎを食べた。
「卵が好きだなぁ」
と、もう一度言った。

「食べれば」とエッジさんがつぶやいた。エッジさんを見た。エッジさんは目をそらせていた。誰も何も言わなかった。
「うん、じゃあ」と加藤くんから箸を奪い、卵をつまんだ。一口だけ食べるつもりだった。だけどしかし想像以上にそれは半熟だった。黄身が漏れる。

「ああ」とアシベが言った。

卵は崩れはじめ、箸から滑り落ちていきそうな様子をみせていた。俺はそれを最後まですすった。

「ああ」とアシベがまた言った。

「主宰だからね」と誰かがが言った。
「この人は演出をするから」

カナが泣き崩れた。覚さんが残ったほうの煮卵をご飯の上で割った。

アシベが歌うようにつぶやいた。
「2つしかなかったのに」
タバコの灰が指にまで届きそうだ。
「この人は1人で1つ食べた」

加藤くんは中日の話をはじめた。エッジさんが瞳を閉じた。カナが宙をにらみ考えこんでいた。覚さんが玉ねぎでご飯を食べていた。俺は取り残された。

創作にはワガママを通さなくちゃ突き抜けられない場所がある。そしてもちろん、ワガママだけではたどり着けない地平がある。

「死守せよ、しかし軽やかに手放せ」と言ったのは誰だったろう。卵はとてもおいしかった。だけどちっともおいしくなかった。

コーヒー&ビスケッツ。

2009-05-19 | 生活の周辺。
このところコーヒーを飲まないと脳みそがぼんやりとしてしまい頭がはたらかない。寝坊して慌てて家を出て、なんだかんだで時間がなくて缶コーヒーすら飲めない場合、夕方になっても意識は寝起きのままだ。立派なカフェイン・ジャンキー。缶コーヒーはRootsがいい。これからどんどん暑い季節になっていくんだなあ。ブラックビスケッツは正しいことを歌ったよ。スタミナもタイミングも欠かせないし大事だよ。

この季節は気を抜くと鬱々としてしまうので『聖者の行進/reprise』の世界のことで頭をいっぱいにしている。もっと俺はロマンチストだったはずだ。あきれるほどのロマンチストだった俺はどこへいったんだ。820製作所の本公演としては『口笛でキスをしよう』以来の正統的ラヴソング。って、ぜんぜん嘘だけどさ。

ひとつの新しい世界へ向かうとき、旅のテーマとなるような曲をいくつか用意するんだ。長いドライブは退屈だからね。それが今回はなかなか見つからない。聖者の行進なんていうタイトルをつけたからには、ジャズのスタンダードナンバーはどうだろうかと思うのだけど、いまひとつピンとこない。遠くへ連れていってくれる音楽となかなか出会えずにいる。イライラするよ。どれもこれもとびきり美しいくせにいまの僕にはまるで関係ないんだから。気がつくと『遊園地跡地』や『izumi あるいは思いだせない夢のはなし』で使用させてもらった、ある人の音楽を聴いている。その響きだけは、目の前の風景を邪魔することなく、ゆっくりと、はっきりと新しい風に溶けていくようだから。ああ、このまま使いたいくらい。でもそれは僕が許さない。きっとその人も許さないだろう。

探しているのはこういう曲。
恋をしている男の子と女の子が、あらゆるお姫さまと王子さまが、世界中のロミオとジュリエットが、ボニーとクライドが、シドとナンシーが、リカとカンチが、のびたくんとしずかちゃんが、すべての物語を演じ終えた二人が、流れることをやめた時間のあとで、エンドロールのその裏で、渇いたくちびるを舌で濡らして、瞳を瞳で隠して、

ばいばい愛してたよベイビー、きっとまたどこかで出会うけど、
きっとまた出会うけど、もう目をつぶるんだよ、
きっと必ず見つけにいくけど、
きっときみを忘れるけど、
出会ったらすぐにわかるんだ、
それがきみじゃなくても、
それがあたしじゃなくても、
出会ったらすぐにわかるのよ、
ほんとうよ、なにもかもを忘れても、
あなたがあたしをまちがえるわけない、
いつの時代だって、どこに隠れていたって、
ねえベイビーあたしたち、離れられるわけないじゃない、

って口ずさみながらまわすレコードには傷がついていて、みょんみょん部屋中に響くから、青いオウムが目を覚ましてこう言うんだ。こいつらさっきからおんなじことばっかり繰り返していやがる。いくら南の生まれでも、これじゃ蒸し焼きになっちまうよ。眠れよい子よ。朝になればいやでも夢からさめるんだ。はぐれた二人も元通りさ。

そんな音楽を知っていたら教えてくれないかな。あるいは、あのね、その、創っていただけないでしょうか。こういうのを無理難題というのでしょうか。

まだはじまっちゃいねえよ。

2009-05-15 | 生活の周辺。
「機関車トーマスになりたい少年」や「武道館を満員にしたいと願う少女」の未来を本当に愛するのであれば、そういうものは夢とは言わないなどとしたり顔で諭すことではなく、意味のない適当なエールを送ることでもなく、「機関車トーマスになるための方法」や「武道館を満員にするために必要なもの」を徹底して、それこそ血を流すほどに徹底して考え抜く経験へと彼らを導き、その答えを自らがつかむための手助けをしてやることが必要なのだ。

『3-4×10月』を観た。題名にまったく惹かれず、しかし『その男、凶暴につき』が貸し出し中だったため、しぶしぶ借りた。傑作だった。ベンガルってこんなに恐い人だったのかという思いと、ガダルカナル・タカってこんなに恐い人だったのかという思いと、やっぱり石田ゆり子は美人だなという思いをすべてぶち壊すように、不機嫌な顔はビール瓶をつかむ。いくつもの銃口があわてて彼に差し向けられる。たけしがあらわれたのだ。黙々と車を蹴っ飛ばすたけしがいる。ぶらさがり健康器で腰を痛めるたけしがいる。笑いながら男にのしかかるたけしがいる。女のあたまをたたき続けるたけしがいる。急に引き鉄をひくたけしがいる。女にまたがって無表情に揺れるたけしがいる。過剰に自然で、過剰に自由で、危うくて、おかしい男がそこにいる。

人に会うことを避け、映画ばかり借りて観ていた時期があったが、そのころに観た映画のことを、ほとんど忘れていることに気づく。筋は覚えてないし、じぶんがなにに心を動かされたかもまったく言葉にできない。目の前を流れていくものにぼうぜんともたれかかっていた。その日々の終わりに観たのが、それで二度目の『キッズ・リターン』だった。
まだはじまっちゃいねえよと言われて、その言葉をなんども口のなかでくりかえして、そうしているじぶんに後ろめたさを感じて、なぜならぼくにはそんなふうに言える相手がいなかったからで、まあそれはそれとして、はじまっちゃいない、と言い切れるほどの力強い物語を、じぶんの生活のなかに持っていない、と思ってた。

でもそれは創るものだ。
少しのふんぎりと、たくさんのあきらめと、いいかげんなユーモアがあれば、いつだって物語を変成し、組み直していくことはできる。奇跡でもなんでもなく、そういう力があたりまえに人間には備わっている。奇跡でもなんでもないが、それはやはり貴いことだ。ここにあるからだから出発する想像力を源にして、ここにいる一人の未来はいかようにも変わり得る。機関車トーマスにはなれないだなんて、誰に言うことができるだろう。なにしろそれはまだはじまっちゃいないのだ。

日々停滞。

2009-05-12 | 生活の周辺。
ブログは情報を発信するためのツールであるらしいので書いておく。あしたは加藤くんが五本指デビューをする。靴下のはなしだ。ちゃんと履けるか心配である。まごまごしちゃうだろうな。脳みそが、しぼんだメレンゲみたいになっていて、心と希望と妄想が萎縮した日々。もろもろ停滞中。そんなときもある。我ながらいい気なもんだ。「負けが一番の修行」と言い切る人のしたたかさ。負けるつもりはないけれど負けたら静かに打たれ越す。

サニー。

2009-05-09 | 生活の周辺。
夏のにおいがしてるじゃないか。青空だ。風がうれしそうだ。樹木に覆われた道をいく。かたわらを過ぎていく虫たちがまるで妖精のようさ。目が悪くなっただけさ。それだっていいさ。妖精はいるのさ。本当にいるのさ。夜な夜な、映像の編集作業をしていた。適材適所、という言葉が頭をぐるぐるまわる。メカニックめ。慣れてしまえば楽しく遊べるのだろうと思うが、その予感はあるのだが、なにしろ俺はメカ音痴だよ。こんな季節は海をみたいよ。海をみていたいんだよ。鎌倉へ、モスクワへ、にぎやかな港の夜へ。

集中がもたない。

2009-05-07 | 生活の周辺。
雨が続く。朝、病院へ。若い看護婦さんがいっぱいで鼻血が出そうだよ。血圧が上がるよ。うへへですよ。お願いしますよ。TSUTAYAで店員に女の子と間違われた。ざまあみろってんだ。髪を切らなくちゃ。血管のなかをずるずると疲れたおじさんが引きずられていくような不快感。気を抜こうね。槍でも鉄砲でも持ってこい。夜、izumi以来ずっと借りっぱなしだったアンプ・シンセサイザー・スタンド諸々を返しにいく。二俣川のサイゼでご飯。ヒロくんが「甘いものは人生の要約だよ」と言う。月の下に雨が降る。