820note

820製作所/波田野淳紘のノート。

夜。

2015-09-26 | メモ。
久しぶりになつかしい友人の夢を見た。
夢のなかでぼくは学校の卒業式に出席していた。中学校だか、高校だか、大学だかわからない。見覚えのない学校の敷地のなかで、心細さと、安堵と、しんとした寂しさのようなものを感じていた。そこへ友人があらわれた。久しぶりだね、とうれしくて、相手の腕をつかむようにして歩きだした(そうだ、ぼくは男どうしで腕をとったり、お尻にさわったりもするような、面倒な男子だった、友人らはよく逃げた)。学校を挟んで、ぼくの家と友人の家は反対の方向にあるようで、いつもは通ることのない、向こう側の通学路を歩んだ。人の流れが森にむかう。ショートカットできる道がそこにあるのだ。うっそうとした森の暗さのなか、起伏の多い土の道をいく。前方には友人がいる。初めての道にまごつくぼくをふり返る。ふと、ここしばらく会えていなかったから、こんな機会に会えてよかったよと伝えようとして、目が覚めた。

目が覚めて、ぼんやりとしていた。寝覚めのいい夢だった。何か知っている感覚だな、と考えて、気がついた、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』だ。宇宙にぽつんと浮かんでいることの寂しさだ。どうしようもなくここにいることの。
その友人はもちろん死んでいない(はずだ)が、ジョバンニとカムパネルラのようにして、ある広大さのなかで隣りあうという経験をもった。

前日の稽古で、別役実さんの戯曲を声に出して読んだ。
別役実さんの創作もすべて、宇宙にぽつんとあることの寂しさに貫かれているとぼくは理解している。触れると消滅してしまいそうな、存在の裏返りそうな、所与のもの。ただしわれわれは、そこからしかものを書きだすことはできないのだろう。



なんであんなに心に蓋をせずに生きられたのだろう。いちばんぐらぐらとして危険な時期に。ぼくはあれからどのようにでこぼこになったんだろう。お酒を飲みたいと思うのはこういう夜なんだ。

こつこつ。

2015-09-16 | メモ。
高見順『敗戦日記』を読む。
ある日の夕方。酒場が軒並み閉まっていて、公営の国民酒場(供給する酒の量が限られていた)の行列に連なったときのこと。
順番が来て酒場の入口へと走りながら「こんな恰好はジャワやビルマの人たちに見せられんね」と述懐し「ひどく惨めな不快な感じだった。なんだか捕虜みたいだ。こういう不快感に無感覚になることが恐ろしい気がせられた。自分がでなく、国民が」。



金のない者は結局、こうして身動きができず、逃れられる災厄からも逃れられないのだ。東京の罹災民は、みんなそれだ。金持はいちはやく疎開して、災厄からまぬがれている。疎開しろ疎開しろと政府から言われ、自分も危険から身を離したいと充分思っていても、金がなければ疎開はできぬ。そして家を焼かれ、生命を失う。--それにしても、私はこの十年、徹夜に徹夜を重ねて稼いだ。書きたくない原稿も書きまくった。そうして今、一文なしなのだ。そうして文士には、いざというとき頼れる会社も役所もない!
(『敗戦日記』高見順)



……もしもわれわれが支配者を選ぶときに、候補者の政治綱領ではなく読書体験を選択の基準にしたならば、この地上の不幸はもっと少なくなるでしょう。
……われわれの支配者となるかも知れない人間にまず尋ねるべきは、外交でどのような路線を取ろうと考えるかということではなく、スタンダールや、ディケンズ、ドストエフスキイにどんな態度をとるかということである――そう私は思います。
(『私人』ヨシフ・ブロツキイ/沼野充義訳)



お前の魂に触れないやうに、
私は自分の魂を何う保てばいいのだ。
(……)
しかしお前と私とに触れる総べてのものは、
二つの絃から一つの声を引出す
弓の摩擦のやうに、我々を一緒に取る。
どんな楽器の上に我々は張られてゐるか。
どんな弾手が我々を手にしてゐるか。
(「恋歌」リルケ/茅野蕭々訳)



「……しかし言葉は、生けるものには、ただ当座の間、貸し与えられているにすぎません。私たちには、ただそれを使うことしかないのです。事実は、言葉は死者と、そしていまだ生れぬものとに属しています。彼らの持ちものであるなら、それは慎重に扱わねばなりません。……」
(『カフカとの対話』G・ヤノーホ/吉田仙太郎訳)



「当時、我々もあらゆる情報を収集して日本外務省にユーゴ空爆の不当性を報告していたんです。これは間違いだと。しかし本省からは梨の礫。痺れを切らして打電したら……」
こう返信が来たという。
「空爆が不当かどうかなど問題ではない。大切なのは日米安保なのだ」
理不尽な戦争ですらプロパガンダ一つで正当化してしまう、巨大情報産業の消費を煽る言葉、官僚が国策のために真実を覆い人道を踏みにじる言葉。果たして文学者の言葉はこれらを超越できるだろうか。
(『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』木村元彦)



わたしはほんとうのことを隠さない。
それに耐えられる魂だけ、わたしのおなかにおいで。
(『氷の海のガレオン』木地雅映子)



劇団員が増えて、定期稽古をはじめて、戯曲を書いて、本を読んで、山奥にいって、ぼくはこんな演劇人になりたかったんだろうかと自問して、さまざまな方とお会いしてお話をして、夏を終えようとしている。むかし公演後のアンケートにどなたかの書かれた「人の生みだした闇は、人の手で払わねばならない」という言葉を思いだしている。