820note

820製作所/波田野淳紘のノート。

メモ。

2019-01-11 | メモ。
文学の最終的な目的――錯乱の中からこうした健康の創造を、あるいはこうした民衆=人民(ピープル)の創出を、つまりは生の可能性を、解き放つこと。欠如しているあの民衆=人民(ピープル)のために書くこと……
(G・ドゥルーズ/守中高明訳「文学と生」『批評と臨床』所収)

我々の地下には長いトンネルがめぐらされていて、僕らは真剣にそうしようと思えば、そして幸運に恵まれれば、どこかで巡り会うことができるのです。
(村上春樹「世界でいちばん気に入った三つの都市」『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』所収)



年末、横浜で、川村さんに短編の戯曲を読んでいただく機会があった。
「わかりやすさより、背後にゴーストが詰まっていることを予感させるのがよい戯曲」と述べておられて、いたく痺れた。



年末年始は胃腸炎で死んでいた。



おととい、7度の演出家の伊藤全記氏と会って、渋谷の街を歩いた。
パスタとピザ。古書店。クリームたっぷりのコーヒーとハーブティー。

工事用フェンスに『AKIRA』の絵が、東京が破壊されるコマが大きく描かれているのを二人で見る。ぼくのリテラシーの問題かもしれないが、フィクションの力が無害化されているようにも感じる。

全記さんの話にいつも揺さぶられる。揺さぶられてばかりではしょうがないと思いながらも、しかし遥か前方を歩いている全記さんの声に励まされる。
彼はとてもシンプルな、もっとも核心である部分を、大切にする。あまりにシンプルだから、人がつい忘れてしまう部分を、厳しく守る。それはむずかしいことだ。ぼくはすぐ流されてしまう。

今度、神保町に行く約束をしてうれしい。