虹色仮面 通信

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我が国の大学発祥地

2017-11-02 07:49:43 | 文化

先日、打ち合わせで神保町へ。

そこの近くに「学士会館」があります。

この建物正面玄関の前に前に「東京大学発祥の地」の石碑が建っています。隣接する説明版には「我が国の大学発祥地(東京大学発祥の地)」と表示されています。東京大学の発祥=我が国の大学の発祥ということ。

江戸時代、五代将軍綱吉は、現在の神田錦町から一ツ橋のあたりに広大な密教の大寺院「筑波山護持院元禄寺」を建立しました。護持院が享保2年(1717)正月の大火で焼失した跡地が「火除地」となり、護持院ケ原と呼ばれました。この広大な空き地は将軍の猟場として使用されていましたが、一般にも解放され庶民の憩いの場になっていました。

その護持ケ原に文久2年(1862)蕃書調所が洋学調所と改称して当地に移り、翌3年開成所と改め、明治2年(1869)大学南校となりました。さらに6年開成学校、7年東京開成学校と改め、明治10年神田和泉町から本郷元富士町に移転していた 東京医学校が合併し東京大学が創立されました。

明治初頭、護持院ケ原は、東京大学のほか東京外国語大学、学習院、一橋大学の発祥の地になっています。
後に、こうした学生たちを相手に書店ができ、世界に類のない神保町書店街が形成されました。

また、それに関わる出版、印刷、製本業発展する一方、私立大学の集積も進み教育・文化の中心地となりました。

戦後、学生の街となった神保町・駿河台一帯の若者達をタ-ゲットにしてスポ-ツ用品店や楽器店も軒を並べるようになりました。

ちょうど、古本まつりの時期で多くの人たちで賑わっていました。