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沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

ゆらゆら帝国で考え中。

2007-10-16 | memories
今週末、「ゆらゆら帝国」が沖縄上陸する。
結成10年で、初の沖縄ライブだ。

ボクが沖縄に来た1998年、彼らはメジャーデビューした。
そのニュースを聞いて、喜び勇んでCDショップへ向かった。

あの坂本慎太郎が、メジャーデビュー!?

1989年の結成以来、約9年の下積み生活。
CDから流れてきた音楽は、衝撃的だった。
「すげえ、完成されている」
坂本ワールドが、確立されている。

今となってはこれだけのカリスマスターだ。
その才能の留まることを、知らない。

       ●

MusicCLIP集が発売されたのでさっそく購入、
デビュー当時から今までの映像を振り返ってみた。

「発光体」の頃は、ボクの知っている坂本慎太郎だった。
ギター小僧で、オタクな印象、そしてあどけない。
しかし、「ラメのパンタロン」からの彼は、
もはやスーパースターのオーラを全身から出している。
背筋もピンとして、威厳がある。

スターを自覚している顔だった。

       ●

1987年、高校3年生のとき、
ボクは「すいどーばた美術学院」の門をたたき、
美術大学受験を公なものとして、自分を追い込んだ。

美術大学を目指す当時の学生や浪人生は、
とにかく個性的で、見る奴見る奴、興味深かった。
自己主張が激しく、それでいて他人を遮断する膜も厚かった。
こわれやすい自我を抱かえて、路頭に迷う、
オオカミの衣を借るこひつじたちだった。

そんな中に、坂本慎太郎もいた。

ストリートスライダースの蘭丸と見まがう風貌。
派手な赤い古着の上着を着て、ひょうひょうと歩いている。
いろんな奴がいたが、彼だけは特別に目立った。

夜間部と昼間部、現役生と浪人生の隔たりはあったが、
夕方に双方が入り交じるベンチの置かれた広場で、ボクは勝手に彼を意識していた。

そして、美術大学へ入学。
いろんな奴が入学式に来ていた。
「すいどーばた」の目立った連中も、多かった。
その年は特に、どばた出身の合格者が多かった…と思う。
坂本慎太郎も、いた。

       ●

大学の4年間は、近つ離れつの距離感で、
お互い刺激し合ったように思う。
ちょうど「イカ天」全盛で、
「フライングキッズ」が在学生だったことも手伝って
学内では音楽がものすごく盛んだった。

坂本慎太郎は、マイペースに自分の世界を構築していた。
突然眉毛を剃ってきて、みんなに笑われても
その後、徹底して眉毛を剃ってきていた。

授業はまじめに参加し、終わったと思ったら
とっとと居なくなった。

       ●

「ゆらゆら帝国」というバンド名で活動を始めたころ、
国分寺のライブハウスに誘われて観に行った。
絶叫する慎太郎と、おどろおどろしいサウンド。
そのギャップを、ボクはおもしろがった。

国分寺の食堂で飯を食った。
訥々と話す、坂本がいた。

その後、音信も不通となり、
ボクもカメラマンアシスタントで
私生活を完全に売り払っていたので、
彼らの活動を気にかける余裕がなかった。

気づいたら、メジャーデビューだ。

あれから約9年。
下積みから18年。
蘭丸から20年。

彼はこうやって確実にワールドを構築し、
どんどん手の届かない存在へとなっている。

ボクはどうだろう。
あいかわらず、うだつも上がらず
毎日がストレスフルで、貧乏揺すりが止まらない。

週末、彼はどんなパフォーマンスで
ボクの前に顕れるのだろう。
ボクは、どのようにそれを受け止め、消化するのだろう。

今から複雑な気持ちだ。







「ゆらゆら帝国」公式サイト

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