#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【清水靖晃】Goldverg Variations 2010

2010-02-27 | ACT!
2月27日土曜日。曇りたまに小雨。
気温ぬるい感じ。空どんより。

錦糸町にあるすみだトリフォニーホールで行われた
清水靖晃&サキソフォネッツの
ゴルドベルグ変奏曲「世界初演」を観に行く。

先週の月曜日には「公開リハーサル」へも足を運ぶ熱の入れようで
今日の「世界初演」に臨んだ訳だけど、
いやあ、モノスゴカッタ。完全に度肝抜かれた。

ゴルドベルグは1990年学生時代にグレングールドの演奏で虜になり、
その後さまざまなピアニストの演奏を聴き込み、それでも飽き足らず、
ギターアレンジやブラスアレンジ、琴アレンジに至るまでバリエーションを広げてみたけれど、
やはりグレングールド以上のポリフォニックな音の連なりまでには届かない感じで、
少々食傷気味だったのだが、今夜の演奏であらためてBachの音楽世界のスケールの大きさに驚かされた。

もともと清水靖晃のCello Suitesには発売当初から
その取り組みに共感を覚えていて(録音場所にこだわるあたりとか)愛聴していたのだけど、
今回、5人のサキソフォンと4人のコントラバスの編成で聴くBachは、完全に違っていた。

まずもってピアノ曲を5人のサキソフォンに編曲するあたりが面白い。
ポリフォニックなパルスを強調するかのように、高音部・中音部・低音部それぞれの旋律を
渡り歩くようなメロディが新たに追加されていたりしていた。

さらに通奏低音としてコントラバスが屋台骨の役割を果たしていたので、
Bachがイメージしていた以上のグルーヴ感が全編を通して波打っていて、心地よかった。

トリフォニーホールがまた素敵な音空間で、吸い付くような無音状態かと思えば、
サキソフォンの倍音の拡がりが伸びやかで、音同士ケンカすることなく、素直に耳に届いた。

「世界初演」にふさわしい空間だった。

      ●

 音楽って、純粋に音そのものとかルックスだけでなくて、
 全体のスペースがいい空気になって、初めて成り立つと思うんですよ。
 空間が醸し出すグッとくる感じとか、ユーモアも必要だと思うし。
 そうした空間の中で、それぞれの国における「バッハの存在」の意味みたいなものを、
 テナーサックスというぼくのフィルターを通して聴いていただく。
 その反応を本番で見るのが、すごく楽しみですね。
                    (清水靖晃インタビュー抜粋)

今回の「世界初演」は、サキソフォンが持つ音の特異性が遺憾なく発揮された演奏だったように思う。

サキソフォンは人間の声に一番近い楽器と言われているが、
音それ自体に多くの倍音を含んでいるからだろう。

ソプラノ・アルト・テナー・バリトンそれぞれの音域で
それぞれ異なる旋律を吹きながらBachのポリフォニックを構成していくのだけど、
倍音と倍音が共鳴してあらたな倍音を産むような重層的な拡がりを持ちつつも、
決して音が濁ることなくピュアなまま重なり合い、
音楽が時間軸だけでなく空間軸にまで構築されていく様を見る思いだった。

倍音の「組み体操」を見ている感じ…と言ったらわかりやすいだろうか?
(体育祭の花形「組み体操」でBachの一音一音をビジュアライズしていく感じ…って?)

テナーが主旋律で前面に出てきた…と思ったら
ソプラノがその前にしゃしゃり出てきて…かと思えば
バリトンの重低音がいつのまにか前者を押しやって主張しだしたり…と。

めまぐるしく音楽の表情が組み替えられる様は、まさに「組み体操」。
それが倍音もふくめて重層的に展開されていくので、
濃厚なワインの味を舌の上で転がし悦しむような愉悦感に満ちあふれた世界だった。

こんなにカラフルなゴルドベルグは、初めて。

もう一度じっくり味わいたい…そんな希有な音楽体験だった。








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【pokke104】GIRL'S REVOLUTION

2010-02-26 | Photo-diary
2月25日。木曜日。
4月中旬の陽気。汗ばむほどの温かさ。
…といっても19度。

沖縄は今頃どのくらいの気温なんだろう。
「朝のお務め」でオフィスの社員の方が出張で行かれたんだろう、
収集している巨大なゴミ箱の中に、なじみのある菓子箱が…。

   【Jimmy's】の赤いロゴ。

「このデザインは大西さんだな」…と
日頃お世話になっていたデザイナーの顔を思い浮かべてほくそ笑む。

まるで昔もらった母からの手紙を見つけたような
ハートウォーミングな気持ちになる。

    いやぁ、温かくなった。

日曜日はまた寒くなるらしいけどね。

      ●

表参道にあるSMOKEへ夜の9時に出向く。
「GIRL'S REVOLUTION」なるイベントで
沖縄のアーティストpokke104さんが
ライブペインティングをするというので、応援に駆けつけた。

pokkeさんと知り合ったのは、1999年。

彼女がまだ高校生だったころ。

au沖縄セルラー電話主催の「CMソングコンテスト」で優勝した
ちえみジョーンズの楽曲を使って60秒のお天気フィラを作った時に、
モデルとして出演してもらったのだ。

当時出来たばかりの「北谷アメリカンビレッジ」をロケーションに
淡い恋心を演じてもらったのを、今でも鮮烈に覚えている。

その後しばらく交わることもなかったのだが、
彼女がアーティストとして県内の雑誌に取り上げられた頃、
ボクの方から「もしかしてあのときの…」とアプローチをかけ、
劇的な再会をしたのが、5年ほど前か。

今じゃあれよあれよ…と彼女はビックアーティストになり、
ボクも東京へ住まいを移す…など、お互いの道を突き進んでいるんだけど、

こうやって表参道のガラス張りの空間で4ヶ月ぶりぐらいに再会すると、
なんだか「沖縄がやってきた!」ような温かい気持ちになった。

SMOKEは、CAT STREET沿いにあるファッションビルの4階にあって、
表参道が一望できるテラス付きの天井高のある粋なレストランバー。

客層も裏原宿系の見るからにカタカナ職業な方々ばかり。

ガールズナイトだから、DJも女の子。
ゲストの大貫憲章氏もワイングラスを傾け、いい感じに酔っている。

自分も自称カメラマンのカタカナ職業だから、
彼らの輪にすんなり溶け込めそうなもんだけど、
いやはや、オーラが違ってて、はじき返される空気充満。
華やかな女性陣とチョイ悪オヤジも業界話に盛り上がっている。
「ああ、原宿渋谷のノリだわなあ」と、鼻白む。

…そんな喧噪の中、pokkeさんは黙々と無心に絵を描いていた。

21時から23時まで2時間ぶっ通しで、ひたすら自分の絵と向き合っている。
その精神力たるや。お見事。
周りの雑音気にせず、イメージした仕上がりへ自分の絵を追い込んでいる。

やり直しのきかないLIVE空間で、
たんたんと筆を進めていく後ろ姿は、凛としていて美しかった。

刻々と変化していく壁画を肴にグラスを傾け、ああだこうだと詮索しながら、
みなそれぞれにpokkeさんの絵を楽しんでいたのは、事実。
やはりパワーが人を魅了するのだろう。

2時間のパフォーマンス、おつかれさまでした。




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【DRY&HEAVY】New Creation

2010-02-24 | MUSIC
【YouTube】New Creation / DRY&HEAVY

One vibe, two voices, three souls
For girls, this generation
One vibes, two voices, three souls
For boys, this generation

People Are You Ready?
Gotta new creation
新しい風を巻き起こそう
If life is dry & heavy
Gotta new creation
未知なる道を切り開こう

In every way it ain't easy
どんなことも容易ではないし
Always dragging you down
悩みや常につきまとう
No way out no one to heal you
出口を見出すことも灯火さえ見当たらない
Waiting a long time mean nothing to you
待っているだけじゃ何も変わらない

Some people stand up
立ち上がる者もいれば
Some people stoop down
ふさぎこむ者も
Some people hang around the corner
様子をうかがっている者もいる

Don't miss the tide, be a creator
機が熟した今こそが前進するとき
This generation, clear your vision
さあ、しっかりと前を見据えて

People are you ready?
だからみんな準備は出来てる?
Gotta new creation
新しい風を巻き起こそう
If life is dry & heavy
未知なる道を切り開こう
Gotta new creation
どんなに険しくても

      ●

今回、オフィシャルというカタチで
リクルマイさんのレコ発LIVEに関わることができて
ホントに感謝している。

Don't miss the tide, Be a Creator!
機は熟した。さあ、前進するとき!

そんなステキな気持ちにさせてくれた。
外池さん、マイさんはじめ、みなさんをRespect!

この気持ちはあらためて書こうと思う。
なによりReggaeとの出会いに感謝!



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【bozzo】牡蠣に当たる

2010-02-22 | Photo-diary
2月22日。ゾロ目の月曜日。
週末は2つのブライダル研修が入り、
身も心もボロボロに疲れたからか…
金曜日の夜に食べた牡蠣が当たってしまった。

「食あたり」ってやつだ。

金曜から潜伏期間を2日おいて日曜日の午後。
時限爆弾のように突然ムカムカ…と湧き上がってくる感じで、
身体中の筋肉が弛緩し、ドロッとだるくなって…
あれよあれよ…と思っていたら、カラダ中寒気に襲われた。

胃の上のほうが、ぐるぐる言い始め、
吐き気が周期的にめぐってくる。

口に指を突っ込んで無理矢理吐こうとするが、
吐き慣れていないので、要領を得ない。
⇒何しろ「食あたり」なんて初めての経験だ。

七転八倒し、8時間。

熱は9度近くまで達し、
このままでは月曜日の「お務め」もお休みしかねない…と
解熱剤を飲むために…とにかく胃になにかを入れよう。
お粥を無理矢理…腹に押し込んで、ものの数分…。

逆噴射とはこのことか!

突然backfireのごとく吐き気がうなぎのぼりで口まで達し、
吐瀉!吐瀉!吐瀉!吐瀉!吐瀉!吐瀉!吐瀉!吐瀉!吐瀉!

おお、お見事な吐瀉物の山!!!!!

口を潤すポカリスウェットと朝食べたパスタしか胃に入っていなかったのだが、
そのすべてがお粥の誘因剤によって、見事に吐瀉された。

…と、胃が波打っているのがわかる。
…ま…た…来た!
吐瀉!吐瀉!吐瀉!吐瀉!吐瀉!吐瀉!吐瀉!吐瀉!吐瀉!

こんなに繰り返し吐いたのは、高校生以来だ。
ドバドバドバドバとバキュームカーが汚物を垂れ流すように、
口があいたまま、ひたすら吐瀉物が流れ落ちた。

吐くだけで、一苦労だ。

すると、今までのムカムカも一緒に吐いたようで、
カラダ全体が心持ちすっきりしたような気になっている。
…熱も軽くなったか?

人間のカラダって、ホントに正直だ。

病に冒されるということは、このような苦しみと共生するってこと。
「牡蠣に当たる」ことで、成人病の疑似体験をさせてもらった。
なんといっても、この不快感を伴って生きるのは、ただただツライ。

それでも爆弾を秘めて生きているヒトが、この世には沢山居る。

なんだかその気持ちがちょっとだけわかったような気がした。

…ということで、今日は病み上がり。
 もう、寝なくては。



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【bozzo】築地市場

2010-02-20 | works
2月19日。金曜日。
×印を座席表に書き込む「ビル清掃」を
今日は早めに切り上げて、都営大江戸線で「築地市場」へ。

ある不動産の販売パンフに環境写真として入れ込みたいので、
威勢の良い早朝の築地の様子を撮ってきて欲しい…。

仙台デザイナー時代にお世話になった広告代理店からのご依頼。

「築地」以外にも「銀座」「汐留」「浜離宮」…と
販売される不動産の周辺環境を撮影する。

だから先々週は「ビル清掃」⇒大江戸線⇒「築地」ルートがレギュラーだった。
通い詰めてみるとますますその魅力に取り憑かれる。

10時過ぎにはお目当ての寿司屋の前に黒山の人だかり。
「食」が生きる基本だということに改めて思い知らされる。

たしかにシャリが旨い。ネタが旨い。味噌汁が旨い。

「光りモノ」の脂ノリと言ったら!
口の中でとろける…とろける。

これだけのネタが毎日取引されているのだから、
あるところには、あるはずだよね(^^)/。

朝の5時から築地市場のセリは始まる。
さすがにその時間は部外者は入れない。
8時頃から仲卸業者のお店が競り買ったサカナの販売を始めるので、
その時間を見計らって侵入する。

近頃は観光化され、外国人に人気のスポットとなったため、
市場への出入りは厳しくなったようだ。
⇒ストラップやサカナのぬいぐるみなど築地グッズを販売するお店もある。

場内の入り口ではターレと呼ばれる
小回りの利くトラックが敷地内を縦横無尽に走り回っている。

その様は、巨大な働きバチのようだ。

花弁で集めた蜜を、自分たちの住処へ運ぼうと躍起になっているような勢いで
大量のターレが、場内場外へ何台も何台も出入りしている。

とにかく市場内は慌ただしい。

カメラを構えて集中してると、「ジャマ!ジャマ!」とどやされる始末。
ターレのお兄ちゃんに蹴飛ばされてしまいそうな緊迫した空気だ。

仕事場に勝手におジャマして、写真を撮ってるんだから、
そりゃ気に喰わない存在だろう。

目立たないように…目立たないように…と息を殺していても、
魚屋のお兄ちゃんたちは、ドでかい防水エプロンに長靴、タオルの鉢巻き。
サカナの生き血がカラダに飛び散ったような血気盛んな出で立ちなのである。

包丁のスケールだって、もはや「意味わからん」状態。

1メートル以上ある刀のような包丁から、
マグロの「かま」をえぐる鎌のような包丁まで、
あらゆる刃物が散在していた。

敵に回ったら、イチコロ。

とにかく「築地」は面白い。
「日本の台所」と呼ばれる場所なだけある。




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【Dub IT!】Likkle Mai レコ発LIVE@LiquidRoom

2010-02-17 | PHOTO
2月12日。金曜日。
恵比寿LIQUIDROOMへ。

元Dry&Heavyリクルマイさんのレコ発LIVEの
オフィシャルフォトを任される。

その錚々たる顔ぶれたるや。

01.Yossy Little Noise Weaver
02.The HEAVY MANNERS
03.Little Tempo
04.LIKKLE MAI
05.RSD(Rob Smith Dub)
06.KILLA SISTA
07.MIGHTY TWO
あいだをつなぐ大石幸司(littletempo)のセレクションDJ…

21時から06時までオールナイトのDub漬けである。

結果として、終了したのが朝の7時。
しかし疲れを感じさせない白熱したステージだった。

ただいま1000枚以上の写真を編集中。
追って順次紹介していきたい。

いやあ、濃厚。




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【Vinicius de Moraes】A felicidade

2010-02-17 | MUSIC
【YouTube】Orfeu Negro 1959

Tristeza nao tem fim, felicidade sim.
悲しみには終わりがない、幸せには終わりがある。

A felicidade e´ como a pluma que o vento vai levando pelo ar
幸せは風が運ぶ羽のよう。
Voa tao leve mas tem a vida breve precisa que haja vento sem parar
その命は短く、風がなければ落ちてしまう。
A felicidade do pobre parece a grande ilusao do carnaval,
貧しき者の幸せは、カーニバルの幻影のよう。
A gente trabalha o ano inteiro por um momento de sonho, pra fazer a fantasia
一瞬の幻想に身をゆだねるために、私たちは1年中働く。
De rei, ou de pirata, ou de jardineira e tudo se acabar na quarta feira
王や姫、海賊に扮した幻想、そしてすべては水曜日に終わる。
   

Tristeza nao tem fim, felicidade sim
悲しみには終わりがない、幸せには終わりがある。
   
A felicidade e´ como a gota de orvalho numa pe´tala de flor
幸せは花びらの中の一粒の朝露のよう。
Brilha tranqu¨ila depois de leve oscila e cai como uma la´grima de amor
静かに輝き、かすかに震え、愛の涙のように滑り落ちる。
A minha felicidade esta´ sonhando nos olhos da minha namorada
私の幸せは愛する人の瞳の中で、夢見ている、
E´ como esta noite passando, passando em busca da madrugada
足早に今宵は過ぎる、夜明けを求めて。
Falem baixo por favor pra que ela acorde alegre com o dia
どうぞ、静かに話して。彼女が白昼に喜びで目覚めるように。
Oferecendo beijos de amor
愛の口づけを求めて。

Tristeza nao tem fim
悲しみには終わりがない。

      ●

カーニバルの朝、それは水曜日の朝。

  貧しき者の幸せは、カーニバルの幻影のよう。
  一瞬の幻想に身をゆだねるために、私たちは1年中働く。
  王や姫、海賊に扮した幻想、そしてすべては水曜日に終わる。

映画冒頭のサンバのリズムが、結末を予感させる。

  だいたい、いつもそうさ。

キチガイみたいに馬鹿騒ぎしたあとには、必ず
取り返しのつかない哀しい出来事が、起こる。

  悲しみには終わりがない。

そうだ、サヨナラだけが人生だ。
人間は常に何かを喪いながら生きているんだ。

だからこそ、
taunt me,and hurt me,decceive me,desert me 
なじるがいい、傷つけるがいい、欺くがいい、見捨てるがいい…と
自虐的な「愛」に身も心も捧げてしまえるんだ。 (by Cole Porter)

【YouTube】So in Love / Caetane Veloso

「あなたになりたい」「死ぬまであたしはあなたのもの…」
そんな勘違いも美徳になるほど、ヒトの一生は、儚いのだから。

…そう。カーニバルの朝の、燦々とした太陽がすべてをゆるしてくれるさ。






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【Djavan】Sina

2010-02-16 | MUSIC
【YouTube】Djavan e Caetano Veloso - "Sina" (TV Globo, 1983)

Pai e mãe (父と母)
Ouro de mina(埋もれた黄金)
Coração(こころ), desejo e sina(希望と宿命)
Tudo mais pura rotina(その他はみな形どおりの習慣にすぎない)

jazz...
Tocarei seu nome pra poder (あなたの名前をそれにのせて)
falar de amor(愛の話が)
Minha princesa (できるように)
art nuveau(アールヌーヴォー)
Da natureza(自然の芸術)
Tudo mais Pura Beleza(その他はすべてただの美しさにすぎない)

jazz...
A luz de um grande prazer(大きな快楽の光には)
É irremediável néon(もう手の施しようがないネオン)
Quando o grito do prazer(快楽の叫びが)
Açoitar o ar reveillon(空気をむち打つとき…ハイライト…)

 O luar(月光)
 estrela do mar(海の星)
 o sol e o dom(太陽と天分)
 Quiçá um dia (たぶんいつの日か)
 a fúria(恐れが)
 desse front(あの前線から)
 Virá(やってくるだろう)
 lapidar o sonho (夢を磨くために)
 até gerar o som(ひびきを生み出すために)
 Como querer caetanear o que há de bom
 (どうしてそんなにカエターノ風にしたがるんだい?)

      ●

今日はRIOの謝肉祭、最終日。
【YouTube】Grupo Revelação - Sina (Ao Vivo no Morro)

Brazil行きてええ。







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【黒田なつ子】Yokohama Dance Colection R

2010-02-16 | ACT!
2月11日。
どんよりとした重たい雲が覆う建国記念日、
今にも雨が降りそうな中、関内から赤レンガ倉庫までの長い道のりを、
カメラを背負って歩く。

今日は横浜ダンスコレクションR2010
ショーケースで黒田なつ子さんが踊ると聞いて、
念願の撮影を果たすべく足を運んだ。

10時からのリハーサル、昼過ぎからの2回の本番…と
貴重な撮影機会が3度も与えられ、
なんとしてもあのダンスを収めたい!と意気込むのだけど、

今回撮影してみて、あらためてダンス撮影の難しさを実感。

全体を捉えるとダンスのキレが喪われ、説明的なものに陥るのだけど、
寄って捉えてしまうとポージングをどこで切り取るが重要となり、
捉えた四肢が果たしてダンサーの意を得たものであったか…が問われる。

そして何より、ダンスは時間との勝負だ。

暗がりの中、拘束衣のようなシャッター音を押さえる器具をボディにつけ、
さらに厚手の防寒具を頭からかぶり、レンズ越しの限られた視界の中で、
ダンサーの動きを追いかける。

上手から下手へ…と瞬時に変わるダンサーを執拗に追いかけながら
シャッターを押す。ピントと露出を確認する余裕はない…ただひたすらシャッターを押す。

当然、予想していた写真は収まっていなく、愕然とした気持ちになる。

それでもカメラで捉えたいと願うのは、
ダンサーたちの一瞬にかける鍛えられた肉体が
ただ、ただ美しい…から。

全日本舞台写真家協会の塚田洋一さんとご一緒させてもらった。

そんな協会があること自体、知らなかったが、
塚田さんの、肉食動物が獲物を捕らえるがごとくshootする…
その撮影スタイルに、感服。

にわか写真家のbozzo、見た目からして「肉食」に程遠いのだ。

      ●

で、黒田さんのダンス。
座・高円寺で前回行われた「MilkyWay」を4人のダンサーが進化させたカタチで、
その宇宙観がよりダイナミックに披露された。

衣装といい、音楽といい、4人のコンビネーションといい、
ダンス初心者には度肝を抜かれる刺激的なステージ。

踊っているほうも、キレを研ぎ澄ませて来た…とあって、見応え十分だった。

今回のショーケースは出演者全員がとてもレベルが高く、
そのダンススタイルは驚きの連続。

写真にしかと定着できない自分が歯がゆかった。
研鑽の毎日…で、いつかボクも「肉食系」男子に…と誓う。



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【Csetano Veloso】Sampa

2010-02-15 | MUSIC
【YouTube】Caetano Veloso / Sampa

心の中でなにかが起こる
イピランガとサン・ジョアン大通りの角を横切ると
つまりこの町へ来たばかりの頃は
ボクにはなにもわからなかった
街角が詠うガチガチの抽象派の詩も
娘たちの地味な不格好さの意味も

ボクにはまだ リタ・リーもなければ
そのもっとも完璧な解釈もなかった
心の中でなにかが起こる
イピランガとサン・ジョアン大通りの角を横切ると


この町に面と向かった時
ボクは自分の顔を見なかった
趣味が悪いと口に出して言った
悪趣味なものは悪趣味だと
つまり ナルシスが
鏡以外のものは醜く思うのと同じコト
思考は脅かす
完全に老いてしまってはいないものを

僕らが変異種でない時
以前にそうではなかったものはいずれも
おまえは最初 むずかしかった
知らないものは 遠ざけてしまうボクにとって
都会の幸せな夢を思い描いて来る者は
じきにおまえを現実と呼ぶようになる
なぜならおまえは 逆のまた逆
逆の逆だから


搾取され 長蛇の列に場末の町に貧困窟に
押し込まれている人々の
美しいものを賛美しつつ破壊する
カネの力の
量を消してしまう酷いスモッグの
逆の逆だから
開けた野から 空間から
おまえの詩が立ち昇るのが見える
おまえの森の工場が
降りしきる雨の神々が

理想のアフリカの汎アメリカ
サンパの世界の理想
より可能性があるのは 新たなズンビのキロンボか
ノーヴォス・バイアーノスが
おまえの霧雨の中を散歩する
彼らにも おまえを楽しむことは
できるのさ

     ●

「おまえ」とあるのは、ブラジル「サン・パウロ」のこと。

東京から詩は立ち上がっているのか…。
否、日本からは?沖縄からは?

成熟した街でありながらも、詩が似合わない現代都市「東京」。
先週はダンスやライブパフォーマンスで
さまざまな表現を見てきたけど、まだまだサブカル的な勢い。
もっともっと自覚的な東京人が増えてもいい…と思う。

沖縄はその点、詩が立ち上がっているんだけど、なぜか無自覚。
…だから芸能になってしまってる。…そんな気がする。





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【中上健次】十九歳の地図

2010-02-15 | Photo-diary
2月15日。月曜日。雨のち雪か。
凍えるような寒さが続く。
徒らに冷気ばかり吹き荒れ、四十の身体の節々が痛む。
…また雪になる…のか。それは本当か。

4時起きの「お務め」も1ヶ月が過ぎた。

たかが1ヶ月、されど1ヶ月。
始発通いもひと月続くと、それとなく顔見知りもでき、
なんとなく疎んじられる気配が伝わってきたり…する。

こちらも楽しくて始発に乗り込んでいるわけではないので、
そんな空気を感じても意に介さず、毎日同じ列車に乗り込むのだけど、
こんな微妙な人間関係も築けるようになったのか…と
1ヶ月継続の力を思い知る。

      ●

ビル清掃も同じコトが云えて、
1ヶ月反復横跳びを繰り返すように、
一フロア200席近い机のゴミを毎日集めていると、
主は見えねども、主の性癖がゴミから伝わってきて、

「この部長は紙の分別もできねえで、よく部下を従えられたもんだ」とか
「カンやペットボトルは所定のゴミ箱があるだろうに」とか
「だから、喰いカスは生ゴミ処理してもらわないと…こちらも困るんだよ」などと

朝日を拝む前から、ブチブチ心の中でつぶやいたり切れたりしている。

バレンタインデー明けの月曜日。
予想通り机のゴミ箱には様々なチョコの包みが無造作に捨てられていて、

「田中さんの毎日を陰ながら応援しています。がんばってください」とか
「室長の働く姿勢にはいつも感服しております。レイコ」とか
「あなたの時間を少しだけワタシにください。美佳♥」などと

チョコの空き箱に添えて、ご丁寧に手書きのお手紙まで放り込んである。

ま、そのほとんどは行きつけのスナックかバーの「商売女」からのもので
同じ筆跡のお手紙が部長と室長と役員室のゴミ箱から出てきたりする。

一流企業の人間だから「夜のお勤め」もお盛んなんだろうけど、
まあその空き箱の量たるや。モロゾフからゴディバからメリーズから…
それはそれは、お見事なものだ。

      ●

 部屋の中は窓も入り口の扉もしめきられているのに奇妙に寒くて、このままにしているとぼくの
 体のなにからなにまで凍えてしまう気がした。ぼくはうつぶせになって机の上に置いてある物理
 のノートに書いた地図に×印をつけた。いま×印をつけた家には庭に貧血ぎみの赤いサルビアの
 花が植えられており、一度集金に行ったとき、その家の女がでてくるのがおそかったので、ぼく
 は花を真上から踏みつけすりつぶした。道をまっすぐいった先に、バラック建てがそのまま老い
 朽ちたようなつぎはぎした板が白くみえる家で、老婆が頭にかさぶたをつくったやせた子供をつ
 れてでこぼこの土間にでてきた時も、ぼくは胸がむかつき、古井戸のそばになれなれしく近寄っ
 た褐色のふとった犬の腹を思いきり蹴ってやった。しかしぼくはバラックの家には×をつけなか
 った。それが唯一のぼくの施しだと思えばよい。貧乏や、貧乏人などみるのもいやだ。
                               〈「十九歳の地図」中上健次 〉

住み込みの新聞配達をなりわいにした十九歳の予備校生が、
持ち場の配達エリアで気に入らないお宅があると、自前の地図に×印を入れ、
「きさまのとこは三重×だからな、覚悟しろ」…とおどしの電話を入れる話。

この荒み切ったストーリーに高校生のボクは衝撃を受け、今に至っている。
振り返ってみれば、この衝撃から立ち位置は変わっていない…気がする。
「40歳の地図」よろしくオフィスビルの座席表に…「こいつは今日も×だ」と
書き込んでいるようなもんだ。

なにがそんなに憎いのか。
己自身、こんなにも恵まれた境遇だっていうのに。

 これが人生ってやつだ、とぼくは思った。
 氷のつぶのような涙がころがるように出てき、ぼくはそれを指でぬぐった。ぼくはそんな自分の
 仕草が紺野のまねをしているように思えて、無理にグスっと鼻で笑った。不意に、ぼくの体の中
 心部にあった固く結晶したなにかが溶けてしまったように、眼の奥からさらさらしたあたたかい
 涙がながれだした。ぼくはとめどなく流れだすぬくもった涙に恍惚となりながら、立っていた。
 なんどもなんども死んだあけど生きてるのよお、声ががらんとした体の中でひびきあっているの
 を感じた。眼からあふれている涙が、体の中いっぱいにたまればよいと思いながら、電話ボック
 スのそばの歩道で、ぼくは白痴の新聞配達になってただ突っ立って、声を出さずに泣いているのだった。

ストーリーの後半、予備校生が手当たり次第に配達先のお宅に電話を掛け、
「だから、おれは、おまえみたいなやつがこの世にいることが気持ちわるくって耐えられない」と
罵詈雑言を吐き、とにかく片っ端から在らぬ言葉をふっかけ、受話器を置いた瞬間、
体の中がからっぽになり、不意に、「ぬくもった涙」があふれてくるシーン。

このカタルシスを得たいが為に、ボクはこんな立ち位置で、今日もブログを更新している。
何かが決定的に欠落している。「血は立ったまま眠っている」だなんて、
ほざけた純潔に共鳴して、結局のところ社会にコミットできない蓮っ葉でしかないのだ。

いつまでも「十九歳」の感受性を保持してるだなんて、ええかげんにしろ…である。















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【Tom Jobim】Ligia

2010-02-06 | Photo-diary
 君を夢見たことはない
 Eu nunca sonhei com você
 今まで映画を観た事がない
 Nunca fui ao cinema
 サンバは好きじゃないし イパネマには行かない
 Não gosto de samba não vou a Ipanema
 雨降りは好きじゃないし 太陽も気にいらない
 Não gosto de chuva nem gosto de sol

 君に電話したことはないし 僕の知るかぎりでは試したことがない
 E quando eu lhe telefonei, desliguei foi engano
 わざわざ恋なんて愚かなこと
 O seu nome não sei
 しようと思ったこともない
 Esquecí no piano as bobagens de amor
 誰かが君に告げるようにはね
 Que eu iria dizer, não ... Lígia Lígia

 穏やかな昼下がり
 Eu nunca quis tê-la ao meu lado
 手を繋ぎ君と出掛ける
 Num fim de semana
 コパカバーナのバーで冷えたビールを
 Um chopp gelado em Copacabana
 レブロンまで海辺を歩く
 Andar pela praia até o Leblon

 僕は夢中になったことはない これまでも
 E quando eu me apaixonei
 君と結婚するかもしれないなんて
 Não passou de ilusão, o seu nome rasguei
 避けられない問題として  僕はひどい痛みに苛まれることになるだろう
 Fiz um samba canção das mentiras de amor
 最後に君を失うから
 Que aprendí com você É ... Lígia Lígia

 僕は苦しむことになる
 最後に君を失う酷い痛みに

 Lyric by Chico Buarque

【YouTube】Ligia / Tom Jobim

      ●

2月6日、土曜日。
肌寒くも陽光が心地よく差し込む朝。

昨日は東京ビッグサイトで展示会撤去のバイト。
ここは冷凍庫か…と思うような、凍てつく潮風が吹きすさぶ。

カラダの芯まで冷たくなって、
ひもじい気持ちで新木場の駅から自転車で帰る。

夜中の明治通り、静まりかえった夢の島の倉庫地帯。
凍えた不惑のオトコの背中に、追い討ちの夜風の洗礼。

…世間は容赦ない。

せめて心だけでもあったまろうと
ipodでお気に入りのトランペッター五十嵐一生を聴く。

      ●

流れてきたのは「LIGIA」。
アントニオ・カルロス・ジョビン+シコ・ブアルキの名曲。

シーンとした国道で、ボクの耳からミュートの音が漏れる。

♪穏やかな昼下がり 手を繋ぎ君と出掛ける
 コパカバーナのバーで冷えたビールを レブロンまで海辺を歩く

頭の中にブラジルの陽差しが差し込んでくる…。

南国の甘い旋律、君との恋…。そよ風に揺れる椰子の木。
片手にはビールの小瓶…甘い香りがただようビーチで、
手をつないで、そぞろ歩き。

「…あああ、そうだった。」
寒空の下で、南国の記憶をひもとく。

イギリス人の友だちは今頃、
ブラジルの光の中、
カポエイラのリズムに身体を撓らせているだろう。

…トロっと、涙が心の中であふれる。

違和感とか異和感とか、言葉を紡いで
いろいろ考えをまとめようとしていたけど、
そうなんだよ、この充足の時…。

太陽に溶け込むような、地球との一体感。

音楽の旋律ひとつで、こんなにも呼応しあえる。

…ああ、がんばろう…。

この一瞬の至福のときを求めて、
ボクは呼吸し、生きている。

Jobim、すばらしいよ、あなたは。

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【島尾敏雄】違和感と異和感(2)

2010-02-04 | memories
柴田元幸氏サリンジャー追悼記事の一節に触れて以来、
頭の中が悶々としていた。言葉にならない「違和感」への〈異和〉感だ。

その間「朝のお務め」を繰り返し、
予約していた歯医者へ行って、思考(歯垢)のクリーニングも施しながら、
雲間の晴れるのを今か今かと待っていた。

ま、こんな時は本人の著作を読んでみるのが一番…と
地元の城東図書館へ行ってサリンジャーの文献でも漁ろうかと本棚を巡っていたら、

…吉本隆明氏の「島尾敏雄」論と鉢合わせた。

サリンジャーから島尾敏雄(吉本隆明)へ。
アメリカと日本の同時代の作家。

島尾敏雄   1917年04月18日生まれ。
サリンジャー 1919年01月01日生まれ。91歳。
吉本隆明   1924年11月25日生まれ。85歳。

島尾敏雄も生きていれば93歳だ。まさに同時代の作家たち。
この3人に横たわる史実といえば、「The World War 2」。

      ●

島尾は1944年に第一回魚雷艇学生となり、特攻要員として奄美諸島加計呂麻島へ送り出される。
そして、特攻出撃の瞬間に立ち会いながらも赴くことなく、1945年敗戦を迎えた。

同じくサリンジャーも1944年ドイツノルマンディー上陸作戦への一兵士として激戦地に送られ、
ドイツ降伏後は神経衰弱となり、ニュルンベルクの陸軍総合病院に入院する。

どちらも「わたし」の死を覚悟し、「世界」を正面から受け止め、
…そして裏切られた、極限の精神世界を体験している。

「わたし」と「世界」との関係が、相思相愛の均衡を保ったカタチではなく、
自分の意志とは無関係のところで抛擲され、なじられる。
いっそのこと「死」を成就させてくれればいいようなものの、
「世界」は「わたし」をそのまま放置して、行ってしまう。

…その時、「わたし」は悟る。

「わたし」が今居る「世界」は、「わたし」のあるなしに関わらず存続しつづけている…という事実。

  なにかが突然やってくるかも知れないという認識は、この「世界」に生きて遭遇する事件の契機が
  「わたし」の側に由来するものと、「世界」の側に由来するものとふたつあり、
  このふたつはそれぞれ別個の系列に属しているということに目覚めることを意味している。
  「わたし」が「わたし」という系列をこの「世界」から選べば、
  「世界」のほうも「わたし」とかかわりのない系列から「わたし」に出会うにちがいないのだ。
                                  〈「島尾敏雄」吉本隆明著〉

      ●

「わたし」が描く「世界」の幻想と、「世界」が描く「わたし」の幻想と。
柴田氏の一節は、この「生きる違和感」を指している…とボクは考えた。

      ●

ふたつの幻想(吉本氏は別個の系列…と表現しているが)を近づけるべく、
「わたし」たちは常日頃から意識的に「世界」につながることを怠らない。

TwitterをはじめとするSocial Networkは、その最たるものだろう。

しかし、その〈異和〉を薄めること(「世界」に寄り添うこと)は出来ても、
〈異和〉そのものを呑み込むことは決して出来ない。

…なぜなら「わたし」は「世界」とは別の次元で存在するからである。

村上春樹の傑作「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」は、
その「わたし」と「世界」の位相をひとつにまとめた話だ。

「わたし」の頭の中に「世界」が横たわり、
「世界」の消滅を「わたし」が掌握する。

結局、「世界」ってなんだろう。
「わたし」が滅してしまえば、そこから先は〈異和〉もへったくれもありゃしない。

「世界」と張り合って「わたし」を深めようとアイデンティティへ固執したところで、
「わたし」は「世界」を呑み込むことはできないし、「世界」を終わらせることは出来ないのだ。

この〈異和〉とは、生涯付き合うしかないのだ。

「やれやれ。…またくだらない自家撞着に陥っている。」




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【J.D.Salinger】違和感と異和感(1)

2010-02-04 | memories
02月04日。木曜日。
雪が降ってからというもの、
冷気がそのまま地面にへばりついているようで、
…夜明け前は、イカレた寒さだ。

縮み上がった股間を押さえながら、
始発に乗り込むべく息を切らせる出勤ダッシュ。
…ギリギリセーフが尋常になっている。

本日は「朝のお務め」後、ブライダルフォト会社へ。

求められている写真のズレを指摘され、
抜本的な意識改革に取り組まねば…と、というか、、、
基本的な撮影技術のなさに我ながら呆れかえる。

これから毎週研修を行います…というありがたいお言葉。
見捨てられないよう、研鑽を積まねば。

      ●

1月27日ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー(Jerome David Salinger)
老衰のため死去、享年91歳。…との報道が29日付夕刊の一面に掲載された。

その後、翻訳家柴田元幸氏の追悼記事~「生きる違和感」に普遍性~が1日付朝刊に掲載された。

その記事の一節がボクの中のおざなりだった原体験を目覚めさせ、
以来、ずーっと引っかかっている。

  ありていにいえば、自分がいまここにこうして在ることへの違和感・苛立ちといった、
  むろん若者にありがちではあれ、決して若者占有ではない相当に一般的な思いが、
  「キャッチャー」や「ナインストーリーズ」のせわしない、自意識過剰気味の語りを通して
  伝わってくるのではないか。アイデンティティの確立などと世にいうが、アイデンティティ
  とは要するにそういった違和感を覆い隠すための物語に過ぎないとも云える。
 
  サリンジャーの登場人物たちは、そうした物語が今一つ定かでない人間として、
  無防備な姿をさらしている。いかに生きるべきか、という問いに対し彼らは何の答えも持っていない。
  
この一節は柴田氏が一番言いたいところだったのだと思うのだけれど、
この「違和感」という感覚とアイデンティティを結びつけたところで、
…ボクは引っかかってしまった。

おぉ、まさにその「違和感」が、ボクの迷走の原動力だし、
「アイデンティティ=個性」への固執はその「違和感」の昇華でしかない。

おぉ、だからまさにボクは自身の延長としてホールデン・コールフィールドの感情を受け取ったし、
彼の一挙手一投足を嬉々として受け入れ、その反骨に有頂天となった。




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【TOKYO】…ついに雪。

2010-02-01 | Photo-diary
2月1日。月曜日。
信じられないことだが、
窓を開けると闇夜が仄明るい。

…大きな牡丹雪が、深々と降っている。

見ているだけで、寒気が背中に伝わってくる。
明日の朝4時にはどのような景色が広がっているのだろう。
大きな不安と密かな期待。

一面の銀世界の中で
日輪を拝めるのであれば、
それはそれで、厳かな気持ちになれる。

…まあ、しかし、東京に来てこう早くも雪に恵まれるとは。
 嬉しい限りだ。

      ●

今日は昼から浅草東洋館へ。
浅草演芸ホールと同じ建物の4階にある、漫才専門の寄席ホール。

4時間みっちり15分間隔で18組の漫才オンパレード。
中入りの10分休憩を入れても、相当なもんだ。

寄席で漫才を観る経験も初めてだが、
これだけ長時間にわたって人の話を聞くのも
初めてかもしれない。

それで、はたして面白かったのか?…(T_T)。

なにしろ社団法人漫才協会がこの東洋館を取り仕切っていて、
東京の漫才普及を目指しているらしく、どちらかといえば見事な王道漫才。

それでも客席は満杯で、大半がツアー客・60歳平均の爺婆ではあったけど、
会場は笑いを求める熱気に包まれていて、それなりに楽しめた。

ベタなコンビ、「春風こうた・ふくた」は、
お二人が楽しんでやってる感じが伝わってきて、こちらもほんわか気分になれたし、
賛助出演…つまりゲスト扱いの「東京ガールズ」
江戸情緒あふれる三味線と唄で「お座敷芸」を披露してくれ、
当時の笑いはきっとこんな感じ…と思わせるぐらい、グッときた。

そして最後の「ナイツ」は、
さすが「売れっ子」…笑いのツボを押さえていて、ボケ・ツッコミが軽妙で心底笑えた。
彼らはこの社団法人を背負って立つ稼ぎ頭に違いない。

外は雪になろう…という空模様にもかかわらず、
演芸を4時間たっぷり堪能していた…だなんて、
あいかわらずのフリーランスぶり。
本人も「あんぐり」開いた口が締まらない。



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