#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【sep_29】大泉高校1987

2011-11-30 | memories
24年ぶりの再会!
大泉高校1987年のメンバ-。

高校生の面影は
どこにもないけど、
気持ちはいつでも
24年前に戻れるから、
不思議なもんだ。

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【nov_27】Season's Greeting

2011-11-28 | Photo-diary
昨日は椿山荘フォーシーズンズホテルで
ブライダルの撮影。

ホテルは荘厳で格調ある
カトリックなクリスマスの装い。

こんな住宅街に
森閑と趣きのある佇まいをみせている。

フロントにあった聖夜をイメージしたジオラマ。
「 Halujah(主をほめたたえよ)」の言葉が
ぴったりとくる絵だったので、小賢しくも文字を配した。

12月の3連休は久々の被災地。
「サンタが100人やってきた!」
プロジェクトで記録係として入る。

GW以来の陸前高田をしかとこの眼で確認したい。
震災はまだ終わっていない…という事実を。

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【nov_24】bozzo by AKI

2011-11-26 | ART
会場でAKIさんが描いた、カメラを持つbozzo。

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【nov_24】ハナ

2011-11-26 | ART
トーベンさんとAKIさんのライブコラボ。
40分のあいだにAKIさんが描いたのは、なんとその愛犬ハナ。

トーベンさんのアルバムタイトルにまでなっている「ハナ」は
残念ながら天に召されたらしいのだけれど、

久々の再会の結実に「ハナ」を描くAKIさんの温かさに、
ボクは心打たれてしまった。

そんな交歓に会場もハートウォーミング。

最後はひょっこりひょうたん島で
AKIさんも歌った。
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【nov_24】湯川トーベン

2011-11-26 | ART
湯川トーベンさん。
子供ばんどのベーシスト。
今は自身のユニットやスタジオミュージシャンとして
多方面で活躍されている。

子供ばんどといえば「サマータイムブルース」をよく歌ったもんだけど、
娘さんが湯川潮音さんとは…。後日知った。

AKIさんが絵を描いているヨコで
終始マイペースにギターを奏でるトーベンさん。
「天ぷらと月見」とか「食パンとミルク」とか
思いのままに歌をつないでいる。
でもその揺るぎないスタンスが、聴く者を魅了する。

このハナって楽曲は、愛犬ハナに捧げた曲だと思うのだけど、
どこまでもピュアな音のつらなりが、森閑とした安らぎを与えてくれて、
トーベンさんの懐の深さを感じるのだ。
そして、その心は潮音さんにしっかり引き継がれているのだなぁと、思った。

写真のTシャツはAKIさん画。
ツアーノベルティとして以前販売し、
瞬く間に完売。トーベンさんもお気に入り。
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【nov_24】AKI Live Painting

2011-11-26 | ART
でまえあーとだいがく」を終えたその足で
世田谷にあるボランティアセンターで行われた
AKIさんのライブペインティング会場へ。

10年以上交流を深めている湯川トーベンさんとAKIさんの
久々のライブペインティングと聞いて駆けつける。

14歳の頃からのAKIさんを知るトーベンさんとあって
AKIさんも終始なごやかに筆を運んでいた。

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【関口光太郎】海が好きな男

2011-11-25 | ART
でまえあーとだいがく」にて講師である関口光太郎さんを紹介するにあたって、
本人が入場とともに持ち込んだ作品「海が好きな男」。

こどもたちよりも大きな、迫力のあるこんな作品を見せられたら、
一挙にテンションも上がる。ワクワク度もヒートUP。
これ全部新聞紙とガムテープで創ったんだよ…と言われると、
「ぼくにもできそう」ってことになるから、素敵。

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【nov_24】でまえあーとだいがく

2011-11-25 | ART
24日は朝から神奈川県藤沢市にある善行小学校にて
多摩美校友会主催の「でまえあーとだいがく」の撮影。

「出前アート大学」は多摩美術大学の卒業生ができる社会貢献事業として2004年からはじまった出張型授業。
学校教育で図工や美術の時間が減少(!)している中、
子ども達にアートの楽しさ、創る喜びをともに体験したい…という願いから生まれたもの。

39回目の今回は講師に彫刻家の関口光太郎さんを迎え、
1年2組26名のこどもたちと新聞紙やガムテープを使って
巨大な「しんぶんかいじゅう」を制作。

ボクはその記録係として今回初参加。

はじける笑顔の無垢なこどもたちに
終始こちらもはじけっぱなし。
テンションの高い5時限授業だった。


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【Tom Waits】San Diego Serenade

2011-11-19 | memories
Never saw the morning till stayed up all night
夜どおしおきてでもいなけりゃ朝なんてお目にかかったこともなかった
Never saw the sunshine till you turned out the light
お前が愛の灯をともすまで太陽さえ見たことがなかった
Never saw my hometown till I stayed away too long
ずっと離れて暮らしてみるまで故郷があることにも気づかなかった
And I never heard the melody, till I needed a song
唄が必要になるまでメロディさえ聞いたことがなかった

Never saw the white line, till I was leaving you behind
おまえを残して旅立つまで白い線なんか見たことがなかった
Never knew I needed you till I was caught up in a bind
退屈でしかたなくなるまでおまえを恋しいと思ったことさえなかった
And I never spoke 'I love you' till I cursed you in vain,
おまえの名を口にするまで“愛してる”とさえいったこともなかった
Never felt my heartstrings till I nearly went insane
気が狂いそうになるまで心の糸に触れてみたこともなかった

Never saw the east coast till I move to the west
西部に行ってみるまでイースト・コースとさえ見たことがなかった
Never saw the moonlight till it shone off your breast
おまえの胸が映しだされるまで月の光も見たことがなかった
And I never saw your heart till someone tried to steal it away
誰かが奪っていこうとするまでおまえの心さえ見えていなかった
Never saw your tears till they rolled down your face
おまえの頬が濡れるまで涙というものさえ知らなかった

And I never saw the morning till stayed up all night
夜どおしおきてでもいなけりゃ朝なんてお目にかかったこともなかった
Never saw the sunshine till you turned out the light
お前が愛の灯をともすまで太陽さえ見たことがなかった
Never saw my hometown till I stayed away too long
ずっと離れて暮らしてみるまで故郷があることにも気づかなかった
Never heard the melody, till I needed a song
唄が必要になるまでメロディさえ聞いたことがなかった

Tom Waits/San Diego Serenade

25年ぶりに高校時代の友人と再会。

25年経たないと語られないコトがある。
25年前を知らないと、言えないことがある。
25年前は、いつもこの歌声があった。
Tom Waitsが、今日は心に沁みる。










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【胎内】花岡金吾

2011-11-16 | PHOTO
おなじく「胎内」花岡金吾役、我らが竹田有汰くん。
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【胎内】村子

2011-11-16 | PHOTO
同じく「胎内」村子役、田嶋真弓さん。
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【胎内】佐山富夫

2011-11-16 | PHOTO
新国立劇場演劇研修生第四期修了生3人による
International Student Drama Festivalエントリー企画

「胎内」作:三好十郎

の公演チラシ撮影にて。

佐山富夫役の今井聡さん。

前回のリーディング公演、近代能楽集「邯鄲」では
主役の次郎を演じてすばらしかった。

今回も期待。

公演は3月上旬予定。
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【nov_09】過去を書き換えるように未来を書き込んでいく

2011-11-09 | Photo-diary
過去を書き換えたところでたしかにそれほどの意味はあるまい、と天吾は実感する。
年上のガールフレンドの指摘するとおりだ。彼女は正しい。
過去をどれほど熱心に綿密に書き換えても、現在自分が置かれている状況の大筋が
変化することはないだろう。時間というものは、
人為的な変更を片っ端からキャンセルしていくだけの強い力を持っている。
それは加えられた訂正に、さらなる訂正を上書きして、流れを元通りに直していくに違いない。
多少の細かい事実が変更されることはあるにせよ、結局のところ天吾という人間は
どこまで行っても天吾でしかない。

天吾がやらなくてはならないのはおそらく、現在という十字路に立って
過去を誠実に見つめ、過去を書き換えるように未来を書き込んでいくことだ。
…それよりほかに道はない。

                    (1Q84 BOOK2 p97/村上春樹)


この文節は示唆に富んでいる。
ボク個人の問題として過去を振り返り、
誠実に見つめ、過去を書き換えるように未来を書き込んでいくことは
自省の念として心がけることではあるのだけれど、

この文節を個人個人が引き受けることで人間の未来はまた違った輝きになるのではないか…と、思わずにはいられない。

図書館の予約が回ってきて(なんと1534番目!)2009年発行の「1Q84」にやっと今頃ありついたのだけれど、
村上春樹が一貫して説いている「過去を慮る」「不可避な運命を請け負う」ことがやはり今回も語られていて、
震災後のニッポン人は今こそ立ち止まって熟考すべきではないかと、思うのだ。

しかし、どうも立ち止まることができない、らしい。

それはおそらく資本主義経済にイニシエーションされてしまっているからだと。
常にエンジンが回っていて、生産と破壊を繰り返していないと落ち着かない。
その循環に身を任せていれば、考える必要がない…からだとも言える。

しかし、ちょっと待て。

明らかに資本主義経済は破綻の道をひた走っている。
なぜか。それは未来の資産を食いつぶしてエンジンを回しているから、だ。

黎明期、ひとびとは、発展は右肩上がりに果てしなく続くものだと想定した。
だから利子というものを設け、未来の資産を前借りすることを思いついた。
未来は現在よりも「豊か」になっているはずだから、その余剰を今使って発展を加速させよう…と。

急激な食いつぶしで、文字通り急激な発展がもたらされた。
欲が欲を産み、発展に発展が重なった。

その煽動を買って出たのは、政治家たち。
民衆の欲求をあおり票を集め、その欲を充たすべく多額の予算を土地にもたらした。
富を分配することが「政治」だと、誰もが思い上がった。

成熟期、ひとびとの思惑は見事に外れ、右肩上がりの発展が失速しだした。
発展を想定した予算はどんどん目減りし、国債を背負い込むことで急場をしのいだ。
循環が滞り出すとあらゆる歪みが露呈しだし、問題が噴き出した。
「刷新だ!改革だ!」とマニフェストを掲げ、新たな政治家があらわれ、
さらなる国債を抱え込み、「正しい発展」を約束した。

そこで大地を揺るがす天災が起こった。

ひとびとの営みを濁流は根こそぎ破壊し、替わりにひとの手に余る放射能をまき散らした。
そういった意味では「天罰」であるかもしれない。(おまえが言うなって話だけど)

天災から8ヶ月が経とうとしている今、
性懲りもなく政治家は「現在」の欲求ばかりを満たそうとしている。

 現在という十字路に立って過去を誠実に見つめ、
 過去を書き換えるように未来を書き込んでいくこと。

それはつまり、循環を滞りなく進めることではなくて、
一度立ち止まって、手にあるカードを卓上に並べ、
「今はこういう不完全な状況だ。みなさんの協力が必要だ」と訥々と語り、

目指すべき未来はこのようなビジョンだから…と、
ひとりひとりが未来を引き受け、犠牲を払うところは潔く払い、
苦慮するところはしっかり請負えるようにすること。

そのためには「対話」が必要。
「間違いだった」と認めることも必要。
そしてなにより「覚悟」が必要なんだと思う。

ここが正念場なんだけどねえ。






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【池袋鈴ん小屋】里アンナ

2011-11-06 | MUSIC
最後は奄美大島の歌姫、里アンナさん。

ギター1本の伴奏とは思えない華やかさ。
声の質なのか、音域の広さなのか、音圧によるものなのか。

それまでの奏者がどちらかというと
ココロに沁み入るような音楽であったとすると、
里さんはココロを充たすような、押しの強さがあった。

善し悪しは好みで分かれるところだし、
その華やかさは天性のものを感じたのではあるけど、

工業製品の輝きばかりが目に付いて
工芸品の趨きまでは至らなかったように思う。

それでも工業製品は確実にニーズが高く、
工芸品は大量生産できない弱みもあるのだが。

しかし音楽の良さは、奏者の生き様が写し出されるところにあると
撮影する際はいつも心がけて構えるのだけど、

たとえば三上寛さんのような時間の堆積と熟成から芳じられる音楽とは
対極にある音楽だと、ボクには映った。


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【池袋鈴ん小屋】二羽高次

2011-11-06 | MUSIC
二羽高次さん。
オフィシャルホームページが完成。
bozzoの写真がふんだんに使われている。


いきなり江戸時代の民謡を生唄のみで16分聴かせ、
その後「会津磐梯山」へ…と民謡だけで前半をつなげた。

自分のルーツとの共鳴をめざしているような
その展開に、なにやら光を見たような思い。

絞り出すような歌い方にも、燻し銀の輝きが付加されたような、
後光さえ見えそうな佇まい。

西麻布新世界と池袋鈴ん小屋。
一週間に2つのステージを堪能したのだけれど、
そのどしりとした存在感には、地に足の着いた歌い手の自信がみえる。

「二羽高次」の今後に目が離せない。

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