#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【夕暮れな気分】Google的民主主義

2006-09-30 | Photo-diary
「Google」が元気だ。
10の100乗という意味のグーグルが登場したのは98年。
米スタンフォード大学の学生2人がガレージで立ち上げた会社も、
2005年度には、売上高61億3900万ドルの怪物会社に成長した。

世界の頭脳を集めたIT集団「Google」は
『ビジネスを忘れ、剣を情報に置き換えた民主主義革命に殉ずるべし』と、
世界中のあらゆる情報を整理し、そして誰もがそれを簡単に検索できるように
日夜、アイディアをひねり、カタチにする努力を重ねている。

その成果が「Google Map」であり「Google Earth」である。

世界中の衛星写真を隙間なくつなぎ合わせ、
ひとつの球体にしてしまおう…という発想のスケールがまず怖ろしいが、
その地図上にある、あらゆる情報を広くユーザーから募る…といった姿勢がすばらしい。

全世界のネットユーザーが、次々と身近な情報を地図にインプットし、情報を公開する。
その情報が次の情報を呼び、その蓄積の積み重ねがとんでもないスケールとなって
「2006年度版 地球ガイドブック」を産んだ。

情報を独占し、その権利でもって世界を牛耳ろうとする考えではなく、
情報を共有し、そのつながりで情報のストリームを生み出そう…とする考え方。

まさにGoogle的民主主義だ。

インターネット上に広がるこういった数の力が、
世界の次なる新しい局面を提示している…。

上から下へと頭ごなしの支配を目論む、限られた人間だけの支配政治が、
コミュニティの横のつながりから産まれる、市民革命に転覆させられる可能性も出てきた。

次なるGoogleの動きは「Google Book Search」。
これは世界中のあらゆる本をスキャンして、
本の中身を検索できるようにしたもの。

そのデータベースの基礎となる本のスキャニング数が、何千万冊…といった
天文学的な数字になっているから、そのネットワーク力は半端じゃない。

世界中のあらゆる本をスキャンして、検索できるようにしよう…
という地道な取り組みが、「知の開放」を促進し、
地球規模の一大市民革命とつながることを…期待したい。

…これはもう、クーデターだ。














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【夕暮れな気分】Be Yourself

2006-09-29 | memories
最近「オーラの泉」の総集編を見た。
美輪明宏と江原啓之が、ゲストの「前世」や「守護霊」を語るあの番組である。

基本的に、この手の番組はあまり見ないのだが、
(⇒胡散臭い…と思いながらも信じてしまう自分がいる)
やはり、見入ってしまった。

美輪が説く。
「あなたね、こんな親に生まれたからって言うけどね、
 人間、すべて自分で決めて生まれてくるのよ。」
江原が続く。
「子どもは親を選んで生まれてきます。あなたが親を選ぶんです。」

…ごもっともだと思った。

        ●

また昔話で恐縮だが、
大学4年のころ、ボクはSHINEなるバンドに在籍していた。
博報堂のアートディレクターが結成したレゲエバンドである。
自主制作だがシングルCDも1000枚ほどプレスした。

そのCDの1曲めが「Be Yourself」というタイトルの曲だった。
ボーカルであり、リーダーである遠山晋一の思いの丈がカタチになった曲だ。

  ♪なにもかも 偶然なものはこの世にナイ ナイ
  ♪おまえが選び おまえが起こし おまえが呼びよせてるのさ。

   Cool down Cool down まわりを見なよ いつものおまえが選んだコトばかりさ
   Cool down Cool down 気がついたなら ほんとに生きるコトを始めてみなよ

  ♪誰のせいでもナイ ナイ 何のせいでもナイ ナイ
  ♪おまえ自身が選ぶ エラブ エラブ 選んでみれば わかる

  ♪Be Yourself! ♪Be Yourself! ♪Be Yourself!
♪おまえ自身のコトさ



すべての事象は、偶然ではなく必然だ。
だから自分自身に責任を持て!

…ふと周りを見渡すと、自分がいろんな人間と関わってきたことに気づく。
 そして、いろんな人間を選んできたことにも、気づかされる。

短い人生の中で、
どれだけの人間と深い関わりを持てるか…と考えたとき、
ホントの意味で「深い付き合い」のできる人間は、ごくわずかだ。

その巡り合わせの不思議と、
それを選択した自分の不思議を思う。

…そう考えていくと、周りの人間がみな愛おしくなってくる。

22歳で「Be Yourself」に出会った自分に感謝。
人生は、誠に尊い。





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【夕暮れな気分】Glenn GouldのBach

2006-09-29 | memories
沖縄もすっかり秋めいてしまった。
…といっても日中はいまだに30度を超す暑さではあるのだけど。

朝夕、とくに朝方のひんやりとした感じは、
見事に「秋」である。

夏の盛りが過ぎてしまうと、とたんに寂しくなる。
興が冷めて、ひとり佇む…そんな気分だ。

心の奥もなんだかセンチメンタル。
そんな時は、ひとりピアノ曲で悦に入る。

        ●

ころころと旋律を転がるBachに耳を傾ける。
…Glenn Gouldだ。

カナダはトロントで生まれた孤高のピアニスト。
1932年9月25日生ー1982年10月4日没。享年50歳。
ボクは彼のBachで、浄化された…と言っていい。

大学を卒業して2年後、ボクは建築カメラマンの事務所に
アシスタントとして就職する。

倉俣史朗に育てられ、田原桂一と下宿を共にしていたこともある…
ちょうど「団塊の世代」といわれる時代のカメラマンの事務所である。

今にして思えば、ものすごい巨匠なのだが、
マンツーマンでカメラマンと対峙するのが、
ボクにはものすごく苦痛であった。

建築写真の撮影は、太陽とともに動き、太陽とともに終える。

だから、やたらと朝が早い。
始発で渋谷区神泉の事務所まで向かい、
夏は8時頃、帰宅。

酒池肉林の渋谷スクランブル交差点を尻目に
すたすたと帰宅する毎日。

どうやらかなりストレスが溜まっていたらしい。

毎日のように、Glenn Gouldに心酔し、
いつしかBachを弾きたい!…と思うまでになってしまった。

神田神保町の楽器店で小さな電子ピアノを購入。
夜な夜なピアノ譜とにらめっこしながら、
Bachの対位法と格闘した。

まずは右手で主旋律を記憶する。
楽譜が読めないので、とにかくカラダになじむまで
主旋律をたたきこむ。

それから左手。
これも同じようにGouldをお手本に
流れるようになるまで弾きまくった。

そして、最後に両手を合わせてみる。
当然、右手が疎かになったり、左手が疎かになったりする。
そんなときは、オルゴールの回転する歯を思い描きながら、
右手と左手のタイミングをアタマでイメージして、弾いた。

とにかく、すべてがガチガチだ。
アタマの中で回転するシリンダーに操られるように、
右手の中指が動き、左手の薬指が動いた。
ものすごくスローなので、全然Bachに聞こえない。

それでもひとつひとつの動きをカラダに染みこませ、
夜な夜な同じことを繰り返しているうちに、…ひ、弾けるようになった。

奇跡だと思った。

それと同時に、「為せば成る」のだ…とも思った。
これだけの思いを抱かせてくれた音楽の力に、感謝した。
ピアノを弾きたい!と思わせたGouldに、この演奏を聴かせたい…と思った。

        ●

強烈な思い入れでピアノを弾いていた3年間。
レパートリーは10曲ぐらいまでふくれあがり、
調子にのって、友人の結婚式ではBachのカツラをかぶって弾いたりもした。

その思いもいつの間にか薄れ、
かつてのレパートリーは見事に再現不可能な状態だ。

でも、あのときの強烈な感動は、
今でも滾々と湧き上がってくる。

乾いた心をひたひたと潤してくれる。

Glenn GouldのBachは、ボクに生きる力を与えてくれたのだ。


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週末は「イイ意味で空っぽの状態」

2006-09-26 | BOOKS&MOVIES
バンドも集大成ともいえるライブを終え、
それなりの反響を受けることができた。

撮り溜めていた写真群も、
自分なりのフィルターで再構築し、
一冊の写真集として、応募も終えた。

ある意味、自分を追い込んで絞り込み、表出する作業を終えた訳だ。

何かしらカタチに出来たことは
ボクにとってプラスになった。

今は枯渇した自分にいっぱいの栄養を与え、新たな実りを創出したいと
…「イイ意味での空っぽの状態」になっている。

次なる目標へ向かって
新たな自分を表出していきたい。

     ●

そんな時に「イッセー尾形」の舞台を観に行った。

圧倒された。
過去3回、彼の舞台を観てきて、
毎回圧倒されてはいるのだが、
今回も圧倒されてしまった。

人物描写が、さらに細かくなっていた。
この人物なら、こんなところにこだわるだろう…
この人物なら、こんなところが嫌になるだろう…
この人物なら、ここが笑いのツボだろう…
そんな創造力に、磨きがかかり、
立体的にキャラクターが浮かび上がってきた。

25年目の集大成。
「お笑いスター誕生」で衝撃の登場を果たしてから、
沖縄でワークショップを開くまで25年間、
「イッセー尾形」は自分の道を切り開いてきた。

ものすごいパワーだ。

クリエイティブってそういうことだ。
「イイ意味での空っぽの状態」なボクには
特上の栄養剤を注がれた気がした。

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MY ARCHITECT ~ルイス・I・カーンを探して~

2006-09-22 | BOOKS&MOVIES
Dry & Heavyのキーボーディスト外池満広が
「建築のためのサウンド・トラック」なるものを
リリースしていたのを今知って、とても興味を覚えているが、

ルイス・I・カーンの建築群を巡る
父親探しの映画「MY ARCHITECT」も必見だ。

1974年3月に、身元不明死体として
ペンシルバニアの駅で発見されたルイス・I・カーン。
彼の唯一の息子であるナサニエル・カーンが
自らのルーツを辿るべく、父親像を探す旅に出る。

ナサニエルは、ルイス2人目の愛人パティソンとの間に産まれた子。
だから、父親としてのルイスをあまり深く理解できていなかったのだろう。
まして、20世紀が誇る現代建築の巨匠である。
そんな人物を父親と持ってしまった息子の苦悩は、計り知れない。

ナサニエルは、そんな不遇を好奇心に変換し、
父親が設計したあらゆる建築物を時系列で辿ってみる。



     それは息をのむ瞬間の連続だった。



建築物が、こんなにも荘厳で、己の哲学を表出していて、
それでいて、こんなにも懐の深い、慈愛の空間を配している…だなんて…。

映像だけでも、その空間の張り詰めた空気が伝わってくる。
ナサニエルの鼓動が、ビシビシと画面からこぼれてくる。

クリエイティブの最たるものとして
父親がつくった三次元の構造物を体感する…というのは、
畏れ多いことだと、想像できる。

建築のスゴイところは、その振幅の大きさだ。
タテヨコの大きな構造と、ドアノブの小さなディテールまで
余すことなく建築家の目が行き届いている…それが建築なのだ。

クリエイティビティが遺憾なく発揮された
それらの建築物は、もはや父親そのものである。
父親の精神<スピリット>が充溢しているのだ。

その空間に入ることはすなわち、父に抱かれているに等しい。

「キンベル美術館」(1972)の間接的に天井を照らすやわらかい光に、父親の慈悲を感じる。

「バングラデシュ国会議事堂」(1974)の壮大な宇宙に、父親の精神力の強さを知る。

しかし、この映画を見て知ったのだが、
ルイス・I・カーンは、かなりの大器晩成型だということだ。
ルイスを世に知らしめることとなった「イエール大学アート・ギャラリー」(1951)は、50歳の時の作品。
ルイス真骨頂と言われる「ソーク生物学研究所」(1965)は、64歳の時の作品。
74年まで残り10年。

歴史背景とユダヤ人であったことが、
50歳までの不毛の時間を、ルイスに与えてしまった…とのことだったが、
それにしても、74歳にして絶好調のクリエイティビティだと感心してしまう。

    デザインに興味がある人、アーチストとして生きる人は見るべきだ。
    建築家がかくも切なく、人間的で理想主義者でいられることを
    ルイス・カーンの中に見て励まされかつ自信を持つだろう。
    素材との会話の下りはこの建築家の中に神様を感じる。
              黒崎 輝男(流石創造集団株式会社 C.E.O.)


Revueの一節。
しかし、創造者(アーティスト)として、
これほどまで人を圧倒させてくれる人物は、そういない。



MY ARCHITECT
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Donのポートレイト

2006-09-22 | Photo-diary
Donである。
Bassistである。
イイ写真だと、思う。

本人も意外に気に入るかもしれない。
承諾なしでの掲出も、快く許してくれるだろう。

こんな笑顔で
実はとんでもない感覚を備えている。

彼の音楽知識は、無尽蔵だ。

また、言葉が巧みなので、
音に対する分析能力がずば抜けている。
もはや、ひれ伏すしかない。

今度の10月1日に行われるオクマフェスト2006には、
Dry&HeavyでAudio Activeの七尾茂大さんと
ステキなDrum'n'Bassを聴かせてくれるらしい。

とても濃厚なDUBだということだ。
日曜日の夜に、オクマの軍用ビーチで、スーパーDUB。
これだから、沖縄の音楽シーンは、わからない。

Dry & Heavy

AUDIO ACTIVE
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EPSONカラーイメージングコンテスト

2006-09-22 | PHOTO
今月20日が応募締切だった
EPSONカラーイメージングコンテスト。

まずは有言実行。

なんとか32枚の写真をセレクトし、
連休の2日をまるまる使って、
自分なりの写真集を制作、製本し、応募することができた。

セレクトから出力、製本までの
紆余曲折が、かなりの無理がかかった作業だったが、
撮りっぱなしでは、成長しないとの信念で、
なんとか再構築することに成功した…と思う。

お題は【予兆】だ。

以下、制作意図をそのまま引用する。

     ●

写真行為は、撮影された時点で、その時間を封じ込める。
被写体は、一点の時間に凝縮され、平面に固定される。
封じ込められた時間の、その先の未来は、
「予兆」としてわずかに、刻まれるのみである。

つまり、写真は過去の集積だ。
連綿と続く過去の集合体だ。

しかし、裏を返せば、
過去の「予兆」の断片群とも言えるのである。

写真を過去と見るか、未来への符牒と見るか。

私はこの写真群に通奏される「予兆」を引き出し、
すぐ先に続く未来へ、メッセージを送りたかった。

舞台がなぜ沖縄なのか…。
それは、日本の辺境だからである。

辺境から発せられる普遍的な「予兆」を感じて欲しい。

     ●

自己完結な制作意図だが、
編纂された写真群から
何かしらの「違和感」を感じてもらえれば「マル」だろう。

結果発表は12月中旬。

次回はCanon写真新世紀も挑戦したい。




EPSONカラーイメージングコンテスト
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もはや八方塞がり…なのか

2006-09-22 | Photo-diary

引っ越し先のネット回線問題で、途方に暮れている。

もはや壊滅的な状況である。

言葉にして説明するのも
呆れるぐらいの危機的状況なのだ。

     ●

まず7月15日に転居を済ました。
その際、KDDIとのやりとりで
先方の移転工事請負会社が連絡を怠ったため、
回線移転まであと1ヶ月かかることを知らされる。

     ●

その後、書類の手続きが滞った…などの理由で
さらに、1ヶ月の遅延を宣告され、完全にキレる。
お客様満足度No.1!…などよく言えたものだと、呆れてしまう。

     ●

そして、昨日。
KDDIから一通の圧着ハガキが…。
なにやら不吉な予感。

書面にはこう記してあった。
⇒お客様がお住まいの地域は、残念ながらADSLを引くことができません。
 なので、取引を中止させていただきました。ご了承ください。

…なぜ?意味がわからない。

この2ヶ月間、KDDIは何をしていたのだ?
なぜ、今頃になって回線の不具合が露呈するのだろう?

…電話で確認することに。

オペレーターが言うには、
基本的にKDDIはNTTの回線を借りて商売をしているので、
お客様からの書類が完全に揃った段階から、はじめてNTTとの
回線交渉に入る…という。
それまでは、KDDIでは回線状況の把握は行っておらず、
結果的に2ヶ月後の取引中止申請となってしまった…とのこと。

あまりにもお粗末で、開いた口が塞がらない。

完全な代理業務ということか。

     ●

とにかく、KDDIでは回線が引けないことが明らかとなり、
なんのために仁義を通してあげていたのか…と
はらわたが煮えくり返ったが(仕事の恩義をauに感じていたからなのだが)
インターネットが通らないまま…というのは、
あまりにも問題だから、
早速、地元通信会社で沖縄電力グループのOTNetへ。

     ●

ここでもまた、問題発生。

なんだか、呪われているようだ。

聞くところによると、
今の住居は5階建ての5階なため、
カテゴリー的には
マンション共有の光回線となってしまうらしい。

そうすると、マンション内の8世帯が
光回線導入にOKでなければ、
回線を引くことはできない…ということらしい。

補足⇒KDDIがADSLを断念した理由は
   自宅周辺地域の電話線が一部銅線ではないため、
   ADSLを引くことができない…ということだった。
   つまり、一部光回線のみの地域があるということ。
   であるから、光回線を引くしか選択肢はない。

     ●

こうなったら、素直にNTTと掛け合うしかなさそうだ。
あまりのお粗末さに、呆れてしまう。

新都心と言われる地域に住みながら、
回線問題でこんなに振り回されるとは、思わなかった。



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歪んだ朝

2006-09-21 | PHOTO
朝からminiDigiを首に下げて出勤。
行き交う人にシャッターを切る。

さっそく取り込んで、びっくり(T_T)。

シャッタースピードが遅いのか、
画像処理能力が遅いのか、
写真がすべて、歪んでいる。

なるほど。
「歪んだ朝」というわけね。

安倍新政権で、日本も歪んできたか。
タイの軍事クーデターを見倣うか。
     (……バンコクに住む友人を心配してみる…。)

なんとも複雑な朝の雰囲気。

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0917南国ドロップスFLEXライヴ

2006-09-19 | Photo-diary
3連休中日の日曜日、
心配していた台風直撃もなく、
北谷のFLEXにて南国ドロップスが
ひさびさのライブを行った。

CD発売も目前に控えた
脱皮したドロップスは、
どのように映ったのだろうか?

観客の反応は?

…みなさんじっくり座って聴いている。
腕を上げて踊らせる音楽を目指しているドロップスとしては
全体的に客を乗せる余裕がなかったかもしれない。

もっとwelcomeに、
客の腰を浮かすような柔軟なカタチで
音楽を操れるようになれば、本物だろう。

その辺が課題。

写真は新しく購入した
RollieのminiDigi。
ほとんどオモチャのノリだけど、
被写体の反応がいいので、
結構面白い写真が撮れるかもしれない。

なにより、小さいのが、イイ(^^;)。


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mixiと南国ドロップス

2006-09-15 | MUSIC
ソーシャルネットワークサービスmixiが上場を果たした。
予想通りの反響が、東京証券取引所では起こったらしい。

570万ユーザー、64億月間viewと化け物のコミュニティサイトだが、
ブロードバンドユーザーが2800万ほどいることを考えると、
mixiはまだまだ成長期にあると言えるのだろう。

実際、まわりの人間でユーザー登録されている人間が
どの程度いるか…と問われると、約3分の1程度だろうか?

しかし「南国ドロップス」は、そのメンバーのほとんどがユーザーである。
面白いぐらい電子コミュニケーション好きのバンドだったりする。

練習時間などの周知情報はメールで一斉同報。
楽曲に対するディベートは電子掲示板。
意見交換はmixiのコミュニティ…と
インターネットをフル活用してたりする。

珍しいバンドなのだ。

今週末の日曜日は北谷のFLEXで久々のライブである。
海岸沿いの南国情緒ある場所で、気持ちよくグルーヴしたい。
夜8時ライブスタート!


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【予兆その10】2006-08-29

2006-09-12 | PHOTO
であれば、これはなんの予兆なのか?

写真は時間を切り取る作業なので、
フレーミングされたモノは常に予兆を孕んでいる。

であるから、この写真も予兆だらけではあるのだが、
いったいどんな予兆が読み取れるであろうか?

「老い」と言ってもいいのだろうか?

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【予兆その9】2006-08-29

2006-09-12 | PHOTO
高速道路のパーキングエリア内の一コマ。

まさにこの写真も予兆。

生理的欲求のはけ口であるPAで
クルマを降り、トイレに駆け込み、空腹を満たす。

すべてがストレートに欲求を表出している。
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【予兆その8】2006-08-29

2006-09-12 | PHOTO
男と女の関係も予兆が含まれている。

「出会い」が多分に予兆を含んでいるように、
「別れ」も予兆に満ちあふれている。

すれ違いざまや、振り向きざまに
その予兆を感じるか、感じないか。

…感じてしまったら、行動に移すか…移さないか。

…行動してしまったら、その後は…どう出るか。

常に予兆と予測をオーバーラップさせ、
勝手な解釈と妄想が行き交い、
ひとりで絶好調になったり、どん底に陥ったりしている。

…そんなコミュニケーションが、おもしろい。

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【予兆その7】2006-08-13

2006-09-12 | PHOTO
何をしでかすかわからない…という意味で、
子どもたちは予兆のかたまりだ。

どこに行くかもわからない。
どうしたいかもわからない。

未知のかたまりだから、
子どもはおもしろい。

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