日本ではとうの昔に議論が終わっているのに,今頃になって米下院で決議案。きっと,在米韓国ロビーが頑張ったんでしょう。韓国では新聞が社説に取り上げるなどして大騒ぎ。
いやな予感がします。
従軍慰安婦問題は,竹島,歴史教科書と並んで,けっして韓国人と議論してはいけない三大テーマの一つ。とにかく結論が最初から決まっているから議論にならない。どんなデータを積み上げても無駄です。
とりわけ従軍慰安婦について日本人男性が韓国人女性と話し合うのは無理。
「おばあさんが可哀そうじゃないのか。血も涙もない…」
泣きだしたりする。
こういうのはむしろ若い人に多いですね。昔のことは知らず,想像もできず,勉強もせず,マスコミ(これも今や若い世代中心)が報道する内容を鵜呑みにしている。
戦前を知っている世代はむしろ眉をひそめているというのに。
日本大使館前で毎週行われているという「水曜集会」。日本人ボランティアが手伝っていることが,ときどき好意的に報道されます。
それについて四方田犬彦は『ソウルの風景』(2001年、岩波新書)に記している。
二度目に見たとき,ボランティアとは別の日本人女性二人(観光客)といっしょに、集会のあと「ナヌムの家」を訪問した。
「わたしが驚いたのは、彼女たちがハングルも読めず、韓国現代史に対して基礎的な知識も持ち合わせてはいないように見えるにもかかわらず、すでにナヌムの家を二度にわたって訪問し、そこに宿泊しているという事実だった。
…彼女たちはいったい何だろうかと、私は考えていた。おそらくナヌムの家を訪れることは、気楽に、そして友好的な気分のうちに遂行できる虚構の巡礼の一種なのだ。そこで彼女たちは、日本の生活ではどこまでも曖昧なままにされている自分の、女性としてのアイデンティティを、明確に確認することができる。少し過酷な表現になるかもしれないが、元宗主国の国民である彼女たちは、女性である自分を認識するために、旧植民地での元従軍慰安婦との出会いという悲惨にして善意の物語を必要としているのではないだろうか。わたしは日本に帰国後も、ナヌムの家に行ったと得意げに語る女性たちにしばしば出くわすことがあった。ニューヨークがアートの聖地であるように、この施設こそがあらゆる女性が足を向けるべき聖地であるかのように語ることで、彼女たちの多くは共通していた」
「翌日、ある高齢の実業家のパーティに招かれたわたしは、水曜集会に行ったという話をした。その時彼が見せた態度は、韓国にはもっと見るべきものが沢山あるというのに、何を好き好んであんなものを見に行ったのかというものだった。別の老人は、彼女たちは民族の恥だといい、ただ金を貰ってあそこに座らせられているだけだと断言した。いつ死ぬか定めも知れぬ戦場の兵士の心情というものを身をもって理解しないかぎり、慰安婦問題の是非を語ることはできないという論理だった。しかし彼女たちが被害者であることには変わりがないのではありませんかとわたしが尋ねると、だったら思いやりをもってそっとしておいてやればいいのだと彼は答えた。何も知識人が騒ぎ立てて、論文目当てにあの婆さんたちを晒しものに仕立てあげることはないと、彼は続けた」
元慰安婦はいろんな人に利用されています。
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ハングルが読めるようになって感心したことは、「アンマ」という看板がこれもオフィス街にたくさんあること。
確かに東京のオフィス街にも床屋もマッサージもありますが・・・駐在一年過ぎました。
銀行はIMFのときたくさんつぶれました。
>床屋のマーク
高速回転してるのもありますね。
頭を刈らない床屋もある(笑
一周年、おめでとうございます。