「日本書紀」関係の本(→リンク)を読んでいたとき、ふとソシュールを思い出しました。
森博達教授によれば、日本書紀は続守言と薩弘恪という二人の中国人、そして山田史御方という日本人によって書かれ、それを、やはり日本人の三宅臣藤麻呂が潤色、加筆したということです。
森教授は、音韻論、文体論など言語学の手法を駆使して、書紀本文を腑分けし、編修過程を推定しています。
一方、ソシュールの『一般言語学講義』は、ソシュールの著書ではなく、ソシュールの死後、バイイとセシュエという二人の弟子によって編修されました。
しかし、バイイ、セシュエは「講義」に出席しておらず、実際に講義に出た学生のノートと、部分的に残されていたソシュールの講義ノート(手稿)をつなぎ合わせ、さらに潤色、加筆したのです。
後に、『講義』は実際の講義内容を正しく伝えていないという指摘が出てきました。
最初にジュネーブ大学のゴデルが、未発表の講義ノートを発見、さらにバイイとセシュエが参照しなかったコンスタンタンという学生のノートが発見されました。
そしてベルヌ大学教授のエングラーが、『講義』のそれぞれの文言が学生のノート、ソシュールの講義ノートのどこを基にしているかがわかるような詳細な対照表を作成しました。
これによって、バイイとセシュエが資料をどのように並べ替え、潤色し、加筆したかが明らかになりました。
日本では中央大学の丸山圭三郎教授がこの問題を深堀りし、真の「ソシュールの思想」を明らかにすることに尽力するとともに、ソシュールの思想を発展させ、独自の言語哲学を打ち立てました。
私は学生時代、丸山教授のゼミに出て、エングラー版の原資料の訳読をしましたが、この授業は私にとって大学時代のもっとも刺激的なものでした。
千年以上前に書かれた日本書紀と、百年前に行われた「講義」では時代も性格もまったく違いますが、『日本書紀成立の真実』を読み、ふと30年前のソシュールに関する「丸山講義」の知的興奮を懐かしく思い出した次第です。
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