「空と宇宙展-飛べ!100年の夢」が、東京上野の国立科学博物館で開かれています。
「1910年に日本初の動力飛行が実現してから100周年となる本年、日本の航空黎明期から現在までの航空宇宙分野の成果を、国立科学博物館所蔵の未公開史料などで紹介し、100年以上にわたって空や宇宙へと挑む日本人の姿や科学技術の夢と力、そして未来への展望を示す展覧会を開催します。」
1月30日に見てきました。
「日本の航空・宇宙100年の歴史」とはいいながら、展示の目玉は「はやぶさ」と「イカロス」でした。国民の関心からいったらやむを得ないですかね。
私が中学生の頃だったと思うのですが、木村秀政著「飛行機のはなし」(多分)という本を読んだ記憶があります。木村秀政氏は、戦前は東大航空研究所の航空機研究者、戦後は日大の教授を務め、国産プロペラ機YS11の計画に携わり、日大では学生に人力飛行機を作る指導をした人です。「飛行機のはなし」の中で、戦前の「航研機」が語られていました。ウィキにもあるように、航研機は長距離世界記録樹立を目的として東大航空研究所で計画され、1937年に製作・初飛行しました。胴体はジュラルミンですが、主翼は羽布張りだったのですね。そして1938年5月、関東地方上空の周回コースを周り、「周回飛行コースを62時間22分49秒で29周し、周回航続距離10,651.011kmと1万kmコース平均速度186.192km/時の2つの世界記録を樹立した」とあります。
私の中では、「飛行機の空気抵抗を減らすため、飛行中は操縦席から前方を見る窓を設けなかったが、操縦者に受け入れてもらった」という点が記憶に残っています。
今回の「空と宇宙展」に航研機関連の展示があるということで、私の狙いの一つでした。
実物の展示品としては航研機に用いられたエンジンが展示されていました(サイトのページ)。スクリーンでは、航研機の離陸・飛行・着陸の様子を当時の記録映画で見ることができました。
こうして、私が少年時代に読書から得た知識の残像に、若干ですが新たな映像を付け加えることができました。
私としては、九六式艦戦(はじめて欧米模倣を脱して日本独自の設計思想で製作)から零戦、隼、紫電改に至る戦前、戦中の航空機開発の流れにほとんどスポットが当たっていないのが残念ですが、こればかりはしょうがないでしょうね。
日本軍用機に関する数少ない展示の一つが、ハ-115(栄21型)エンジン(実物、零式艦戦や一式戦闘機「隼」などに搭載されたエンジン)です。
太平洋戦争劈頭、日本海軍のゼロ戦は、アメリカ海軍の主力艦上戦闘機F4Fワイルドキャットに対して圧倒的優位に立っていました。どちらもエンジンは千馬力級で、機体の軽快性に優れるゼロ戦が優位だったのです。
しかし、大戦中期に連合軍側に2千馬力エンジンを積んだ戦闘機が出現すると、日本のゼロ戦は劣勢に立たされ、日本は結局最後までゼロ戦頼みが続きます。結局、今回展示された栄型エンジンを凌ぐ2千馬力級の優秀なエンジンが(なかなか)生まれなかったことが、ゼロ戦の悲劇となりました。
もう一つ、ネ-20ターボジェットエンジン(実物、世界で5番目に実用化されたジェットエンジン)が展示されていました。1945年7月に特殊戦闘機「橘花(きっか)」に搭載されたということです(サイトのページ)。
そして最後に「日本の宇宙開発の歩み」です(サイトのページ)。ペンシルロケット(実物)、おおすみ(予備機実物、日本初の人工衛星)とともに、小惑星探査機「はやぶさ」の実物大模型です。はやぶさからカプセルを分離する際に大事な働きをする「カプセル分離スプリング」が展示されていました。その変わった形態にへぇ~と思いました。
「1910年に日本初の動力飛行が実現してから100周年となる本年、日本の航空黎明期から現在までの航空宇宙分野の成果を、国立科学博物館所蔵の未公開史料などで紹介し、100年以上にわたって空や宇宙へと挑む日本人の姿や科学技術の夢と力、そして未来への展望を示す展覧会を開催します。」
1月30日に見てきました。
「日本の航空・宇宙100年の歴史」とはいいながら、展示の目玉は「はやぶさ」と「イカロス」でした。国民の関心からいったらやむを得ないですかね。
私が中学生の頃だったと思うのですが、木村秀政著「飛行機のはなし」(多分)という本を読んだ記憶があります。木村秀政氏は、戦前は東大航空研究所の航空機研究者、戦後は日大の教授を務め、国産プロペラ機YS11の計画に携わり、日大では学生に人力飛行機を作る指導をした人です。「飛行機のはなし」の中で、戦前の「航研機」が語られていました。ウィキにもあるように、航研機は長距離世界記録樹立を目的として東大航空研究所で計画され、1937年に製作・初飛行しました。胴体はジュラルミンですが、主翼は羽布張りだったのですね。そして1938年5月、関東地方上空の周回コースを周り、「周回飛行コースを62時間22分49秒で29周し、周回航続距離10,651.011kmと1万kmコース平均速度186.192km/時の2つの世界記録を樹立した」とあります。
私の中では、「飛行機の空気抵抗を減らすため、飛行中は操縦席から前方を見る窓を設けなかったが、操縦者に受け入れてもらった」という点が記憶に残っています。
今回の「空と宇宙展」に航研機関連の展示があるということで、私の狙いの一つでした。
実物の展示品としては航研機に用いられたエンジンが展示されていました(サイトのページ)。スクリーンでは、航研機の離陸・飛行・着陸の様子を当時の記録映画で見ることができました。
こうして、私が少年時代に読書から得た知識の残像に、若干ですが新たな映像を付け加えることができました。
私としては、九六式艦戦(はじめて欧米模倣を脱して日本独自の設計思想で製作)から零戦、隼、紫電改に至る戦前、戦中の航空機開発の流れにほとんどスポットが当たっていないのが残念ですが、こればかりはしょうがないでしょうね。
日本軍用機に関する数少ない展示の一つが、ハ-115(栄21型)エンジン(実物、零式艦戦や一式戦闘機「隼」などに搭載されたエンジン)です。
太平洋戦争劈頭、日本海軍のゼロ戦は、アメリカ海軍の主力艦上戦闘機F4Fワイルドキャットに対して圧倒的優位に立っていました。どちらもエンジンは千馬力級で、機体の軽快性に優れるゼロ戦が優位だったのです。
しかし、大戦中期に連合軍側に2千馬力エンジンを積んだ戦闘機が出現すると、日本のゼロ戦は劣勢に立たされ、日本は結局最後までゼロ戦頼みが続きます。結局、今回展示された栄型エンジンを凌ぐ2千馬力級の優秀なエンジンが(なかなか)生まれなかったことが、ゼロ戦の悲劇となりました。
もう一つ、ネ-20ターボジェットエンジン(実物、世界で5番目に実用化されたジェットエンジン)が展示されていました。1945年7月に特殊戦闘機「橘花(きっか)」に搭載されたということです(サイトのページ)。
そして最後に「日本の宇宙開発の歩み」です(サイトのページ)。ペンシルロケット(実物)、おおすみ(予備機実物、日本初の人工衛星)とともに、小惑星探査機「はやぶさ」の実物大模型です。はやぶさからカプセルを分離する際に大事な働きをする「カプセル分離スプリング」が展示されていました。その変わった形態にへぇ~と思いました。
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