弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

原発1号機の水素爆発~官邸と調整で公表遅れ

2011-11-28 21:25:06 | サイエンス・パソコン
11月27日の日経朝刊1面には、「原発1号機の水素爆発~官邸と調整で公表遅れ~事故調に保安院証言」という記事が掲載されています。
ネットニュースを見てもこのニュースをフォローする記事が現れませんが、どのような扱いなのでしょうか。
『東京電力福島第1原子力発電所1号機が3月12日に水素爆発を起こす直前に、首相官邸から経済産業省原子力安全・保安院に対し、重要な発表は官邸と事前に調整するよう指示が出ていたことが関係者の話で明らかになった。水素爆発を含むその後の重要事項の公表遅れを招いた可能性がある。政府の事故調査・検証委員会も関心を寄せており、12月の中間報告に関連事実を盛り込む方向で調査を進めている。』
『官邸や保安院の関係者によると、官邸の指示のきっかけは、保安院の審議官が「炉心溶融の可能性がある」と述べた12日午後2時の記者会見。審議官は会見前に保安院幹部と相談。保安院は重要事項を1時間以内に公表することになっており、早急に公表すべきだと判断した。』
このあと官邸は、①会見前に官邸と内容を調整②重要事項は官房長官が先に公表-と指示しました。
『この指示直後、午後3時36分に1号機が水素爆発した。保安院の報告を受け「何らかの爆発的事象があった」と枝野前官房長官が会見で公表したのは2時間以上後の午後6時前だった。』

この新聞記事は、官邸の指示の結果として、「公表が2時間も遅くなった」ことのみを問題としています。
しかしもっと重要な問題があります。
12日午後2時の保安院会見では、正しく「炉心溶融の可能性がある」と会見したのに対し、上記官邸の指示があった以降、官邸も保安院も「炉心溶融」について固く口を閉ざしました。そして、官邸と東電が「津波来襲直後から炉心溶融が起こっていた」と白状したのは、そのずっと後です。いつのことだったか忘れてしまいましたが。
3月12日午後の時点で、官邸が「炉心溶融」を隠蔽しようと画策した状況については、3月23日に「原子力安全保安院はどうなっているのか」で記事にしたとおりです。

もう一つ、福島第一原発の吉田所長が病気療養のために所長から外れた、というニュースが入りました。
福島第1原発の吉田所長が入院、退任へ
産経新聞 11月28日(月)15時36分配信
『東京電力は28日、福島第1原子力発電所で事故当初から陣頭指揮をとってきた吉田昌郎所長(56)が病気療養のため入院したことを明らかにした。東電は同日の取締役会で、吉田氏を所長から外し、原子力・立地本部付けとする役員人事を決定。医師からは放射線被曝との因果関係は指摘されていないという。』

5月27日に「第1原発の吉田所長とは」で記事にしたとおり、吉田所長は東工大の機械物理工学科を昭和52年に卒業し、同大大学院で原子核工学を54年に修了し東電へ入社しました。学部は私の後輩に当たります。
本当にご苦労さまでした。一日も早く病気を治して現場に復帰してください。
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