村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読みました。
この小説は、「私」が暮らす近未来っぽい東京での生活と、「僕」が暮らす壁で囲まれた街の中での生活(仮想世界?)とが交互に語られます。
「私」は計算士という職業に従事しています。計算士は、極めて高い競争率で選抜され、2週間冷凍された上で脳内に改造が加えられ(外科的改造ではない)、暗号化処理に対する特殊な能力を身につけています。このような人が実在する世界ですから、現代あるいは過去の筈がなく、近未来と位置づけるしかありません。
ところが、近未来とするとどうしても違和感があります。何が違和感かというと、携帯電話とインターネットが登場しないのです。
「私」は、老人から渡された獣の頭骨について調べるのに、図書館へ行きます。その獣が一角獣らしいと気づき、急いでいたし家を空けられない事情があったので、図書館の女の子に無理に頼んで一角獣に関する書籍を自宅まで持ってきてもらいます。「何でインターネットを使わないのだろう」というのが自然にわき出る疑問です。
本が下巻に移り、巻末を見て納得しました。この本は昭和60年に発刊されているのですね。昭和60年に近未来小説を書いたのであれば、その中に携帯電話とインターネットが登場しなくてもそれが当たり前です。
ところが、その2つが登場しないだけで、「近未来社会」として何か欠陥があるように思えてしまうのです。それだけ、携帯電話とインターネットがこの世の中に欠かせないアイテムとして意識に定着してしまっているのですね(少なくとも私の意識において)。
村上春樹がカフカ賞を受賞しました。最近は、カフカ賞受賞者がその年のうちにノーベル文学賞を受賞しているらしいですが、村上春樹もノーベル賞受賞となるのでしょうか。楽しみです。
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)村上 春樹新潮社このアイテムの詳細を見る |
この小説は、「私」が暮らす近未来っぽい東京での生活と、「僕」が暮らす壁で囲まれた街の中での生活(仮想世界?)とが交互に語られます。
「私」は計算士という職業に従事しています。計算士は、極めて高い競争率で選抜され、2週間冷凍された上で脳内に改造が加えられ(外科的改造ではない)、暗号化処理に対する特殊な能力を身につけています。このような人が実在する世界ですから、現代あるいは過去の筈がなく、近未来と位置づけるしかありません。
ところが、近未来とするとどうしても違和感があります。何が違和感かというと、携帯電話とインターネットが登場しないのです。
「私」は、老人から渡された獣の頭骨について調べるのに、図書館へ行きます。その獣が一角獣らしいと気づき、急いでいたし家を空けられない事情があったので、図書館の女の子に無理に頼んで一角獣に関する書籍を自宅まで持ってきてもらいます。「何でインターネットを使わないのだろう」というのが自然にわき出る疑問です。
本が下巻に移り、巻末を見て納得しました。この本は昭和60年に発刊されているのですね。昭和60年に近未来小説を書いたのであれば、その中に携帯電話とインターネットが登場しなくてもそれが当たり前です。
ところが、その2つが登場しないだけで、「近未来社会」として何か欠陥があるように思えてしまうのです。それだけ、携帯電話とインターネットがこの世の中に欠かせないアイテムとして意識に定着してしまっているのですね(少なくとも私の意識において)。
村上春樹がカフカ賞を受賞しました。最近は、カフカ賞受賞者がその年のうちにノーベル文学賞を受賞しているらしいですが、村上春樹もノーベル賞受賞となるのでしょうか。楽しみです。
確かに、「ハードボイルド・ワンダーランド」は近未来の話ですよね。
脳に暗号化をほどこすなんて現代技術じゃできませんし。。
昔よくあった、「すれちがい」の恋愛ドラマは携帯電話の普及に
よって、もう不可能になったと聞きました。
(電波が届かない・・・とかなら可能かもしれませんが(笑))
科学は、人が考えるよりもっと早いスピードで進んでるのですね。。