弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

Wikipediaがお年寄りの話し相手に

2010-12-02 21:12:14 | サイエンス・パソコン
90歳になる私の母親は、「長生きしたら、昔話をする相手がいなくなった」とよく嘆いています。

最近の新聞で、同じことがお年寄りによって語られていました。昔話をして、“そうそう。そうだったね”と相づちを打ってくれる人がいなくなり、それが寂しいということでした。
私の母親だけではなく、どうも一般的にそういう傾向があるのでしょうか。

iPadがついにマルチタスクに対応!iOS4.2がリリースによると、米アップルから駆けつけたスコット・ブロドリック氏(プロダクトマーケティング担当)は「タッチ操作ですから、2歳の子供でも楽しめるんです。印象深い逸話としては、99歳の女性がiPadに親しんでいるという話も聞きました。彼女にとってはこれが初めてさわったPCだったそうです」と語ったようです。99歳には負けますが、90歳でiPadを使えるかで書いたように、母親にiPadを渡してあります。本人が自分で操作できるのはiPad本体に格納したビデオや写真を閲覧することのみであり、インターネットを覗くことはしません。しかし常に、母親の手許にインターネットにつながったiPadがあるので、話し相手をするときにとても便利です。

先日は、母親が小学生だった頃、当時渋谷に住んでいたのですが、代々木練兵場にツェッペリン飛行船を見に行った、という話になりました。こういう昔話の相手をするときに便利なのがインターネットです。
さっそく私がiPadを手に取り、Wikipediaでツェッペリン飛行船について調べると、出ていました。ツェッペリン伯号は1929年に北半球周遊を行い、この際、日本の茨城県阿見町(霞ヶ浦)に寄港しているとあります。また“霞ヶ浦の歴史”の項には『1929年8月19日には、当時世界最大の飛行船だったドイツのツェッペリン伯号が世界一周中に霞ヶ浦航空隊に寄港。このときは、上野から土浦への臨時列車が運行されるなど東京からも見物客が押し寄せ、観衆は30万人に及び「君はツェッペリンを見たか!」という新聞の見出しが流行語になったと言われている。』と記されています。
1929年というと母親が9歳の時です。母親は「大きな飛行船だった。代々木練兵場の上空を通過するだけの予定だったが、代々木練兵場に大勢の観客が詰めかけていることが船に伝えられ、わざわざ上空を2回旋回してくれた。確かに“霞が関へ行く”と聞いた。このときの光景は今でもはっきり覚えている」と昔語りをしました。

代々木練兵場についてWikipediaの「代々木公園」で調べると、『1909年(明治42年)7月3日、陸軍省が28万坪の代々木練兵場を新設した。代々木練兵場は敗戦後の1945年(昭和20年)にアメリカ軍に接収され、アメリカ軍の宿舎敷地・ワシントンハイツになり、その後1964年(昭和39年)に東京オリンピックの選手村となった後、東京23区内の都市公園の中で4番目に広い公園として1967年(昭和42年)10月20日に開園された。』とあり、この記事も母親の古い記憶を呼び覚ますのでした。

私の母親の場合には、自分でインターネット検索をすることはしないので、話し相手が検索して記事を見せてあげなければなりません。もう少し若くて自分でiPadでインターネット検索ができる人であれば、自分で昔の記憶をネット記事から呼び覚ますことも可能でしょう。

このような使い方は、iPadとインターネットによってお年寄りに楽しんでいただくひとつの方策であると感じた次第です。
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