弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

彦根城

2006-11-25 23:25:54 | Weblog
11月3日文化の日、日帰りで彦根を訪問しました。
何の予備知識もなしに訪問し、彦根城とその周辺のみを散策したのですが、彦根城は立派なお城でした。「彦根市の相当の部分が城郭で占められているのではないか」と錯覚したほどです。

彦根の北東方向すぐちかくに、石田三成の居城だった佐和山があります。関ヶ原で三成が敗れた後、家康の家臣である井伊直政がこの地を拝領して彦根城を造営しました。当初は、豊臣秀頼に備えて南西方向の大手門が正門であったものが、大阪冬の陣以降、主家である徳川家に向かう南東方向の表門が正門になったようです。

まずは外堀と内堀がしっかりと現存し、満々と水をたたえています。
  
   外堀                    内堀にかかる大手橋
大手橋をわたり、急な大手坂を上がると、廊下橋が見えます。非常時には落とし橋となるそうです。廊下橋の先が天秤櫓、さらに登ると太鼓門櫓です。太鼓門櫓をくぐると、天守に至ります。姫路、松本、犬山城とともに国宝に指定されているとのことです。
  
   廊下橋                  太鼓門櫓   

     天守

偶然ですが、この日は彦根城のお城祭りの日でした。大名行列が出るということで、見物してきました。
  
  彦根藩主                    白拍子
馬上の人は、確か初代藩主の井伊直政か二代直孝ということで、俳優が演じていました。武者が持っている兜は、二代直孝の兜のようです。

歴史書によると、井伊藩の武士は全員が朱塗りの具足を身につけ、「井伊の赤備え」と称されていたそうです。彦根城博物館にも、歴代の彦根城主が用いた朱塗りの甲冑(初代直政二代直孝)が展示されています。その伝統は今も残り、お城祭りのスタッフが着ている上着も赤一色でした。

お昼は、夢京橋キャッスルロードにある近江牛の千成亭伽羅で近江牛フィレステーキ重をいただきました。
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