弁理士の日々

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大鹿靖明著「メルトダウン」

2012-03-04 20:14:04 | サイエンス・パソコン
メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故
大鹿靖明
講談社
著者の大鹿靖明氏が、去年の3月以降12月までの9ヶ月間に125人に接触してインタビューし、その結果を取りまとめたのがこの本です。
読んでみると、特に念入りにインタビューした相手は、官邸の中枢で原発対応を行った政治家が多いようです。またこの人たちは、自分のメモを見ながら詳細に意見を語っています。一方、東電の当事者については、インタビューはゼロではないものの、あまり詳しくは語っていません。その結果、この本の印象としては、「官邸から見て原発事故がどのように映っていたか」が中心になっています。

先日公表された民間事故調(財団法人日本再建イニシアティブ | 福島原発事故の検証)がまとめた調査・検証報告書については、東電が聴取を拒否したこともあり、やはり官邸や政府関係者からの聞き取り結果がメインとなっています。現在、「福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書」を予約注文しているところですが、おそらく大鹿 靖明著の「メルトダウン」と内容は重複していることでしょう。

一方、昨年末に公表された政府事故調(東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会)の中間報告は、東電、それも福島第一原発で事故処理に対応した当事者たちからの聞き取りをメインに行った結果です。そのため、「現場から見た原発事故とその原因究明」が中心になっており、上記「メルトダウン」や「民間事故調の報告書」とは趣が異なっています。

さて、「メルトダウン」の内容です。章立ては以下の通りです。
第1部 悪夢の1週間
第2部 覇者の救済
第3部 電力闘争

《第1部 悪夢の一週間》
まず第1に「あのとき原発で何が起こっていたのか」を追っています。その内容については、ほぼ政府事故調の中間報告と重なっているといっていいでしょう。

第2に、「あのとき東京(政府・官邸・東電本店)で何が起こっていたのか」が語られます。こちらは、政府事故調中間報告であまり語られていない内容です。
管直人首相をはじめとする政府中枢が、「電源車はまだ現地に到着しないのか」「電源車と接続するケーブル保管の倉庫の鍵は開いたのか」「ベントはまだか」といった情報に一喜一憂している様子が手に取るように書かれています。
また、管総理にどなられたのであろう官僚たちの様子が、下村健一内閣審議官の13日のノートに記されています。
『「批判されても、うつむいて固まって黙り込むだけ。解決策や再発防止策をまったく示さない技術者、科学者、経営者」。東電と経産省保安院、原子力安全委員会を指した言葉だった。』
突然のパニック状態の中で、当事者たちの潜在能力を発揮させることがリーダーの役割ですが、このときのリーダーたちは、専門家を萎縮させることしかできなかったのでしょう。
「東電は、第1原発から完全撤退を考えている」・・・官邸がそのように解釈したのは15日未明です。「全員の撤退を意味しているのか、それとも最低限の保守要員を残した上でそれ以外の人員の撤退を意味しているのか」については、今でもはっきりしません。官邸の人たちは「東電は完全撤退と言っていた」と主張するし、東電は「最低保守要員は残すという意味だった」と主張しています。実態は、70人を残して一時撤退しました。米国で「勇敢な50人」と呼ばれている人たちです。
これを期に、管首相は東電本店内に「統合本部」を設置する決断をしました。
東電に乗り込んだ管直人首相は、300人近くが詰めかけている対策本部に乗り込みました。社員はてっきり自分たちを総理が激励に来たのかと思ったのに違っていました。いきなり罵倒したのです。叱られた東電マンの多くは、「ずっと泊まり込みで一生懸命にやっているのに、あれで、やる気をなくした」と反感を口にしました。このとき以来、東電の反管ムードは決定的になっていきます。

ところで、下村審議官が見た東電の清水社長の印象「何を聞いても、『あ』『はい』『では』の3つばかりだった」

続く
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